110 畜牛と軍靴
新年あけましておめでとうございます。
「おい見てみい、あそこの家も牛を飼っとるぞ」
農民の男たちが、真律宗の寺の催しからの帰り道、牛小屋を見ながら世間話を始める。
「最近はどこの家でも牛を飼う者が増えたのう」
「そりゃあ飼うわい。楠予様のおかげで税率は三割になって銭に余裕あるんや。それに育てた牛は楠予様の所の屠畜部門ってのが、ええ値で買うてくれるんや。わしの家でも雄の子牛を一頭飼い始めたぞ」
中年の男が自慢げに笑った。
真律宗が肉食を推奨するようになって約2年。
楠予領では今、牛の飼育がブームになっていた。その原動力は、次郎の作った牛を楠予家の屠畜部門が買い上げるシステムにある。
買い上げた牛は屠畜部門で処理され、肉となり楠予家の飲食店に卸される。そこで調理され『牛丼』『すき焼』『焼肉』『牛しゃぶ』『野菜炒め』。果ては『野外バーベキュー』などになり提供される。
なおバーベキューは、瀬戸内で獲れた海の幸、ハマグリ、 サザエ、アワビ、そして次郎が教えた養殖技術で育てたクルマエビなども食材として出され、裕福な商人や、塩飽衆の船乗り、高級軍人などに大人気であった。
残った牛の皮も貴重で、馬具・鎧の裏張り・籠手、水袋・道具袋などに使われる。
ただ最近は皮が余るようになったので商業部門が輸出しようとしたところ、次郎が『待った!』をかけた。
次郎は牛革と聞き、以前から欲しかった革靴を思い出したのだ。そして、
――洋式の軍靴などが開発された。
そのため楠予家では急きょ商業奉行に靴部門が追加され、靴職人が育成された。
この300年以上早い革靴の、本格的な国内生産により、牛皮は以前よりも高値で取引されるようになる。
牛の皮で出来た靴は高級品として、楠予家の店で販売され商人たちが己のステータスを誇示や、贈り物にするため高値で買い求めた。
ただし軍靴については店先では販売されず、楠予家の将校に優先して支給された。一般兵にも支給されたが、いざと言う時にしか使わないようにと厳命があった――牛の増産が始まったばかりで、一般兵に常時使用させるには牛の皮が足りなかったのだ。
ゆえに兵卒の中には軍靴を商人に売る、不心得者も現れた。だがその数は多くはなかった。
それは楠予家の給料が高く、兵卒でも金に困っていない事。そして軍靴は自分の身を守るための貴重品だからだ。
軍靴は草鞋と比べると数段性能が上がる。
軍靴の効果。
①足の疲労が減る(長距離行軍が可能)
②足の保護力が段違い
足の怪我(マメ・裂傷・凍傷)が激減
③静音性が高い(夜襲・奇襲に有利)
④修理し再利用できる(草鞋は使い捨て)
⑤火縄銃兵との相性が良い
火縄銃の反動で踏ん張る時、草鞋では滑りやすい。
若い男が呟く。
「みんな牛を買ってええのう、わしも買おうかのう……」
年配の男が言う。
「そりゃ買わな損ぞ。五歳までは牛を田畑で働かせて、そのあと半年休ませて太らせたらええ」
「なんで五歳までなんや?」
「牛はな、年を取ると肉が固くなるんぞ。ほやけん6歳を超えると楠予様が高く買ってくれなくなる」
若い男は首を傾げる。
「そうなん? じゃあ、半年休ませるとか、太らせるとか言うのは何なん?」
「それはな、牛は昔から食べる前には働かせないものなんよ。その方が肉が落ち着く。あと、太らせろって言いだしたのは楠予様じゃのう。脂身があった方が美味いと言われてな」
若い男は腕を組み悩む。
「牛……欲しいのう……。 でも大きな買い物じゃし……。あっ、牛が途中で死んだらどうすんだ! 買ってすぐに死なれたら丸損じゃねえか! やっぱり怖くてよう買えんわ!」
中年の男が笑う。
「安心せい、楠予様の所で買った子牛は、途中で死んでも買った値段以上で買い取ってくれるんじゃ。皮も使い道があるからのう」
「じゃあ、楠予様の所で子牛を買えばええんか?」
「ほうじゃ。ただし楠予様の――」
3年前、次郎は牛の飼育を始めるにあたって、まずメス牛を中心に買い集めた。そしてオスは、“優秀な牛”だけを選んで買い、増産と品種改良を同時に始めたのだ。
産まれた子牛は、メスと優秀そうなオスを残し、他は農家に育てさせるために売った。この時「売った値段以上で買い取る」ことを保証した。
(だだし制約がある。買った子牛を自分たちの食料にしてはいけない。死骸でも必ず屠畜部門に買い上げて貰う。などの規則があり、破れば今後の取り引きが出来なくなる)
そして農家に取ってもう一つ重要なのが、楠予家が売った子牛以外は、屠畜部門が買い上げないという決まりである。
これにより次郎は、牛の流通そのものを完全に楠予家の独占市場としていた。
若い男が「なるほど」と頷く。
「それは楠予様のとこで買わんと怖くて買えねえな。村の農家から買ったんじゃ、買い取ってくれねえんだろ」
「ほうじゃ。しかも楠予様の子牛は買った以上の値段での買い取りが保証されとる。わしらは牛に草を食わせるだけで、牛を使って田畑を耕せた上に、最後は売って大儲け出来る」
若い男は驚きで目を丸くする。
「なんじゃそりゃ……。それじゃ、農民が得をしてばかりじゃねえか! 楠予さまは仏様なんか!」
中年の男がニヤリと笑う。
「心配せんでもええ。楠予様も肉と皮が手に入り、ちゃんと儲けとる。これはな、民とお上、両方がほくほくになる政策なんじゃ」
若い男がガッツポーズする。
「うおおおお! 楠予様は天才じゃああ! こりゃあもう買うしかねえだろ!!」
そこで中年の男が水を差す。
「あっ、言っとくが、牛が盗まれた場合は、最悪、牛の遺体と犯人を捕まえないと買い取って貰えんからな」
若い男が両手を上げたまま硬直する。
「……え?! 牛って盗まれるん?」
「そうじゃ。近くでは無いが、ずっと遠くの村ではあったらしい。何でも隣村の男が夜中に牛小屋から盗んでいったんじゃと」
「何で隣村の男って分かったん? 人違いじゃないん?」
中年の男は笑いながら首を振る。
「ええか。楠予様の牛にはな、焼き印が入っとるんや。この番号で盗んだ牛だとバレて、牛泥棒を働いた奴は捕まったんじゃ」
若い男は呆れる。
「バカな奴もいたもんじゃのう。って、あれ? 番号ってなんじゃ?」
「おお、番号いうのはな、牛ごとに付けられた印のことよ。焼き印の横に、一本線とか二本線とか、丸とか三角とか奇妙な印を付けとるんじゃ。お役人様はそれで“どの牛”がどの農家に売られた牛かが分かるらしいぞ」
「おお、すげえな。よし決めた、おらも楠予様の牛を買うぞ! ほいで、牛を使って畑をもっと広げて、めんこい嫁を貰うんじゃ!!」
がたいの良い男が肩に手を置いた。
「そうか、これでお前も一人前じゃのう。あの雑木林を見てみい、わしの村はな、この冬のうちに、あれを切り開くんじゃ」
「そうなん! ほいじゃ、権助さんの村はまた田畑が広がるんじゃのう」
「おうよ。なんと言うても牛がおるから田畑を耕すのが早いんじゃ。そしたら時間が余るじゃろ。あの雑木林だって、人の手じゃ三年かかるとこを牛がおればすぐに済むわ」
若い男は感心する。
「やっぱり牛は凄いのう。なんでわしらのご先祖様は今まで牛を育てなかったんじゃろか?」
中年の男が応える。
「そりゃ昔は税が重うて、牛を買う余裕なんてなかったからな。
それに真律宗以外は牛を食べたり殺したらアカンやろ。やから年取った牛は力が落ちて働きも悪いのに、死ぬまで飼わなあかん。それで死んだら死んだで、皮はご領主様の物になる」
中年の男は過去を思い出しため息をつく。
「もちろん、皮は買い取ってなんてくれんかったで、ただの没収や。それに楠予様みたいに“途中で死んでも買い取る”なんて仕組みも無かったから、買ってすぐに牛が死んだら大損やった。こんなんで買おうとは思わんやろ?」
若い男が『あっ』と掌を叩く。
「でもさ、オスとメスを飼って増やせば、あとは増やし放題じゃないのんか?」
中年の男は再びため息をつく。
「あほか。普通の農家はな、牛が一頭おれば十分なんじゃ。田んぼの広さが知れとるからのう。やから二頭目なんか飼っても二頭目には仕事がない。やから牛を何頭も飼えるんは、名主様や庄屋様みたいに田畑が広い家だけやったんや」
若い男は再び掌を叩く。
「そうじゃ! じゃあ庄屋様が増やして、無料で村人に子牛をくれたらえんじゃないのか?」
中年の男はあきれ顔をする。
「ほんまアホやな。誰がタダで子牛を人にやるんや。牛は増やすだけでも餌代も手間もかかる。やから病気で死んだら丸損じゃ。庄屋様かて“必要な分だけ”しか飼わんのやで」
若い男は唸った。
「そうやったんか。……でも、そうなると、今の仕組みを考えた楠予様はやっぱり凄いのう。元は村の村長様と聞いたが、ほんにわしら農民の事をよう考えてくれるご領主様じゃ」
がたいが良い男が言う。
「ただその代わり楠予様は変わり者じゃけどのう。この前、お役人様が来てな。『雑木林を開くのは良いが、道沿いに木を植えろ』と言うんじゃ。
何でか聞いたら、楠予様が『何もないだだっ広い田畑では、風が吹いて作物が傷む』と言われておると言われてな」
細身の男がぽかんと口を開ける。
「は? 何のことや、何で風で作物が傷むんや? ほんま、楠予様のやる事は分からん事が多いのう」
心当たりが多い男たちは、腹を抱えて笑った。冬の冷たい風が吹き抜ける参道に、しばし笑い声が響く。
「まったくその通りじゃ、でもわしは楠予様が言われる事なら何でも聞く。でないと罰が当たるわ」
中年の男の言葉に皆が頷いた。
「ほうじゃ、ほうじゃ。結果を見れば楠予様が正しいんじゃ。言う事を聞いておけば間違いない」
「楠予様は民にただ働きをさせん良い御領主さまじゃからのう。働いたら働いた分だけの銭をくれる。前のご領主様とは大違いじゃ」
がたちの良い男が感慨深そうに言う。
「この数年でわしらはずいぶんと豊かになったのう。新しい農具も増えたし、税率も五割から三割にしてくれた」
中年の男が頷く。
「そうじゃな。その、おかげで、かあちゃんからは――
『隣の嫁はまたええべべ(着物)買うた、私にも買うて』
――って強請られて困っとるけどなぁ」
「「わっはっはっは!!」」
男たちは笑いながら、肩を叩き合い、参道を下る。
寺の鐘の余韻がまだ空気に残り、村全体がどこか明るく、柔らかかった。
この数年後、牛による耕作は楠予領では当たり前となる。そして次郎が考案した手押し式田植え機や稲刈り機が普及すると、農作業にかかる時間は驚くほど短くなった。
このため、これまで家族総出で働いていた農家は、人手が余り、その余力を使って田畑を買い足し、規模を拡大する者が出る。農業は“家族の営み”から“事業”へと姿を変え、村には大規模農家が生まれ始めたのだ。
一方で、家に残る必要がなくなった次男坊や三男坊、あるいは田畑を手放した人々は、自然と大きな町へ向かうようになる。
幸いにも、次郎の改革によって主要な町では常に人手が不足していた。道路や用水路、建物の建設、砂糖や靴、薬や石鹸の工場、さらには軍部に至るまで、どの現場も働き手を求めていた。
こうして農村で余剰となった労働力は、次郎が整えた新しい産業へと吸い込まれ、池田の里はさらに活気を増し、かつてない勢いで膨らんでいくことになる。




