エトランゼ 2
部屋を出てアオが歩き出すと、彼女は歩調を合わせるように後をついてきた。
「おい、アンタ、腹減っとらんか?」
「……いいえ」
「そうか」
アオは速度を緩めて彼女が追いつくのを待ち、2人は並んで歩く。
しばらくは無言だった。
しかし、裏道からあと数メートルで表通りへ抜けるそこで、彼女が控えめに声を上げた。
「……そのお酒を飲む場所は、私たちの方で決まってますんで。ご用意がよろしければこちらに……」
暗がりへ促すその言葉。
色を映さない……色を拒むようにこちらを見上げる彼女の目を、足を止めて見返してみた。
そして、
「おい!」
彼女の言葉は振り払う。
「はい?」
「アンタの名前、何て言うんじゃ?」
「アカネです」
「違うで、本名よね」
彼女は少し間を置き、
「……アカネです」
同じ調子で繰り返すその返事・対応に、アオは笑って、
「まぁええわい。本名言うまでアンタは『アンタ』じゃ。ワシャぁ3万も出して酒を買うたんじゃけぇ、アンタにゃ今晩、ワシの女になってもらうで」
そう宣言するように言うと、無言の彼女の腕を掴み、細い体をぐるりと一回りさせてひょいっと抱き上げた。
「ッ!!」
驚いた彼女が首を竦める。
「どうじゃ!お姫様抱っこなんざ久しぶりか!それとも初めてか?ワシャぁ走るん速いで!ビビるなよー!」
言い様、アオは細い通りを飛び出し、夜の人混みの中を走り出した。
歩道を蛇行し、ターン!
助走をつけ、擬石の車止めを踏み台にし、大きくジャンプ!
「ちょ、ちょっと!!」
「ハハッ!怖いか?オモロうないか?!」
擦れ違う人々が何事かと振り返り、2人を見る。
「こ、怖いし、恥ずかしい!降ろしてください!」
「ヒャッヒャッヒャッ!恥ずかしいはないじゃろ!1人で騒いどるんならまだしも、ワシと一緒なんじゃけぇ!アンタ1人じゃないんじゃけぇ!」
「………」
アオははしゃぎながら歩道を走り、飛び上がり、彼女を空中に放り投げ、振り回す。
「ほ~らよッ!!」
「ヒャッヒャッヒャッヒャッ!!」
「アンタ、軽いのう!!ちゃんと食うとるんか!?」
「ちゃんと掴まっとかんと落ちるで!!」
「アーッハッハッハッハッ!!」
彼女は両手をアオの首に回し、恐る恐るといった様子で過ぎ行く景色を見つめている。
「ほらよっ!と!」
人を避け、何度めかのターンをした時だった。
「………」
腕の中で笑みを浮かべた彼女と目が合った。
「面白いか!?」
「……うん」
「じゃあ笑うとけ!その方がアンタはベッピンさんじゃあ!」
「……うふふ……あははは!」
アオと彼女は明るい通りで一騒ぎし、その後そのまま2人で夜の街を堪能することにした。
このくらいの時間だと、表通りにはまだ高校生くらいの男女がうろうろしている。
都会では、1日中遊ぶ場所には困らない。
……時代は随分変わっての、便利になったんじゃ。
たった数年でで?
見せたかったものがたくさんあるよ、…ほんま。
「ワシャぁゲームが苦手じゃけぇ、アンタが教えてくれ。アンタとメシを食うのに、腹ごなしがしたいんじゃ」
「うん」
ゲームセンターにカラオケ、食事。
次から次へと場所を変え遊び回ると、瞬く間に時間は過ぎて行く。
最初アオの態度に困っていた彼女は、だんだんそれに慣れて来たようだった。
食事の途中、何かの拍子に自分の名前を『ユイ』と名乗った。
彼女のその行儀に応え、それ以降『ユイ』と呼ぶことにする。
10月20日 26時
「あそこの焼き鳥、美味かったのぅ!」
「うん!美味しかった!」
「ユイは酒が苦手か?」
「……18歳だから、飲んじゃダメでしょ」
「ハハッ!マニュアルにそうあるんか?まぁエエわ。飲みとうなったら言うてくれ」
「………」
彼女が時折見せる伏し目がちな表情を、アオは見逃さない。
これから行う自分の7の正義に、確信を覚えたいのだ。
隠れたそれを探したい。
穿り出して確かめたい。
7の正義、それは背中を押してくれるもの。
覚悟を進め、固めるもの。
2人で遊び回っている間、ユイはとてもはしゃいでいた。
年は恐らく、自分と大して変わらないだろう。
こんな仕事をしているのだから、勿論年上だろうと思う。
彼女の性格が元々そうなのか、それとも今回が特別なのか、それはアオには分からない。
ただ、ユイの楽しそうな横顔と仕草を見て、
同年代の友達がいないのか。
友達とは遊ぶことがないのか。
ふと、そんなことを思った。
アオとユイは肩を並べて通りを歩いて行く。
街はまだまだ賑やかで、しかし人層は多少雰囲気の年増な、静かなものに変わっていた。
この時間の常連は、何らかの曲がりを経た者。
迷い込み、居座った者。
何気なくも身に染み付いた者。
立つだけで身につまされ、異臭を放ち、輪を作る。
立つだけで思い知り、立つだけで悲哀を味わう羽目になる。
夜に棲まい、夜に生きるもの。
「今日のホテルはワシが用意するけぇ」
不意にそう声を掛けたアオを、ユイが戸惑いの目で見上げた。
「…でも…」
「ええじゃないか。まあまあ立派なホテルじゃ」
アオは彼女の不安を払拭するかのようにその手を強く握り、ニコッと笑う。
「約束じゃ。今日はワシはユイの男で!」
「……うん」
手を繋いだ2人は、そのまま近くで客待ちをしていたタクシーに乗り込み、その通りを後にした。
街からも離れて少し走った後、アオが車を停めたのは高台に建つホテルの前。
そこはアオがよく利用するホテルで、ある意味融通の利くところ。
自動ドアを潜り、フロントを抜け、慣れた様子で建物の中を歩いて行くアオの後を、その背中に隠れるようにして、ユイがそわそわとついて来る。
「何じゃ?指定のホテルじゃないと都合が悪いんか?」
「……ううん。勝手が違うから、落ち着かないだけ」
そう応えて僅かに笑ったユイの表情は、初対面の時よりも随分と解れていた。
今晩くらいはのぅ……そうしときんさい。
夜も更けたホテルの中はとても静かで、エレベーターの機械音と絨毯を踏む微かな音しか聞こえて来ない。
やがてアオが足を止めた部屋は、802号室。
ドアを開けてユイを中へ促すと、彼女は眉を上げ、真っ先に大きな窓へと走り寄った。
「うわぁ…!!景色がすごいね!高いんでしょ、この部屋!」
「大したことはないわい」
眼下に広がる数えきれないほどの光を見渡してから、彼女は次にベッドに勢い良く座り、大きく弾んだ。
「見て見て!すごく跳ねる!」
しばらくはそうやって体を揺らせて喜んでいたが、
「……そうだ、仕事しなきゃ」
思い出したように呟いた彼女の顔は色のないものに戻り、私事や時事を絡めたような、そんな表情になった。
「………」
「先にシャワー浴びる?それとも、」
アオはそこで、座っていたソファから立ち上がり、ずっと持っていたあの酒の口を開けた。
それをごくごくとラッパ飲みして、
「ハ――――ッ!……まぁ、ええわいや……。ユイは何時まで平気なんじゃ?」
「……え?」
「父ちゃんと母ちゃんが心配しとろう?」
「………」
「ありゃ!!ワシがユイを引っ張り回しすぎたかのぅ!?もう時間オーバーか?」
「……ううん、全然」
両親の話はわざとしたもの。
知らずにするほど野暮じゃない。
「………」
アオは、それきり黙ってしまったユイに構わず、飲みかけの酒瓶をテーブルに戻すと、またソファにどっかりと腰を下ろした。
しばらくして、
「……ねぇ」
そう声を掛けてきたユイはアオを見ることなく、緋色の絨毯に視線を落としたまま。
「何じゃ?」
「……何でこんなに良くしてくれるの」
「はあ?良くしとるか?」
「何が目的?」
「目的って何じゃ?同じ時間なら楽しい方がええじゃろ」
「………」
ユイに特別良くした覚えはないし、これ以上仲を深めるつもりもない。
ただ、知りたい。
分かりたい。
アオの中で、まだ7の正義に届かないでいる理由、説得、論理。
何でもいいから7に届いてほしい。
早く。
「あなた、名前何ていうの?」
「ワシか。メロスじゃ」
「めろす?」
「おう」
「……教えてくれないんだ」
「ハハッ!本名じゃ!」
「………」
寂しそうな顔をしたユイに、アオは続けて言う。
まだ届かないから。
「ユイ、お前の家はこの辺か?」
「………」
「何時までええんじゃ?」
これは野暮というもの。
敢えて展開していくのは、穿り出して、重ねたいから。
「……あまり私のことを詮索しないで」
「………」
「自分は名前も言わないくせに」
「………」
アオは僅かも表情を変えない。
「ユイ、もしもの今日がまた今度あれば、ワシャぁまたお前と会いたいのぅ」
「………」
そこで顔を上げたユイが、頬にかかった髪を掻き上げた。
……病ではない、眩しいノスタルジア。
常に頭の隅に棲んでいるものだが、目にすると珍宝に出会ったかのように胸がすく。
思わず目を細めてしまうほどに。
「ワシは男じゃけぇ、女のお前の話を聞きたいんじゃ」
「………」
「理由にならんかのぅ?」
「……何言ってるのか、さっぱり分かんないよ」
「そうか」
「………」
「………」
「………」
沈黙は痛くも痒くもない。
退屈もしないし、居心地の悪さを感じることもない。
内から外から、思うことも考えることも、見ることも聞くことも、山ほどある。
窓の外は変わらぬ景色。
夜の百花は何度見ても飽きることがない。
やがて、しばらく黙り込んでいたユイは何か思うところがあったのか、同じく黙諾するようにだんまりを決め込んでいたアオに、そろそろと自分のことを話し始めた。




