第100話:非同期の焦燥(スペック乖離)と、レガシー環境での圧倒的オーバースペック
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【真・ダンジョン トレーニングルーム】
『――環境重力1.9倍。テストプロセス、オールクリア(正常終了)』
無機質なシステム音声が白い空間に響き渡る。
1.9倍という、内臓が押し潰され血流すらも滞るような超高負荷環境。しかし、その中心に立つミクの息はほとんど乱れていなかった。双剣を振るうその動きは、もはや通常重力(1.0倍)の時と見分けがつかないほどに最適化されている。
「ふぅ……。よし、1.9倍の体感制御も完了ね。次はついに2.0倍の大台のテストに入るわ」
ミクが額の汗を拭いながら、コンソールへと振り返る。
しかし、その言葉を聞いた仲間たちの顔には、かつてないほどの「焦りの色」が浮かんでいた。
「……すげえな、PMは。アタシらはやっとの思いで1.5倍の動作テストをパスしたばっかりだってのに」
ヴァレリアが、信じられないものを見る目でミクを見つめる。
「俺たちの足腰じゃ、これ以上のペースアップは物理的に不可能だ……。このままじゃ、ミクの処理速度に完全に置いていかれるぞ」
ガストンが重い大盾に寄りかかりながら、悔しそうに唇を噛んだ。
ミクの異常なまでの適応能力。
PMとして己の身体のバグを修正する速度が速すぎるが故に、他の六人との間に明確な「スペックの乖離(非同期)」が生じ始めていたのだ。足を引っ張っているのではないかという焦燥感が、彼らのメンタルリソースを徐々に削り取っていく。
その危険なメモリリークの兆候を、参謀であるユリウスが見逃すはずもなかった。
「ミク。少しシステムを休ませよう(シャットダウンしよう)」
ユリウスが静かに歩み寄り、ミクに耳打ちした。
「彼らの焦りは、パフォーマンスを低下させるノイズになる。ずっと隔離された高負荷環境でエラーばかり出し続けていては、自信も摩耗する一方だ。……ここらで一度、旧迷宮(レガシー環境)の探索に戻って、『今の自分たちの現在地』をテスト(可視化)してみないか?」
ユリウスの的確な提案に、ミクもハッと気づいた。
「……そうね。ずっと内にこもって(ローカル環境で)開発ばかりしていても視野が狭くなるわ。みんな! 今日のデバッグはここまで! 一度、旧迷宮の本番環境(外の世界)へデプロイしに行くわよ!」
* * *
【旧迷宮(レガシー環境)・第89層】
深層特有の濃密な魔力と、じめじめとした冷たい空気が漂う旧迷宮。
転移陣を抜け、久しぶりに「通常の重力(1.0倍)」の空間に足を踏み入れた七人は、全員が奇妙な感覚に襲われていた。
「なんだ、これ……? 身体が……浮きそうだ」
ガルドが自分の手足を不思議そうに動かす。
「ああ。まるで水の中から陸に上がったみたいに、引力(物理エンジン)がバグっちまったみてえに軽いぞ……」
ガストンも、背中に背負った大盾の重さを全く感じず、何度も背中を振り返っていた。
1.5倍の重力環境を「デフォルトの1.0倍」だと細胞レベルで錯覚するまで鍛え抜かれた彼らの肉体にとって、本当の1.0倍の環境は、もはや「重力が存在しない(ゼロ・グラビティ)」に等しい異常な軽さだったのだ。
『ゴォォォォォォッ!!』
その時、通路の奥から第89層の凶悪な魔物たちが姿を現した。
鋼鉄の皮膚を持つ『ハイ・オークロード』の群れ。通常であれば、前衛が必死に攻撃を耐え凌ぎ、後衛が時間をかけて魔法で処理しなければならない強敵だ。
「敵影確認! 前衛、壁を構築……って、あれ?」
ミクが指示を出そうとした、その直後だった。
「どりゃああああッ!!」
ヴァレリアが、無意識にいつもの(トレーニングルームでの)感覚で大斧を振り回した。
――シュガァァァァァァァンッッ!!!!
空気が爆発した。
1.5倍の重力に逆らって斧を振るうための「過剰な筋力」が、1.0倍の世界で解放された瞬間。
ヴァレリアの振るった大斧は、音速を遥かに超える竜巻のような真空刃を生み出し、ハイ・オークロードたちの鋼鉄の皮膚どころか、後方の迷宮の分厚い壁ごと、まるで豆腐のように十メートル以上も一直線に抉り飛ばしてしまったのだ。
「えっ……?」
ヴァレリア自身が、あまりの斧の軽さと尋常ではない破壊力にバランスを崩し、その場に尻もちをついた。
「うおおおッ!? なんだあの威力!? っ、俺も行くぜ!!」
残ったオークロードが怒り狂って巨大な棍棒を振り下ろしてくる。
ガストンが大盾を構えて、いつものように力一杯踏ん張って受け止めた。
バキィィィィンッ!!
「ギャアアアッ!?」
オークロードの悲鳴。
ガストンが盾で「受け止めた」だけにもかかわらず、ガストンの圧倒的な筋力と固定力(反発エネルギー)に耐えきれず、オークロードの棍棒が粉々に砕け散り、その衝撃がオークロード自身の腕の骨までボキボキにへし折ってしまったのだ。
「嘘だろ……? 俺、ただ立って盾を構えてただけだぞ……!?」
ガストンが自分の両手と盾を交互に見比べる。
「魔法組! 私たちもやってみましょう!」
アリアとユリウスが杖を構え、魔力を練り上げる。
「『焦熱の……えっ!?』」
アリアが詠唱を始めた瞬間、空中に展開された魔法陣のサイズが、いつもの三倍以上の極大サイズへと膨れ上がった。
超重力下という、魔力の循環すらも阻害される高負荷環境で魔法を制御し続けた結果、彼らの魔力回路(帯域幅)は極限まで太く、強靭に拡張されていたのだ。
「ちょ、魔力の出力が制御できない! 伏せて!!」
ズドォォォォォォォォンッッ!!!!
放たれた魔法は、もはや一つのフロアの地形を丸ごと書き換える(フォーマットする)ほどの規格外の破壊の嵐となって、第89層の通路を完全に更地にしてしまった。
土煙が晴れた後。
そこには、自分たちの引き起こしたデタラメな破壊の跡を前に、呆然と立ち尽くす七人の姿があった。
「……おい、嘘だろ」
ガストンが、乾いた笑いを漏らす。
「あの『アニマルズ』の連中が自慢してた機動力……。今の俺たちなら、重装甲を着たままでも余裕で勝てるんじゃねえか……?」
「勝てるどころじゃないわ。この火力……『魔剣神』の溜め攻撃(バッチ処理)だって、アタシの斧の通常攻撃(素振り)で相殺できるレベルだぞ……」
ヴァレリアが、大斧を指先でクルクルと軽げに回しながら戦慄する。
彼らは気づいていなかった。
真・ダンジョンの理不尽な超重力環境という『バグの塊』に肉体を適応させようと必死にもがいていた結果、彼ら自身が、この旧迷宮(レガシー環境)におけるパワーバランスを完全に破壊する『規格外のバグキャラ(管理者権限)』へと進化してしまっていたことに。
「……フッ、ハハハッ!」
ユリウスが、こらえきれずに笑い出した。
「どうやら、君たちの『ミクに置いていかれる』という焦り(エラー)は、杞憂だったようだな。……私たち(ハードウェア)は、確実に強くなっている」
「……ガハハハハッ!! 違いねえ!!」
ガストンも、ガルドも、ヴァレリアも。
少し前まで彼らを覆っていた暗い焦燥感は、完全に吹き飛んでいた。
「なんだよ、旧迷宮(こっちの世界)の魔物なんて、今となってはチュートリアルのスライムと同レベルじゃねえか!! 全然相手にならねえ!!」
圧倒的な自信の自覚。
それは、次なる真・ダンジョンのさらなる超重力(未知のアップデート)に立ち向かうための、何よりのメンタルケア(リソース回復)となった。
「よし! 今の自分たちのスペックが確認できたなら、こんな低負荷環境に用はないわね!」
ミクが双剣を鞘に納め、晴れやかな笑顔で仲間たちを振り返った。
「帰るわよ、私たちの新しい戦場へ! 目指すは全員で2.0倍環境の完全制覇よ!!」
「おうッ!!」
レガシー環境での圧倒的な無双(動作テスト)を経て、心身ともに最強の状態へとリファクタリングされた『三律の連環』。
彼らはもはや恐怖も焦りもなく、より過酷なエラーとバグが待ち受ける超重力の世界へと、意気揚々とダイブ(帰還)していくのだった。
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