111 『土佐連合』
1543年9月中旬。
土佐七雄の一人、
長宗我部氏の居城・岡豊城
長宗我部国親は、楠予家の土佐侵攻に対して七雄の中で真っ先に反応した人物だった。
国親は楠予家が一条家に侵攻したと聞くや否や、正重に書状を送り、同盟と引き換えに協力を申し出た。だが正重の返答は『必要ない』という素っ気ないものであった。
この対応により国親は、楠予家を敵と判断し、『一条家の城を囲む楠予軍の急襲を狙い』密偵を放った。
だが結果は予期せぬものであった。
楠予の軍勢は中村御所を囲んでおらず、中村御所に近い栗本城を根城にしたという。
国親は困惑する。
「栗本城を付城の代わりにする気なのか……いや、まさかそんな筈は……」
国親は頭を振り、付城と言う考えを追い払った。
通常、一条家クラスの大名の居城を攻略するため付城を行う場合、周辺の城砦を全て落としてから行う。そうしなければ敵に兵站を襲われ、食料不足になるからだ。
「ともかく城に籠もっているのならば急襲は出来ぬな」
国親はそう呟き、楠予家の兵站がくずれるのを待つ事にした。
それから暫くして、密偵が再び情報を持ち帰ってきたが、それは『楠予家が一条家を無視して領土支配を開始した』と言う耳を疑うようなものであった。
国親は密偵に問う。
「どういうことながぜ? 楠予家が奪った城を付城代わりにしちゅう、そこまでは分かった。じゃが、なんで一条家の民が、あんなに易々と楠予家を受け入れたがじゃ?」
「はい。それは一条家の民の間では、以前から楠予家の評判が高かったのです。そのうえ楠予家は、一条家との戦のあいだは年貢を一切取らないと約束し、さらに庇護まですると伝えました」
国親は信じられぬと眉間に皺を寄せた。
「それだけで……民が楠予に靡いたがか……」
「……殿。実は長宗我部家の民たちの間でも、楠予家の評判は高くなっております。楠予家の政策は民の喜ぶものが多く――」
楠予家は税率を三割に定めた頃から、敵国の民の評判を得るための働きかけを始めるようになった。その効果は河野家への侵攻の際、はっきりと表れた。この報告に目を留めた次郎は、
『そういえば“プロパガンダ”とか、未来でもよく聞いた気がするな……』
と、ほとんど思いつきのように他国の民を味方に引き込むプロパガンダ作戦を考えついた。
その一環として、土佐ではすでに半年以上前から楠予家に属する行商人たちが、楠予領の税の安さや民の豊かな暮らしぶりを説いて回り、着実に民心を楠予家へと向けていたのである。
国親が唸る。
「税率が三割っちゅうのは聞いちょった。
じゃが、民を楠予家が使う時には一日に最低五文、普通に働きゃ十五文出す……それは真ながか?」
「真のようです」
「……っ。ならば農機具はどうながよ!
年貢を納めゆう民に、最新の農具をタダで貸し出すっちゅうがは、どう考えてもホラじゃろうが!」
密偵は首を振る。
「真のようです。楠予領となった元西園寺領では、すでに池田の里の工房から次々と農具が届けられ、貸し出されていると、もっぱらの評判です」
「馬鹿な! 民にタダで農具を貸し出して、いったい何になるがよ!」
密偵は静かに続けた。
「楠予家の説明では、『民に貸し出した農具の代金は、増えた収穫分の年貢で賄える』ゆえ、民を豊かにするために貸し出しているのだ、と」
国親が崩れ落ち、床に膝を付いた。
「そんな綺麗事を……楠予家は押し通す力を持っちゅうがか……」
最新の農機具を貸し出す表向きの理由は、民を豊かにするためだ。
だが次郎の本心は、もちろん別にあった。
第一の目的は民心を掴むこと。これが最も重要である。
第二に、収穫量が増えれば年貢も増えるが、民が使える金も増える。民が金を使えば経済が回り、その結果、楠予家の商業部門の利益はさらに膨らむ。
農機具の製作費が数倍の利益になって返って来るのだ。
国親は密偵の報告から、「楠予家には勝てぬ」と悟った。
そして家臣を広間に集め、自らの下した結論を述べた。
国親の妹の夫・吉田孝頼が、思わず声を上げる。
「殿! 真に楠予家の家臣になるがですか!?」
「そうじゃ。ただし、それは楠予家が本当に一条家に勝った時の話じゃ。
もし負けるようなら、わしの見込み違いじゃったと言うて、この約束は反故にする」
国親の弟・長宗我部親吉が言う。
「では……一条家に勝つか負けるかで、真に楠予家に降るかどうかが決まるちゅうことながですか?」
国親は静かに頷いた。
「そうじゃ。楠予には、今すぐ所領安堵と引き換えに家臣になる約束を取り付けるがよ。じゃが楠予家が負けるようなら、この話は無かったことにするぜよ。皆もそれでえいか?」
「「ははっ!」」
それから二月も経たぬうちに、一条家は楠予家に降伏した。
そして『所領安堵を条件に臣下になりたい』との国親の申し出に対する正重の返事も直後に返ってきた。答えは『臣下にはせぬ』という拒絶であった。
国親は怒りで書状を破り捨てた。
「おのれ楠予め……! 長宗我部に、なんちゃあ恨みがあるがじゃ!」
吉田孝頼が声をかける。
「殿……楠予家は、所領安堵を断ってきたがですか!」
国親は荒い息のまま孝頼を睨んだ。
「断られたわ! 所領安堵どころか、臣下にもせんと言うてきたがじゃ!」
長宗我部親吉が激怒する。
「おのれ楠予が! 長宗我部の意地、見せちゃらんといかん!」
重臣の江村親家が同意する。
「そうながじゃ。土佐者の意地、見せないかんぜよ!」
国親が低く唸るように言った。
「楠予家は、土佐の国人衆を皆殺しにする気じゃ。ほいたら、こっちは連合を組まんといかんがじゃ。吉良にも、本山にも、安芸にも声をかけるがぜよ!」
長宗我部親吉が力強く頷いた。
「そうじゃ、四つの家が本気を出しゃあ、七千は集まるぜよ! これは土佐を守るための戦じゃき!」
こうして国親は楠予家に対抗すべく三家に書状を送った。
四家が力を合わせれば七千の兵が動く。地の利もある。戦えば五分、いや六分は勝てる――
国親はそう信じていた。
だが、五日が過ぎても、土佐の国人衆からの返事はなかった。
岡豊城の広間には、重い沈黙だけが落ちていた。
国親は広間に広げられた地図を睨みつけ、低く唸った。
「……本山も、吉良も、安芸も……何をしちゅうがじゃ。土佐が呑まれゆうがを、見て見ぬふりか」
長宗我部国親が苛立たしげに拳を握る。
「四家が手を結べば七千じゃぞ。地の利もある。勝てる戦じゃき! 何を迷う必要があるがぜよ!」
孝頼が、ためらいがちに口を開いた。
「……殿。三家が迷う理由は、ただ一つにございます。それは楠予家の兵が、六千では無いと言うこと……」
国親が眉をひそめた。
「どういうことぜよ!?」
孝頼が静かに答えた。
「楠予は、河野を倒し、宇都宮、西園寺、一条まで飲み込んじょります。
あれだけの国を呑んだ勢力じゃ……総兵力が二万を超えちゅうても、おかしゅうはござらん。今、土佐に攻め入っちゅう六千は、先鋒にすぎんがじゃ」
広間の空気が、さらに重く沈んだ。
親吉が声を震わせた。
「二万……!? そ、そんな大軍、ほんまにおるがか……!」
孝頼は静かに首を振った。
「数は分かりませぬ。じゃが、河野も宇都宮も西園寺も一条も……これだけの数の家を呑んだ国じゃ。兵が何万おっても、不思議やないがです。六千は、その“先に出しちゅう分”にすぎんがじゃ」
国親が拳を握る。
「なら本山も吉良も安芸も、そこを恐れちゅうがか!? 六千に勝てても、その後ろに控えちゅう兵がどれほどおるか分からんと、見えん兵を恐れとるがか!」
孝頼が、国親の怒声を正面から受け止めるように、深く息をついた。
「……殿。三家が恐れちゅうのは、まさにそこながです。六千そのものやない。六千の“後ろ”に、どれだけの兵が控えちゅうか――それが分からんことが、一番の恐ろしさながです」
国親は眉をひそめた。
「……ほいたら、本山も吉良も安芸も、“六千だけとは思うちょらん”っちゅうことながか」
孝頼は静かに答える。
「さよう。六千に勝てても、その背後に控えちゅう兵が動いたら終わりじゃき。三家は、それを恐れちゅうがです。“勝った後に何が来るか分からん”き、踏み出せんのです」
国親は唇を噛みしめた。
「……見えん兵に怯えて、土佐を差し出すつもりちゅうがか!」
広間には、再び重い沈黙が落ちた。
広間の空気が張りつめたまま、誰も口を開けなんだ。
その時――
「安芸殿よりの使者、公文重忠殿、ご到着!」
廊下の向こうから、鋭い声が響いた。
国親がはっと顔を上げる。
親吉も思わず立ち上がった。
「安芸が……返事を寄こしたがか!」
襖が静かに開き、具足を身に纏った公文重忠が深々と頭を下げた。
その顔には、疲労と緊張が色濃く刻まれちゅう。
国親が一歩踏み出す。
「安芸殿の御返答は……どうがか?」
公文重忠は、国親の前で姿勢を正した。
「……元泰様は、長宗我部殿と共に戦う覚悟はあるがよ。楠予が土佐の国人衆を滅ぼす気なら『戦うて死ぬ』と申されちょります」
国親が目を見開いた。
親吉も思わず息を呑む。
「……ほいたら、安芸殿は……!」
公文重忠は力強く頷いた。
「……六千じゃろうが、一万じゃろうが、安芸は戦うぜよ。されど元泰様はご高齢、ゆえに嫡男・国虎様が代わりに出陣されるがよ」
親吉の顔に、はっきりと安堵が浮かんだ。
「やっぱり安芸は頼りになるぜよ……!」
公文重忠は続けた。
「国虎様は申したぜよ。長宗我部が立つなら、安芸も立つ、と」
広間に、わずかながら光が差したような空気が流れた。
国親は深く頷いた。
「……安芸殿に感謝するぜよ。本山も吉良も動かん中で、安芸だけが土佐を見捨てんかったがよ」
公文重忠は国親の目を真っすぐ見て言う。
「安芸は、座して死ぬ一族やない。戦うて死ぬがや」
国親は重忠の手を取って、力強く言った。
「感謝するがよ。長宗我部も座しては死なんぜよ!」
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2週間後。
長宗我部家と安芸家の連合軍三千五百は、朝霧の立ちこめる岡豊城に集結し、静かに出陣した。
槍の穂先が揺れ、馬の鼻息が白く煙る。
列の先頭には、国親と安芸国虎の旗が並んで翻っていた。
国親が兵たちに告げる。
「……行くがじゃ。これは土佐を守る戦いぜよ」
「「おおっ!!」」
国親の声に、兵たちが鬨の声を上げた。
たとえ楠予の六千が先鋒であろうと、その後ろに何万いようと関係ない。
土佐を守る――その思いを胸に、両家の家臣も兵も意気軒高に城を出た。
国親たちの“土佐を守るための戦”が、始まろうとしていた。




