エトランゼ 3
「ウチのパパ、……お父さんは、私に興味がないんだ」
アオはユイに目を向けただけで、何も言わず黙ったまま。
「何でこのバイトしてるかってことでしょ?」
「………」
「お母さんは、お父さんの帰りが遅いのをいいことにね、外で誰かと会ってるの」
「………」
「気持ち悪いね、ウチの親って。お父さんは家で顔を変えない。一切笑わないし、滅多に喋らないの。お母さんはお母さんで、変な作り笑いと無表情の顔しかしない。2人ともお互いに、……私にも無関心なんだ……」
「………」
「それで、そんな家の中に……そんな2人の空間に、私がいる。何かを頑張っても……話す相手がいないんだ、私」
「……そうか」
「あなたに話してもしょうがないよね。でも話したいんだよね…。私、親のこと嫌いなんだー。多分死んでも泣かない、ってね」
「………」
「他のお父さんとお母さんは、こんなんじゃないんだろうなぁって思ってね、余所がすごく良く見えるの。余所んちの子供になりたいって思うの。あそこのお父さんとお母さんの子になりたいって。おかしいかな?」
「……いいや」
家族が揃っていようとも、その様が異様な人たちを何度も見てきた。
意味もなく振るう拳や吐く唾、それを避けるに避けられない関係。
ユイの事情もまた、計り知れないところなのだろうか。
「あなたは私に、何でこんなバイトしてんだ、って言わないの?」
「いやぁ、言わん」
「ふーん…」
鼓舞するように自分のことを信じる。
7に足りようとする正義。
自分を進め、完結させる理想の道徳。
ユイは制服のスカートから出た膝を両手で撫で、そこへ目を落としたまま口を噤んだ。
それきり、次の言葉はなかなか出て来ない。
……こいつも救われんとのぅ。
「ユイ」
「……ん?」
「ワシャぁ殺し屋なんじゃ」
「はあ?」
「ワシャぁ今まで、そうよのぅ…お前、高校生なんじゃろ?お前の学校の一クラス分くらいは人を殺したかのぅ」
「………」
「そうやって金を儲けて生きとるんじゃ」
「………」
ユイは目を見開いてアオを見、黙った後、クスッと笑った。
「アハハ…ッ!で、名前は何だっけ?」
「メロスじゃ!」
「アハハハハハハッ!!」
笑っているユイを笑顔で見ていた。
大きな口を開けてあどけなく笑う顔は、昼間街を行き来している若い子たちと変わらない。
「ハハッ!だからね、仕返しなの」
「ん?」
「こんなバイトして、両親に仕返ししてるの、私」
「……そうか」
そこから話は家のこと、夜の街のこと、同僚のこと、好きな食べ物のことへと移って行った。
時折楽しそうな笑い声を上げながら話すユイの声は、初めの芯のないものではなかった。
アオはそれに相槌で応えながら、彼女の表情を微細に観察している。
もちろんユイの両親は、彼女がこんな夜の仕事をしていることなど知らないだろう。
見えない抵抗。
知らない攻撃。
……傷ついているのは、一体誰なんだ?
少しの間話をし、それが途切れたところで、アオはユイに先にシャワーを浴びるように促した。
彼女が浴室に消えるとすぐに聞こえ始めた、微かな水の音。
「………」
それが止まないのを確認し、アオは静かに立ち上がる。
ユイがずっと持っていたカバン。
ベッドの上に投げられたそれはとても使い込まれた、それこそそこいらの女子高生が持っているような紺色のカバンで、それがずっと気になっていたのだ。
アオは、うさぎのぬいぐるみが付いたカバンのファスナーを開け、中を探ってみた。
まず最初に目に留まったのは、内ポケット。
そこに何か入っている。
それを何気なく取り出してみたアオは、
「……ナニ?」
そう言ったきり、絶句する羽目になった。
深緑のカバーが掛けられたそれは、何と学生手帳。
表紙を捲ると、
『○○立○○○高等学校 3年○組 日高ユイ』
手帳に記された、それらの文字。
「………」
噂では聞いたことがあった。
しかし、本当にこんな仕事をしている女子高生に会ったのは初めて。
『ユイ』というのも、もちろん本名。
「ワシと同い年……ほんまの高校生が……。これで決まりじゃのぅ。……チッ!」
アオは唇を噛み、耳を引っ張り上げる。
……7に届いた。
ビックリするじゃろ?
ワシらと同い年で、あいつ。
お前も切羽詰まりゃぁ、こうしたか?
ユイの行動は悪か?
ワシから見りゃ、……少なくとも悪意はないように見える。
これまでも、ユイは何回も客を取って来たんじゃろうのぅ…。
あいつが欲しいんは、どうやら金じゃないようじゃ。
そんな人生もあるんじゃないか?
のう?
違うか?
アオは手帳をカバンに戻し、ソファに座り直してユイがシャワーを終えるのを待っている。
テーブルの上に2つのグラス。
そこへ赤い、綺麗な酒を注いで。
やがて、ユイがバスローブを羽織って浴室から出てきた。
ベッドの足元を過ぎた時、ソファの前のテーブルに酒が用意されていることに気づき、
「…あれ?」
その声に、アオが笑う。
「まぁ、飲もうや」
「私、お酒は…」
「ちょっと付き合うてくれや。の?」
「……うん」
ユイは戸惑いながらもソファに座り、グラスを手に取った。
アオの狙いはこの時間ではなく、この後。
7の正義。
自分の真実。
テーブルを挟んで向かい合い、2人で酒を飲み始めて10分後。
ユイの顔は真っ赤になり、その更に10分後にはソファに沈むようにして寝入ってしまった。
アオは意識を落としたユイのバスローブを剥ぎ取ると、裸の彼女を抱き上げてそっとベッドへ寝かせてやった。
肩が出ないように布団を掛け、それから浴室に置いてある彼女の服を全て集めてテーブルの上に畳んで置いた。
これで多分、朝、目覚めた彼女は迷わない。
彼女の『仕事』は済んだのだ。
アオはユイのカバンに1万円を入れておこうかと思ったが、それはやめておいた。
人のプライドはどこにあるか分からないから。
ユイは正直に、自分のプライドを話したから。
論じるよりも感じてみる。
感じるよりもこの目で見、黙然する。
届いた場所で握ったものは、7の正義。
隆替の姿を見る前に、この意志を貫通させる。
「ユイ、もう迷わんでエエぞ。もう会うこともないがの。早うワシのことを忘れてくれぇのぅ…。まぁ、ゆっくりして行きんさい」
赤い頬をして眠るユイのあどけない顔は、とても愛らしいものだった。
「……―――― さて、と」
灘での出来事は、自分たちに関係のあることなのか。
泣きを入れない自分たち、……彼方の真実はほど遠い。
10月20日 27時と少し 曇り
そこは、ホテルから車で15分ほどの場所にある一軒家。
アスファルトに響かぬよう、ゆっくりと走るアオ。
その家の玄関ポーチはとても立派で、アオが到着した時、カクゲンはちょうどそこでドアと向き合っている最中だった。
「悪ィ!遅れた!」
声を忍ばせ、アオが声を掛ける。
「……遅ェ!遅刻だ!1人でやろうと思った!」
「すまん、すまん」
カクゲンはこちらを振り向くことなく、鍵穴を弄っている。
「……開かんのか?」
「……ミスったよ。この針金じゃ柔らかすぎて開かない……」
「う~ん……できればこの家を移動してからしたかったのぅ。しょうがないのぅ…」
「……ん」
2人はドアの鍵を開けることを諦めて、その場に座り込んだ。
「何時に帰るんかいの?」
「……大体4時くらいだよ、いつもは」
「「………」」
まだ時間がある。
2人が立ち上がり、場所を移動して身を隠そうとした時、車のエンジン音とライトがこちらへ近づいてきた。
「……早いのぅ」
「………」
2人は即座にポーチの柱を昇り、屋根の天井に張り付く。
程なくしてすぐ近くでエンジンが止まり、続いてドアの閉まる音がした。
……1人か。
パターン通りじゃ。
近づいて来る不規則な靴音。
2人の真下を、千鳥足が通過して行く。
帰宅した男はギイイと音を鳴らしてドアを開け、ふらりふらりと家の中へ入って行った。
バタンとドアが閉まると、カクゲンがすぐさまストッと下に降り、鍵穴に細工をする。
それから間もなく男が施錠する、ガチッという音。
「……OKだ!」
声を忍ばせ、完了を告げたカクゲンを見て、アオも天井から飛び降りた。
「閉まっとらんか?」
「……ああ。あいつも酔ってるしね。大丈夫だよ」
暗闇の中、慣れた2人の会話は誰も聞いてはいない。
周りに変化はなく、静寂にひび割れもない。
膝をついたカクゲンは、次に家の壁に耳を当てた。
「………」
「……どうじゃ?」
「……うん、水の音がするね」
「そうか。じゃあ止まった2分後じゃ」
人に隠れる2人の動きは、誰も見てはいない。
ここは既に終わってしまったかのように、1人も、猫の子すら。
「「………」」
アオはジャンパーのポケットから金具を取り出し、右腕に嵌める。
カクゲンは背中から50センチほどの長物を取り出し、腰のベルトに通す。
「カクゲン、締まれよ」
「……ああ」
さあ、ここからが本番。




