144 『三好軍』『大友義鎮の決断』
1548年3月
四国北方の讃岐から伊予へと続く海道に、三好軍1万5千が姿を現した。
指揮を執るのは三好長慶の側近、岩成友通と篠原長房。
長慶の本隊3万のうち、前衛を担う部隊である。
やがて彼らの前に、
楠予家が大改築した川之江城が立ちはだかった。
海と山が極端に迫り、その出口の小山に築かれた要衝の城は、城というより 大きな壁 であった。
先鋒の兵たちが思わず呟く。
「……攻め口が、ない」
「いや、あるにはあるが……死ぬための道じゃ⋯⋯」
岩成友通は眉をひそめた。
本来ならば、ここに数千の兵を貼り付け、伊予へ雪崩れ込むはずだった。
だが目の前の城は、三好軍の想定を遥かに超えていた。
川之江城には船が出入りしている。
この城を放置すれば、海路から援軍が1万でも入れば、街道は奪われ兵站が途切れる。
瀬戸内の海が楠予家に支配されて以上、海路からの食料補給は受けられない。
篠原長房が低く言う。
「殿のご指示通り、まず降伏勧告をする」
友通は頷いた。
「うむ。此度の目的は揺さぶり。本気になる必要はない」
三好長慶の命は明確だった。
――無理に攻め落とすな。
――囲んで揺さぶれ。
――家臣を寝返らせよ。
三好軍は川之江城を包囲した。
だが攻め寄せるでもなく、ただ陣を敷き、城内に不安を流し込むように矢文を飛ばし続けた。
『楠予家は朝敵となった。
今こそ三好に帰参せよ。さすれば旧領を安堵する』
しかし、反応はまったく無かった。
ーーー
天守閣では、福田頼綱が静かに三好軍を見ていた。
「孫次郎の言った通り、三好は本気で攻めては来ぬ。奴らの考えなどお見通しじゃ」
頼綱はフッと口元を緩めた。
「もっともこの城を力攻めで落とすならば、10万の兵は必要だがな」
周囲の部下たちがくすりと笑う。
川之江城は落ち着き払っていた。
海からは村上水軍の補給船が、長期戦に備えて絶えず物資を運び込んでくる。
兵たちは淡々と持ち場を守り、籠城戦であるにもかかわらず、食事には時折肉が出るほど余裕があった。
対して、包囲している三好軍の方は野戦食であるため、質素な食べ物しか口にできない。
両軍の食卓はまるで別世界であった。
ーーーー
同じ頃、四国南方の阿波から土佐へ続く険しい山道。
その途中にある谷間に張られた本陣で、三好長逸は報告を受けていた。
「……先鋒が、敗れたと申すか?」
伝令は泥にまみれ、肩で息をしていた。
「はっ……! 道が狭く、兵が横隊を組めませぬ。そこを楠予軍の伏兵に襲われ……退却を余儀なくされました!」
長逸は暫し目を瞑り、考える。
予想通りの結果ではある。
この地形では、兵の数など意味をなさない。
「して、伏兵の数は?」
「多くはございませぬ。しかし……安芸家の旗があったとの噂が……」
長逸は舌打ちした。
「安芸国虎か……小童にしてやられるとはな」
長逸は地図を睨みつけた。
阿波から土佐へ入る道は、馬も荷駄も通れぬ細道。
「報告では土佐には5千以上の兵を率いて長宗我部国親が入ったと聞く。恐らくは土佐側の谷の出口に陣を敷いておろう……この一万では押し切れぬ。行けば最悪の地形で戦うことになる」
長逸は静かに結論を下した。
「よい。ならば作戦通り揺さぶりに切り替える」
長逸は筆を取り、さらさらと書状を書き始めた。
「この書状を持って長宗我部国親と安芸国虎の元へ行き『土佐一国を与えるゆえ、朝廷側に寝返れ』と口説き落とせ」
側近が息を呑む。
「土佐一国とは豪気な。それならば国親も寝返りましょう」
「ふっ。応じてくれれば楽なのだがな」
長逸は苦笑し、遠く土佐の山々を見つめた。
「応じぬ時は……此度は睨み合いに終わる。だが、それでよい。我らの役目は楠予家を足止めすることよ」
国親は長逸の書状に対し、直ぐに返答を書いた。
『応じたふりをして土佐へ誘い込み、討ち取っちゃあよかったがよ。けんど、それじゃあ楠予家の名が廃れるき、今回は見逃しちゃる。
それとな、楠予家で寝返る者なんぞ、一人もおらんぜよ。一度仕えたら、すぐにその理由が分かるきに。長逸殿も一度、楠予家に仕えてみたらどうぜよ?』
側近は、このふざけた文面を読み上げながら震え、長逸は笑っていた。
ーーーーー
昼を過ぎた頃、
豊前と豊後の国境の近く。
中津の地で大内軍5万と楠予軍5万の先陣部隊が相まみえた。
大内軍の内、1万5千は荷駄隊であり、農民兵で構成されている。実質、3万5千が戦闘部隊であった。
荷駄隊は設営などの雑用もするが、武装が貧弱でほぼ戦力にはならない。
本陣に付き添う荷駄隊は現在8千人、7千人は拠点と本隊を往復して食料を運んでいた。
遭遇の初日は小規模な戦闘が行われただけに留まった。両軍ともに敵に罵声を浴びせ、礫を投げる程度で本気で戦うつもりはない。
双方とも本格的な戦は明日以降になると分かっていた。
夜、大内軍の本陣には主だった諸将が集まった。
内藤興盛が少し狼狽えながら言う。
「陶殿、楠予軍は3万では無かったのか? 5万はいたと物見が申しておる」
陶隆房は冷静に応える。
「楠予家は四国に大軍を送ったと聞いたが、あれは偽であったのでろう」
「何を悠長なことを……」
隆房は義隆に頭を下げる。
「されど御屋形様、5万と言うのは恐らくは偽兵にございます。もしくは荷駄隊を使い、多く見せておるだけのことでござる。
今や楠予は朝敵、そのように多くの兵が動かせる訳がありませぬ」
弘中隆兼が身を乗り出す。
「それがしも同じ考えにござる。
東西に敵を抱え、5万の兵を動かせるなど、あり得ませぬ」
隆房は弘中に『よく言った』と無言で頷き、義隆の方に視線を向けた。
「御屋形様。ここで楠予軍を破り、大内の名を天下に示さねばなりませぬ」
義隆が静かに言う。
「……隆房、勝てるか?」
隆房は自信ありげに頷く。
「楠予の家臣はまだこちらに靡こうとしませぬ。されど我らは官軍、勝機は十分にござる」
大友義鎮が慌てて身を乗り出す。
「お待ち下され! 楠予の兵は強うございまする。楠予軍を破るには倍の兵が必要! ここは兵を引いて、籠城にて楠予軍を消耗させるべきかと存ずる!」
陶隆房が侮蔑するような目で見た。
「大友はかように弱気じゃから負けたのよ。大内は野戦では簡単には負けぬ」
義隆の隣に座る大内晴英が口を開いた。
「兄上、陶殿の仰せられる通りにございます。これだけの軍勢がいれば、楠予など敵ではございませぬ」
義鎮は唇を噛んだ。
「⋯⋯晴英」
晴英は義鎮の16歳になる異母弟で、今回が初陣である。
晴英の母は義隆の姉であった。
義隆の養嗣子・晴持(後継者)が尼子攻めの際に亡くなったため、代わりに義隆の猶子になっていた。
※養嗣子(家督相続を前提)
※猶子(相続を目的としない)
※晴持(一条に嫁いだ姉の子)
※晴英(大友に嫁いだ姉の子)
晴英は猶子であるが、義隆に子供がいないため、将来は大内家を継ぐものと見られていた。
隆房が笑う。
「さすがは晴英様。大内家の血を引かれるだけあって、武勇にも優れておられると見受けられる」
大内義隆の目が僅かに厳しくなる。
そして隣の内藤興盛に目を向けた。
「興盛、そなたは如何思う」
「それがしは陶殿のように戦上手ではございませぬ。されど、やはり思うた以上に楠予軍の数が多いのは、気になります」
義鎮が内藤の言葉に力を得て、一歩進み出る。
「されば楠予は九州に主力を置き、大内に狙いを定め、各個撃破する策と存ずる。四国は手薄、ここは無理をせず三好軍に任せるべきかと」
隆房が床几から立ち上がった。
「黙れっ義鎮! 元はと言えば大友と楠予の戦じゃ。御屋形様に家臣に迎え入れて貰った恩を忘れたか! 明日はそなたが大内軍の先陣として働き、御屋形様に報いるのじゃ!」
「……はっ」
義鎮は隆房の威圧を受け、一歩交代し頭を下げる。
だが、内心は腸が煮えくり返っていた。
義隆が静かに言う。
「義鎮、期待しておるぞ」
「……ははっ」
ーーー
大内軍の本陣から、大友の陣に戻った義鎮は、家臣たちに大内軍の意向を伝えた。
それからは、義鎮は一言も言葉を発せず、目を閉じ、難しい顔をして考え事にふけった。
それを見て、義鎮の家臣たちは、義鎮が勝機の薄い戦に悩んでいるのだと思った。
楠予家と長年戦い、楠予家を調べ尽くしている大友家の家中は、楠予家の強さをよく理解していた。
戸次鑑連が義鎮に声を掛ける。
「御屋形様、心配は要りませぬ。明日、楠予家に敗れた折は、殿は某が務めます。御屋形様を決して死なせは致しませぬ」
義鎮はゆっくりと目を開けた。
「⋯⋯鑑連。余のために死んでくれるのか」
「はっ。御屋形様のためならば、いついかなる時でも死ぬ覚悟は出来ており申す」
吉弘鑑理と吉岡長増も頷く。
「某たちも御屋形様のためならば、命を投げ出す覚悟でござる」
「その方たちの気持ち、有り難く思うぞ。余がどのような決定をしても、余に付いて来てくれるか?」
「勿論でございます」
義鎮は満足気に頷き、口を開いた。
「余は――これより楠予家に降ろうと思う」
場は一瞬静寂に包まれた。
重臣たちは驚きで理解が追いつかなかった。
吉弘鑑理が血相を変えて言う。
「御屋形様! 楠予家は当家を滅ぼすと申しております! 我らの降伏を認める筈がございませぬ!」
義鎮は吉弘の目を見て話す。
「分かっておる。ゆえに余が直々に楠予正重に会い、頭を下げる。大友が生き残る道は――これしか無い」
義鎮は朝敵になってもまったく崩れず、それどころか、朝敵になった事すらも利用する楠予家に、心からの負けを認めていた。
義鎮の策を退けた大内に、勝てる道理は何一つ無い。
生き残るには大内を捨て、楠予に寝返る他に無いと判断した。
だが一番の問題は、大友家と楠予家が互いに宿敵とする関係にある事だった。
しかし、義鎮には僅かだが、勝算があった。
楠予家は公正を旨としている家だ。
誠意を持って謝罪すれば、亡き父や戸次鑑連は無理でも、自分ならば助かる可能性がある。
そう義鎮は踏んだのだ。
戸次鑑連が頷く。
「分かり申した。では某の首を持って楠予の陣にお行き下され。楠予家が真に憎いのは某にござる」
義鎮は一瞬考え、首を振った。
「正重に首を渡せば、次に正重が望むのは余の首であろう。順序を誤れば大友が滅びる」
「……それでは、降伏が受け入れられれば、某は腹を切りましょう」
義鎮は悲痛そうな顔で言った。
「鑑連、すまぬ……」
ーーー
楠予軍・本陣
準譜代重臣の国安利勝が怒鳴る。
「大友家の当主が僅かな供しか連れず、何をしに参ったのじゃ!」
陣内に怒号が鳴り響いた瞬間、義鎮は地に頭を付け、土下座した。
「某が楠予家と争ったのは、父の代からの因縁によるもの。戦国の習いにございます。
されど父と戸次鑑連が又衛兵様を討ったこと、二人に代わり深くお詫び申し上げます!
何卒、大友家が楠予家に降る事、お許し下されませ!!」
本陣で床几に座り、義鎮を見ていた諸将は、義鎮の言葉に呆然とし、我が耳を疑った。
大友と楠予は宿敵同士。
大内家が健在のうちから降伏してくるなど、理解が出来なかった。
国安が身を乗り出す。
「貴様、我らを謀る気であろう! 楠予家は大友を滅ぼすと公言しておる! 詫びなど無用じゃ。御屋形様、今すぐこやつを斬り捨てるべきでござる」
兵馬が手で制する。
「国安准将、待たれよ! 戦場以外で大友の当主を討つは、楠予家の正義ではない。 又衛兵も決して喜ばぬ」
楠河が身を乗り出し進言する。
「兵馬少将。それがしは義鎮を討っても問題ないと存ずる。義鎮は大内と楠予の戦いに水を差し申した。それゆえ首を取ったのだと、大内義隆に首を届ければ、筋も通り大内軍の士気も下がると存ずる」
玉之江甚八が静かに立ち上がり、義鎮の傍に歩いてゆく。
「わしは命を掛けてここに来た、大友殿の度胸を買う。大友殿は、楠予家に降れば所領の9割は没収されると、分かって来られたのでござろうな」
義鎮は我が意を得たりと、顔を上げ堂々と応えた。
「大友家は楠予家について、誰よりも詳しく調べております。全て承知の上でございます」
一瞬の静寂が起こり、皆の視線が正重に向かった。
目を閉じ、皆の意見を静かに聞いていた正重がやがて目を開けた。
「楠予家は……降伏する者は全て受け入れる。それは⋯⋯大友家であろうと同じじゃ」
義鎮が目を大きく開けた。
期待していた言葉であったが、にわかには信じられなかった。
「っ! ま、真にございますか!!」
正重はゆっくりと大きく頷いた。
国安が立ち上がる。
「御屋形様、それでは壬生殿が承知されませぬぞ。壬生殿は又衛兵殿の仇である大友と戸次一族の滅亡を、切に願っておられるのです!」
正重が首を振る。
「次郎にはわしから言い聞かせる。楠予家は己の決めた規則を守る。降伏する者は全て受け入れる。そこに例外は無い」
義鎮が何度も頭を下げる。
「楠予殿、いえ御屋形様。感謝申し上げます!
大友家はここに楠予家に絶対の忠誠を誓いまする!
戸次鑑連は降伏が認められた暁には、自身の首を持って御屋形様に詫びると申してます。壬生殿の溜飲も必ずや下がるものと存じます!」
正重が険しい顔をする。
「又衛兵を一騎討ちで討ち取った者がそのような惨めな死を迎える事、断じて許さぬ。それは又衛兵の名を傷付けることぞ」
義鎮は困惑する。
「ですがそれでは……」
「楠予家は源氏とは違う。
頼朝公のように美濃、尾張をやろうなどと詭弁は申さぬ」
源頼朝には残酷なエピソードがある。
頼朝の父・義朝は平清盛に戦で敗れ、関東へ落ち延びる途中、長田忠致、景致、親子の所に立ち寄り、入浴中に殺害された。
そして頼朝が挙兵した際、この長田親子は何を考えたのか頼朝軍に加わって来た。
その時、頼朝は二人に『懸命に働けば美濃、尾張をやろう』と約束したのだ。
二人は懸命に働いた結果、平家滅亡後に『身の終わり』と言う、凄惨な処刑の褒美を貰った。
正重は目を細める。
「だが――楠予一族は又衛兵の仇を討つと誓っている。
戸次鑑連には髻を切らせよ。我らはそれを又衛兵の墓前に供え、仇を討ったものとする」
義鎮は頭を地に付ける。
「戸次に代わり御礼を申し上げます! 某も父に代わり、戸次と共に髻を切り、又衛兵様の墓前に捧げとう存じます!」
玉之江が頷く。
「うむ、御屋形様。二人の髻を又衛兵の墓前に供えれば、大友義鑑と戸次鑑連の首を供えたと同じでござる。又衛兵殿も納得されましょう」
正重は静かに頷いた。
兵馬が涙を流しながら言う。
「御屋形様、これでようやく又衛兵の仇が討てます…」
「うむ。だが戦はまだ終わってはおらぬ。大友が降ったからと言うて、大内家と和議を結ぶつもりは無い。それは向こうも同じであろう」
楠河昌成が軍机の上の地図を指す。
「義鎮殿、大友の軍勢と、大内の軍勢の配置状況を詳しく説明願えますか」
「はっ!」
義鎮は地図の上に置かれた、軍の代わりに置かれた駒を移動させながら、説明する。
「なるほど、想定通りでござるな。
大内の総兵力は4万3千。そのうち荷駄隊が8千。大友軍が4千余り、実質は3万まで減る」
「……さようでござる」
正重が静かに言う。
「義鎮は夜明けとともに陣払いし、筑後に帰れ。
元主君を突如裏切り、これを攻めるのは、楠予の家臣の取るべき行いではない」
「……はっ!」
返事に一瞬の間が空いたのを、正重は見逃さなかった。
「……義鎮、楠予は甘いと思うか?」
義鎮は言葉に詰まる。
「……分かりませぬ。
されど大友が再び大内に寝返り、戦場に舞い戻ったところで楠予軍には勝てませぬ。……もしや、某を試しておいでなのですか?」
正重は笑いながら首を振る。
「その様な事はせぬ。ただ……当家と大内は友好関係にあった。卑怯な戦はせぬ」
「……はっ」
この日、義鎮は楠予家に降り、九死に一生を得たと思った。
明日、楠予軍と戦っていれば、先陣を務める大友軍の半分は死んでいた筈だ。
後にこの裏切りは大友家や、幾つかの書物では、義鎮の英断であったと記録される事になる。




