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140 『伏見宮家の受難』と『次郎と村上武吉の会談』

1547年12月下旬。

伊予国・広江港。


月も雲に隠れた深夜、

波の音だけが伊予の浜に静かに響いていた。


堺の会合衆の三男坊である宗次は、冷たい潮風の中で船の縄を握りしめた。


(……なんで俺、逆賊の新帝擁立なんか手伝うことになってんねん?)


宗次は二日前、父・油屋常言に呼び出され、

「伊予へ行け。楠予家へ急報を届けよ」

と言われた時点で嫌な予感はしていた。


だが、まさか――

『朝敵となった楠予家が、新帝を立てる』などと言う大それた計画を持っていて、それを自分が手伝うなどとは夢にも思っていなかった。


伏見宮家を京から連れ出す秘密の任務。


(俺、ただの商人やぞ……?

なんで皇族の救出なんて役を……)


だが、父の言葉が耳に残る。


「宗次。堺は三好に押さえられつつある。

だが、楠予家には恩がある。わしは楠予家に付く」


宗次は深く息を吐いた。


(……しゃあない。乗り掛かった船や。油屋は楠予家に付いたんや。親父に言われた通り、楠予家に味方する……ん⋯⋯んん? いや。これはおもろいで! これが成功すれば俺は楠予家の恩人や! 御用商人になれるんとちゃうか!?)


船の舳先に、立っていた友之丞が近づいて来る。

月明かりに照らされた横顔は、覚悟に満ちている。


「宗次殿。堺まで頼みます」


俄然やる気の出た宗次が笑顔で応える。


「お任せ下さい、友之丞様! 瀬戸内の海は、庭みたいなものです。この宗次、例え楠予家が朝敵でも裏切りはしません。ずっとお味方にございます!」


「そ……それはありがたい。油屋殿の親切は忘れませぬ⋯⋯」

「はい! 油屋宗次、この宗次に全てお任せください!」


宗次の胸の奥は、逆賊の負い目など遠くへと吹き飛び、将来の期待で弾んでいた。



ーーー

3日後の深夜。

宗次と友之丞は京に潜入していた。


京・伏見宮家邸。


貞敦親王は深く息を吐いた。


(……楠予家が朝敵とは。これは近衛稙家と三好の陰謀じゃ。

今さら南朝再興などありえぬであろう。ただの言いがかりに過ぎぬ。帝は近衛に誑かされたのじゃ……)


その時、侍従が部屋に駆け込んできた。


「殿下!

伏見の裏門に……と、友之丞さまが……!」


貞敦親王は目を細めた。


「友之丞? ……ま、まさか、楠予殿の事か!」


侍従がコクリと頷く。


「はい。急ぎお目通り願いたいと……深夜にもかかわらず必死の様子にございました」


「通せ! それと邦輔を密かに連れて参れ!」

「はっ!」


薄暗い部屋に通された友之丞と宗次の二人は、親王と王子に深く頭を下げた。


「貞敦親王様。邦輔王子様。

ご無沙汰しております、本日は楠予家よりお迎えに参りました」


部屋の空気が一瞬で凍りついた。


『迎えに来た』と言う、予想外の言葉に2人とも身の危険を感じたのだ。


邦輔王子が声を荒げる。


「な、何を申す! 楠予家は朝敵ぞ! 宮家を巻き込む気か!」


友之丞は静かに首を振った。


「いいえ。宮家を“巻き込む”のではなく――宮家をお守りするために参りました」


貞敦親王は眉をひそめた。


「守る……? 何からだ。楠予家は濡れ衣を着せられただけであろう。南朝再興など、稙家の作り話ではないか。我らが帝の誤解を解く事に尽力しよう」


友之丞は、覚悟を決めたように顔を上げた。


「……いいえ。濡れ衣ではございませぬ」


貞敦親王の目が大きく見開いた。


「……な、何と申した?」


友之丞ははっきりと言う。


「帝が楠予家を見捨てたのです。

ゆえに楠予家は――新たな帝を戴き、南朝を復興させます。

楠予家は小倉宮家の雅良法印様を新帝としてお迎えする所存。その外戚としての伏見宮家をお守りいたします」


伏見宮家の一同は、まるで雷に打たれたように固まった。


貞敦親王は震える声で呟いた。


「……では……稙家の奏上は……

虚言ではなく……真実であったのか……?」


友之丞は静かに頷いた。


「はい。嘘から出た真でしょう。

あと3日もすれば、楠予家より新帝を立てる発表がされます。その前に伊予へ発たねば伏見宮家は、皇太子妃になられる慶様の御実家として、北朝の目の敵にされるでしょう」


部屋の空気が一気に張り詰めた。

邦輔王子が息を呑む。


「……3日後……新帝……? 慶が皇太子妃!?」


友之丞は静かに頷いた。


「はい。慶姫様の夫・光継様は雅良様の唯一の男子。即位後は立太子の礼が執り行われ正式な後継者となります。さらに恵姫様は、楠予家の三代目当主になられる正光様のご正室⋯⋯宮家といえど⋯⋯」


貞敦親王は、扇を握りしめたまま動けなかった。


(……南朝再興など、稙家の作り話と思っていた。帝は騙され、濡れ衣を裁可したのだと……だが……真実は逆……?)


「……では……帝は……虚言を裁可したのではなく……

“真実”を裁可したことに……?」


友之丞は深く頭を下げた。


「帝がどのような思いで裁可されたかは、我らには分かりませぬ。

ただ――楠予家に姫を2人も嫁がせている伏見宮家が京に留まれば、確実に危険が及びます。

どうか、我々と伊予へお越しください」


伏見宮家の一同は、ついに“逃げねばならぬ”現実を悟った。


貞敦親王は震える声で言った。


「……分かった。我らは伊予へ向かおう……」


貞敦親王と邦輔王子は都落ちを選択をした。


しかし――

伏見宮家の受難は、ここで終わらなかった。


友之丞が宮家の全員を伊予へ連れて行くには、あまりにも人数が多すぎたのだ。


• 親王

• 正室

• 王子たち

• 王女たち

• 侍女たち

• 女房たち

• 護衛の武士

• 下働きの者たち


伏見宮家は“皇族の家”であるがゆえに、その生活は多くの人々に支えられていた。


友之丞は唇を噛んだ。


(……全員は連れて行けぬ。

だが、親王様と王子様だけは、必ずお守りせねばならない)


結局――友之丞と伊予へ旅立ったのは、親王と邦輔王子、そして正室と子供、数名のみ。


他の皇族や女房たちは、それぞれが個々に京を脱出し、楠予家を目指すことになった。


だが――京の町はすでに三好のゆるい監視下にあった。


三好家の兵が、町の要所を封鎖していた。

そして――都落ちを嫌った者が三好家の兵に密告した。


そのせいで数名の女房と、ひとりの若い王女が、三好家の手の者に捕らわれた。


彼女たちは伏見宮家の“残党”として扱われ、屋敷に監禁される。


伏見宮家の者たちがそれを知ったのは、伊予へ着いてから3日後の事だった。


貞敦親王は目を閉じた。

(……すまぬ恭。守りきれなかった……)


邦輔王子もまた拳を握りしめる。


(必ず……必ず妹を救い出す。こうなったからには楠予家には是が非でも勝ってもらわねば……)


貞敦親王は「楠予家は朝敵にあらず。帝の綸旨は不当である」との令旨りょうじを発した。


これは、かつて足利尊氏が後醍醐天皇による『尊氏追討の綸旨』を光厳上皇の院宣によって封じ、北朝を打ち立てた時と同じ構図である。


だが、客観的に判断すれば上皇の院宣と親王の令旨では天と地ほどの開きがある。


それに伊予での即位と、三種の神器の不在。これは弁明の余地なき『偽帝』の証であった。


――しかし、

それは身分の高い者たちの法理。


公家や朝廷、その権威にすがる幕府や武士たちの理だ。


飢えや血にまみえる民や兵士にその差は届かない。彼らには雲の上の人たちの考えや争いなどよりも、明日の糧食の方がよほど大事であった。


――ここに楠予家の勝機があった。



『朝敵』とは、敵に背信を促し、内部から崩壊させ、さらには味方を多く募るための最強の外交戦術だ。


しかし、領民、家臣から見放されなければ決定打にはならない。

あとは戦に勝ちさえすれば、真実などいくらでも書き替えられる。


歴史を伝えるのは勝者の特権であり、敗者にはない――それが乱世の理だった。



ーーーー

能島・村上水軍


時は少し遡る。

友之丞が京に辿り着いた日、次郎は義兄弟の島吉利を訪ねていた。


次郎が島の屋敷の広間に入ると、

部屋には島の他に1人の少年と、中年の武将が座っていた。


中年の武将が頭を下げる。


「それがしは村上隆重、こちらは甥の村上武吉にござる」


武吉が頭を下げた。


「能島村上水軍の頭領・村上武吉にござる」


(おお! 村上武吉! なんか大河ドラマで見たぞ。あの時は多分おっさんだった気がするけど、俺より若いな!)


次郎も思わず頭を下げた。


「楠予家重臣筆頭、壬生次郎忠光にございます」


島吉利と村上武吉が互いに視線を交わし頷く。


「次郎、要件は分かっている。楠予家は朝敵となった。能島村上水軍に大内や三好ではなく、楠予家に味方しろと言うのだな」


次郎は静かに頷く。


「そうです。楠予家は朝敵になりました。しかし、村上水軍さえ味方して頂ければ、楽に勝てる相手です」


島が次郎の言葉に目を細める。


「楽にか……」

「そうです。村上水軍が――」


次郎の言葉を武吉が遮る。


「お味方致す!」


「え⋯⋯?」


次郎はいきなりの事で目を見開く。


それを見て、武吉はニヤリと微笑み、もう一度言う。


「能島・村上水軍は楠予家にお味方致す!」


「……ほ、本当ですか?」


武吉は頷く。


「それがしは覚えてはおりませぬが、幼少のみぎり又衛兵殿と、壬生殿に命を助けられたと聞き申した。

それに島が壬生殿と親しいおかげで、家督争いで村人義益に勝てました。今こそ恩を返す時にございましょう」


次郎はすっと目を閉じ、

眉間に皺を寄せた。


「……」


次郎の様子に吉利が不審に思い声をかける。


「……次郎、如何した?」


次郎には、義兄弟の島吉利にすら言っていない計画がある。それは水軍が望んでいないだろう計画だった。


好意を寄せてくれる相手を失望させるのは、次郎の好むところではない。


次郎は、意を決して目を開けた。


「武吉殿、誠意には誠意を持ってお応えします。

今が――楠予家を倒せる最後の機会です」


三人は驚き、目を見開いた。


「次郎、何を申しておる……、まさかお主、朝敵となった楠予家を見限るつもりなのか!?」


次郎は首を振る。


「楠予家が天下を取れば村上水軍は、楠予家の家臣にならなくてはなりません。『それでもいいのですか?』と、私は問うているのです」


島が驚き身を乗り出す。


「次郎、何を言い出すのだ! 村上水軍に臣下になれと言うのか!」


次郎は静かに頷いた。


「はい」


吉利は怒りでワナワナと震えた。


「……次郎、お主は昔言ったではないか! 楠予家は陸で、村上水軍は海で天下を取るのか夢だと!」


次郎は再び頷く。


「はい、言いました。

しかし、吉利兄上の考える村上水軍の天下と、私の考える村上水軍の天下は違います」


「どう違うのだ!」


次郎はゆくっりと説明する。


「楠予家以外でも構いません。誰かが天下を統一した時、村上水軍は必ず縮小を余儀なくされます」


「なんだと!」


村上隆重が島を止める。


「島、落ち着け。最後まで次郎殿の話を聞こうではないか」


次郎は、隆重に軽く頭を下げた。


「平和な世の中では武家だろうと水軍だろうと、軍の力と言うものは殆ど必要なくなります。

平和な時代に村上水軍はどの海賊から商人を守り、正当な代金として帆別銭を受け取るつもりですか? 平和な時代には村上水軍の帆別銭は商人の目には邪魔なものと映るでしょう」


島は言い返せず唸った。


「……そ、それは……」



次郎は真剣な顔で言う。


「天下人になるのが楠予家正重様なら、村上水軍の全て受け入れ、家臣にする用意があります。

能島・村上水軍には、楠予水軍の長となって、日の本全ての水軍を管理して頂きたい!」


武吉が目を丸くした。


「能島村上が……日の本の全ての水軍を管理……?」


次郎は大きく頷く。


「はい! 日の本の全ての水軍の長となるのです。これは、村上水軍が海で天下を取ったと言えるのではないでしょうか!」


武吉が興奮して立ち上がった。


「その話乗った!」


村上隆重が、武吉を手で制した。


「待て武吉。先ほど壬生殿は平和な時代に水軍は要らぬと言った。本当に村上水軍を受け入れ気か分からんぞ」


「叔父上……」


次郎は静かに言う。


「確かに日の本では警備の水軍を残して殆ど要らなくなるでしょう。

ですが――

楠予家は世界に打って出ます。

その時、水軍がいなければ何もできません」


島が目を見開いた。


「世界に打って出る? 明国に攻め込むのか!」


※島たちに取って、世界とは日本、唐、天竺のことだった。


「……えっと。違います、明国を攻めるつもりは今はありません」


島が眉を寄せる。


「明国でないならどこだ、朝鮮か?」


「朝鮮も、今のところは予定にはありません。ですがここだけの話でよいなら……」


次郎が三人の顔を見ると、武吉が頷いた。


「壬生殿。我ら三人、壬生殿の言葉を決して口外はせぬ」


「分かりました。まずは――琉球王国です」


3人がすっと目を細めた。


「琉球⋯⋯」


「はい。さらに琉球の先、そこには明国が支配していない領地があります。その地の王や領主を倒し、領地を広げるつもりです」


島が驚きで固まる横で、武吉は興味深そうに身を乗り出した。


「琉球の南にも明国以外の領地があるのですか!?」


「はい、あります。信頼できる南蛮人に教えて頂きました。その地の武器はとても弱く、放っておけば南蛮の王たちの誰かが支配するだろうと言っていました。天下を取ったあとはすぐに向かわねばなりません」


次郎は前世で知った情報を、南蛮人に聞いた事にし、さも当然のように語った。


島が信じられないと言う表情をした。


「次郎……お前はどこまで先を読んでいるのだ……」


3人はいずれ楠予家の、臣下になる事を約束した。


こうして次郎の説得により、能島・村上水軍は楠予家の味方となった。


能島村上が楠予家に与すると表明したことで、すでにほぼ臣従していた来島村上も即座に同調し、因島・村上も少し遅れてではあるが、楠予家の味方を表明することになった。


瀬戸内の海は完全に楠予家の手に落ちる事になる。



ーーーー

肥後北部

楠予正重の本陣


正重は薩摩から北上し、肥後を完全に手中に収めた。


正重は肥後を平定した後、いよいよ大友家の最後の領地となった筑後に攻め入ろうとしていた。


この日、正重は日吉城を出陣し、六万の軍勢を率いて北上していた。


その正重の元に池田城からの火急の使いが来た。


「申し上げます! 源太郎様からの急ぎの書状にございます! 楠予家存亡の危機が訪れたと!」


正重は思わず立ち上がった。


「なんだと!」


兵馬も立ち上がり、使者から書状を奪い取ると正重に手渡した。


「御屋形様! 早く内容をご確認下さい!」


正重は書状を紐解き、目を通す。


そして目を大きく見開き、唇を噛みしめながら読み進め――最後に大きく息を吐いた。


正重は静かに言う。


「楠予家が朝敵となり、堺が敵に回った。これは三好の差し金で間違いないとある」


兵馬が叫ぶ。


「我らが朝敵! それで兄上たちは!」


正重は書状を握りしめたまま、しばし言葉を失った。


「……南朝を復興させるそうだ。伏見宮家に令旨を貰い、帝が出した朝敵の綸旨を不当だと否定し新帝を立てるとある。

さらに村上水軍を味方に付け、近畿への物流を止めて堺を降伏させるそうだ」


兵馬が頷く。


「なるほど。対策は既に打たれてあるのですな。それなら兵たちの動揺も押さえられましょう」


「うむ。されどまずは日吉城に引き返す。そこで将たちにこの件を伝え結束を強めねばならん」


兵馬が頷く。

「まずは大保木佐介と孫次郎を呼びましょう。譜代重臣以外は新帝の計画を知りません。どのように伝えるべきか策を練らねば」


正重はゆっくりと頷いた。

「うむ」


正重は出陣したその日のうちに、日吉城に引き返した。


その夜、城の大広間に五十三名の将たちが集められた。


床几に座した将たちは、突然の帰城と、大佐以上の者すべてが招集されたことで重大な事が起きたのだと察した。


諸将は正重の登場を待つ間、時が経つにつれ不安を募らせていった。

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