141 日吉評定
肥後国の人吉城に楠予軍六万の将兵が集まっていた。
夜、城の大広間には明かりが煌々とたかれ、楠予家の身分ある将たち53名が集められた。
筑後へ出陣した、その日のうちの突然の帰還。
将のみならず一兵卒に至るまでが、何かただならぬ事が起きたのだと分かっていた。
将たちは小声でひそひそと会話をする。
「もしや……源太郎様の身によからぬ事が……」
「いや、壬生殿かも知れぬぞ。あの方は池田周辺をいつも出歩かれておるからな」
「壬生殿が斬られただと?」
「そのような事は言っておらん!」
「ならば壬生殿が謀反したとか?」
「あり得ぬ。謀反するなら兵を統率している時であろう。それにあの方は戦は上手では無いと聞いた、謀反などする訳がない」
「ならば……源太郎様と壬生殿が、玄馬殿に討たれたとか?」
「やめろ。御一門衆や、壬生殿の謀反を疑うのは身の破滅だぞ」
その時――
正重が近習を2名引き連れて入って来た。
「皆の者ご苦労」
そこで正重はゆっくりと諸将の顔を見渡した。
「本日、出陣した日のうちの帰城に皆も戸惑っておろう。
中佐以上の将に集まって貰ったのは、当家に滅亡の危機が訪れたからじゃ」
大広間にどよめきが起きた。
「なんと!」「滅亡……!」
次郎の兄、池田豊作が立ち上がり叫んだ。
「あり得ません! 我らに勝てる軍がどこにございましょうや!」
正重は手で制し大声で言う。
「そうだ、我らに勝てる軍などどこにもいない。だが危機が訪れたのだ! しかし心配はいらぬ。既に壬生次郎が手を打った!」
福田頼綱が手を叩く。
「おお、さすがは壬生様! ならば安心ですな! 皆の衆もそう思うであろう!」
大野虎道が頷き、大声で言う。
「確かにその通りじゃ! じゃが、滅亡の危機とはただ事ではない。その内容を御屋形様に聞かねば判断できぬぞ」
実は豊作、頼綱、虎道はサクラである。
この評定の前に準譜代家臣以上は正重に呼ばれ、朝敵になった事。
そして今後の計画が知らされていた。
福田頼綱と豊作は藤田孫次郎からこの件を聞かされ、場を誘導するようにと指示されていたのだ。
正重は深呼吸をし、静かに言った。
「……さる七日前。帝は三好の策略に踊らされ、我らを……楠予家を朝敵とする綸旨を出された」
一瞬の沈黙が流れたあと、諸将がざわめく。
「我らが……逆賊……?」
「……朝敵」
「そんな馬鹿な……!」
「三好が……」
大広間のあちこちで、小さな震えが連鎖していく。
誰もが顔を見合わせ、膝を震わせ、刀の柄に手をかける者までいた。
その空気を断ち切るように、池田豊作が大笑いした。
「わっはっは! 皆の衆、お忘れか! 御屋形様は言われたぞ、我が弟・壬生次郎忠光が“手を打った”とな!
ならば朝敵になった事への対処はすでに済んでおるはず、心配はいらん!」
大保木佐介が勢いよく立ち上がる。
「その通りじゃ! 壬生殿と長い付き合いだが、あの御方は全てを見通す目をお持ちじゃ。
楠予家の繁栄を思い出せ! 新たな食べ物、民を幸せにする統治方法、軍の有りよう、新たな道具や船、全て壬生殿が考えた……壬生殿が見誤るはずがなかろう!」
玉之江甚八も立ち上がり、場を整えるように言う。
「大保木殿の言う事はご尤も。されどまずは御屋形様から、壬生殿がいかなる策を講じられたのか、お聞きしようではないか!」
大保木は頷く。
「うむ、そうだな。御屋形様、お願い致します」
正重は頷き、ゆっくりと語り始めた。
「既に次郎は伏見宮家の貞敦親王から“令旨”を手に入れた。
その内容は――『帝の綸旨は不当、楠予家は朝敵に非ず』というものだ。
これは足利尊氏が後醍醐天皇の綸旨を、上皇の院宣で否定したのと同じ手法よ」
福田頼綱が叫ぶ。
「さすが壬生殿! 我らは朝敵に非ず!」
「おお! その通りじゃ、我らが逆賊のはずがない!」
「さすが壬生殿よ。我らの柱じゃ!」
広間に拍手喝采が広がった。
(※正重の元に届けられた、源太郎からの書状では『令旨を手に入れる計画がある』と書かれていただけだった。
だが、孫次郎が“既に手に入れたもの”として話すべきだと助言したのだ)
正重が手を上げると、広間が静まった。
「しかし――院宣と令旨では格が違う。
楠予家を出奔したい者がいるなら、今この場で去るがよい。
これまでの忠勤を鑑み、恨みはせぬ。もし、楠予家が三好に勝利したのならば、旧交を鑑み、再び迎え入れよう」
一瞬の沈黙。
その沈黙を破ったのは、長宗我部国親だった。
「御屋形様は仰せじゃ! 出奔したき者は、はよう出て行け!」
国親はぐっと胸を張り、広間を睨み渡す。
「……じゃがのう、我ら長宗我部は、帝よりも楠予家に、骨の髄まで忠義を尽くすぜよ!!」
河野通宣も立ち上がる。
「長宗我部殿ばかりに良い顔はさせぬ!
河野家も、帝よりも楠予家に忠誠を誓い申す!! 御屋形様、何なりとお申し付け下され!」
その勢いに押され、諸将が次々と立ち上がる。
「それがしも楠予家に忠誠を尽くしまする!!」
「拙者も!」
「右に同じ!」
「楠予家が朝敵だろうと構わぬ! 生涯お仕えいたす!」
正重は深く頭を下げた。
「皆に感謝する」
孫次郎が前に進み出る。
「これよりは、御屋形様に代わり、それがしが壬生次郎殿の策をお伝え致す!」
大保木が頷く。
「孫次郎殿、お願い致す」
孫次郎は真剣な顔で頷き返した。
「はっ! まずは堺――奴らは敵に回り申した!」
わずかに動揺が走る。
「堺が……」
「もう敵に回ったと……」
孫次郎は笑った。
「されど、次郎殿は義兄弟の島殿を通じ、すでに村上水軍三家を味方に付け申した! これで瀬戸内の海は楠予家のもの! 土佐の海も同じ」
孫次郎は自信満々に言う。
「これが意味するのは西国と国外の物の流れは完全に楠予家の手にあると言うこと。すなわち堺の破滅にござる!!」
長宗我部国親が唸る。
「さすが壬生殿じゃ……。物の入らなくなった堺はまちのう干上がるき。いずれ降伏するしかないぜよ」
孫次郎が頷く。
「その通り。そして――不当な綸旨を出した帝には、その座を降りて頂くと、壬生殿は仰せじゃ」
※次郎は、勿論そのような事は言っていない。
孫次郎は楠予家が新帝擁立を主導すれべ、不忠に当たると見る者が出るかも知れない。そのため全ての責任を次郎に被って貰うしかないと正重たちに言ったのだ。
都合の良い事に、今の楠予家では『次郎が言った』『次郎の考えだ』と言うのは『水戸黄門の印籠』のようなもので、皆を納得させる手っ取り早い方法となっていた。
大野虎道がわざと、驚きの声を上げる。
「み、帝にご退位頂くのか……?」
孫次郎が首を振る。
「さにあらず! 帝は京におわし退位などさせられぬ。ゆえに次郎殿は新帝を立てられるご計画じゃ!」
大保木が唸る。
「しかし、京の皇族が帝になれるからと伊予に来られるとは思えん」
孫次郎は頷く。
「さよう! そこで次郎殿は考えられたのじゃ」
孫次郎はひと呼吸置き、皆の注意を引いた。
「楠予家の先祖は後醍醐天皇の忠臣、楠木正成公である。
ならば楠予家が新帝に擁立すべきは後醍醐天皇の正統後継者――小倉宮家の雅良法印様しかおられぬとな!!」
黒岩兵衛はこの流れは作られたものだと察し、機転を効かせ加勢する。
「なるほど! 楠予家が南朝を復興させるのは当然のこと! 全ては誤った綸旨を出した今の帝が悪い! 楠予家を敵に回したのだ、帝と言えども許される事ではない!」
豊作が周囲を見回しながら、大声で言う。
「黒岩中佐の言は正しい! 俺はそう思う! 皆々方はいかがか!」
諸将は次々に声を上げた。
「その通り!」
「南朝の復興は天命!」
「異議なし!」
「楠予家こそ正義!」
「我らを捨てた帝は、我らの帝に非ず!」
大広間にいる諸将はまるで熱に浮かされたような表情で、興奮していた。
明治以前の武士は、帝への忠誠よりも家の利を優先させる事が常だった。
諸将の頭からはすでに『朝敵となったことへの恐れ』は消え、自分たちを『朝敵』と呼ぶ、帝への怒りへと変わっていた。
孫次郎は続ける。
「壬生殿はおっしゃった。雅良法印様のお世継ぎの光継様のご正室は北朝の姫君! その御子の長寿丸様は両朝の血を引く! これは南北朝の融合であると!!」
再び歓声が起こり、
大野が感嘆の声を上げる。
「さすが壬生殿!
もしや壬生殿が北朝の姫君を光継様の嫁に選ぼうと言ったのは、この時のためだったのでは!?」
福田頼綱が付け加える。
「それだけではない! 恐らく伏見宮家の令旨を得るための策でもあったのだ! 此度の帝の楠予家追討すら、壬生殿の手のうちにあるやも知れんぞ!」
兵馬が立ち上がる。
「さすが次郎! 次郎に従って誤った事など一度もない!
次郎は正義じゃ! 楠予家は何度も次郎の策で滅亡の危機を乗り越えた! 此度も必ず乗り越えられる!!」
正重は静かに立ち上がった。
「南朝の復興は楠予家の悲願であった。
しかし、時代は流れ、小倉宮家は忘れられた存在となり夢と消えた。
その夢を次郎に語った事はない」
正重は両手を広げる。
「だが次郎は全てを見通しておったのだ。朝敵という形で、帝に楠予家を捨てさせ、楠予家に新たな帝を立てる機会を作った!」
皆が頬赤らめ頷く、
正重が最後に告げる。
「この危機すらも――全て次郎の計画のうちなのだ!!」
「おおー!!」
「す、凄すぎる!」
「危機を逆に利用するとは、壬生殿は何と言うお人なのじゃ!」
「壬生殿は生き神様じゃ! ありがたやありがたや!」
次郎の知らぬ所で、諸将たちは完全に次郎に心酔した。
次郎は正重たちによって、帝に背く盾として政治的に上手く利用され、生きたまま神格化されてしまったのだ。
正重が大広間の熱気を手で制す。
「これより我らは急ぎ豊後へ戻らねばならぬ! されど手に入れた肥後を捨てれば、楠予領全体に動揺が走る。それにこの地はまだ統治も浅い、置き去りにはできぬ。大保木少将、そなた15000の兵で肥後を治められるか!」
大保木は胸を張り頷く。
「はっ! お任せ下され!」
「お待ちください!」
孫次郎が進み出た。
「大保木少将は軍部の要。豊後の軍部本拠地に戻り、全体の指揮をする方がよいと存じます」
正重は前列の諸将に目をやる。
「ならば……大野虎道准将。その方はどうじゃ」
「はっ! 黒岩中佐を参謀に付けて頂ければ、必ずやご期待に応えて見せましょう!」
正重は満足気に頷いた。
「うむ、分かった。黒岩中佐を大野准将の参謀とする。さらに池田豊作大佐と島津貴久大佐を副将に付けよう。三名とも大野准将を支え肥後の地を守るのだ!」
「「はは!」」
正重が南方を指し示した。
「残り45000は、わしとともに一旦、薩摩まで進み、そこから豊後に帰還致す!」
「「ははあ!!」」
孫次郎がさらに一歩前に出る。
「御屋形様。ここは民を落ち着かせるため、ゆるゆると軍を移動させるのがよいと存じます。急いで帰還すれば楠予家が焦っているとの噂が広がり、民が動揺致しましょう」
大野虎道准将がうなずく。
「……確かに、民心は乱せぬな」
池田豊作大佐が続く。
「なるほど! ゆるりと進めば、兵も民も落ち着くと!」
正重が唸り、腕を組む。
「されど……源太郎たちはすぐに帰還するよう申しておる。即位の準備もある……。ならば、わしだけ千の兵を率いて先に戻ろう」
孫次郎が静かに頷く。
「はい、御屋形様はすぐに戻られるべきでしょう。されど、その軍が御屋形様であると知れては、『慌てて戻られたのだ』と民は受け取ります。兵に紛れ密かにお戻り下さい。後は、御屋形様に風貌の近い者を影武者に仕立てればよいかと」
正重は頷いた。
「うむ。ならば後は頼んだ。残った軍の総指揮は大保木少将に任せる」
「「ははっ!」」
こうして正重は密かに騎馬隊を率いて豊後へ駆け戻った。
影武者には、正重と体格の近い長宗我部国親が選ばれた。
44000の軍は国親を先頭に、威風堂々と行軍し、民に安心感を与えながら豊後へと帰還した。




