エトランゼ 1
―――― 思い出してみよう。
永遠の虚言を。
ただ走る。
ただひたすらに。
その歩幅が今よりも小さいのは確か。
息を切らせ、足元も見ず、我々は走る。
この暗闇の中、そうしている面が笑顔であることに間違いはない。
麻の入手を夢見る者。
自身の販売に梃子摺る者。
城の崩壊を手招く者。
それらを掻い潜り、真っ直ぐに走り続ける。
六輪ほどの拳は何も持たないのではなく、光るものを握り締めたまま。
光るものはただ光るではなく、赤く染まっている。
その赤は赤が深く、黒にも見え、黒く見えるそれは、隣を走る彼にも付着している。
今ならまだ間に合うのか?
そう考える我々の迷いとは裏腹に、今よりも小さな歩は走り続ける。
そうか。
守れなかったから……
守れなかったから、その拳はこれを握り、赤より赤いのか。
きっとそれは、戦わない我々に、我々が憧れた進み。
―――― 思い出してみよう。
一時の虚言を。
この先に、日食のように見える光がある。
その影は両手を広げ、まるで我々を手招いているかのような……。
肉を蓄え過ぎた者。
懐に、腐食し、使い物にならないそれを仕舞い込む者。
全てを手に入れた者。
それらを掻い潜り、我々はそこを目指す。
光は近付き、この顔を照らし、
……抱きしめてくれるのではないか?
あの影は。
衰弱に翻弄されながらも、歩は進み続ける。
腹を減らして立っているから。
誘われたいと、白を切っているから。
愛されたいと、悩んでいるから。
あの、光を漏らす影は、昴?
それとも、終焉?
……違う。
言うなれば、あれはきっと、我々の最後尾 ――――。
10月20日 22時と少し
アオ18歳。
カクゲン20歳。
「やっぱりこの街は10時過ぎてからが面白いよのぅ!」
「………」
ある街の裏通りを並んで歩く2人。
『いいか、オメェら。今回はな、カワイイお嬢ちゃんらを救う物語だ。高村信吾、こいつぁな、○○から来たヒデェ奴でよ。嬢ちゃんらを檻に閉じ込めてだ、体を売らせて儲けてやがる。嬢ちゃんたちゃぁ可哀想に、騙されてコキ使われて、家族を失って、最後にゃオメェ、自殺しちまうって話だぜ。
オメェら、この国で暮らすための義務ってのを知ってっか?その中でもな、一番大切なのが納税ってヤツだ。
高村容疑者。高村信吾。こいつはその、この国でしなきゃいけねぇ納税をしてねぇ。自分の根城にあるタンスの中に、その悪い金を悪い顔してたんまりと溜めてやがる。どうだい?鉄拳とブレードで懲らしめてやっちゃ。ヒーローになるチャンスだぜ?』
2人のブーツ音が目立たないほどに賑やかな夜の街。
突っ込んでくる酔客。
垂れ下がる眦を隠しもしない黒い背中。
翻す紫の裾を追って消える、無知の顔。
様々な人間が、今日も街中を彷徨い歩く。
「確かこの辺のはずじゃがのぅ…。うー…あー、しんど…。さすがにカレー5杯は食いすぎじゃのぅ」
「……アオ……アオは食費がかかり過ぎだ」
「ハハッ。動くための資本じゃけぇのぅ」
「……いつまで経ってもそれじゃ貯まらねぇだろ、まったく…」
目移りするほど賑やかな街には、もうとっくに慣れた。
周りの目が気にならないほどに。
夜道を並んで歩く2人は細い道を曲がり、騒がしい通りから少し離れた一角へと入って行く。
しばらく進み、
「…おう、これじゃのぅ」
アオが立ち止まったのは、狭い通りに張り出したショウウインドウの前。
明るいその中にはソファとテーブルが置いてあり、10人ほどの女性が道側を向いて座っている。
髪の色も長さも様々。
顔立ちも体型も様々。
ショウウインドウは中からは見えないマジックミラーで、女性たちはこちらを覗い知ることはできない。
アオはざっと中を見回すと、面白気にカクゲンに目配せした。
「見てみい。みんな高校生みとうなカッコしとるわ。ほんまの女子高生なんぞおらんじゃろうにのぅ」
「………」
「あれ、○○○人じゃ。30超えとるんじゃないんか?それでもセーラー服かよ!ケッケッケッ!」
「……ん」
眠りはしないこの街で、隠れるようにして在るこの場所。
眠らない自分たちと、そこで働く人々。
依頼はいつも、聞いた通りの形で2人の前に現れる。
「……仕事じゃ」
「……そう」
アオは一歩踏み出し、そのマジックミラーを覗き込んでみた。
当然中にいる女性たちとは目が合わない。
「ほ~…みんなベッピンさんじゃのぅ」
黒いセーラー服に茶色のブレザー。
スカーフやネクタイやブラウスや白や紺のソックスや……、趣向のそれに興味はないが、違う種類の興味なら無くはない。
しばらく中を見回していると、何故か1人の女性がこちらに気付く素振りをし、一瞬目が合った。
……ん?
こっちは見えとらんよのぅ?
更にもう一歩を踏み出したアオの後ろで、カクゲンが急かすように言う。
「……おい、行くぞ」
「ちょっと待ちんさい」
「………」
その女性の顔をじっと見つめてみた。
彼女は楽しそうに、他の女性2~3人とトランプをしている。
手の中のカードを見、笑って顔を上げるのと同時に、慣れた右手で髪を掻き上げた。
「………」
もう目は合わない。
「……ワシ、買い物して行くけぇ。お前もどうじゃ?」
アオの言葉に、カクゲンは表情を変えぬまま、
「……無駄遣いはやめておけ」
「ヒヒヒッ!先行出費じゃ!そうじゃろ?探りは要るじゃろうが。ワシは買うて行くで~」
「……ったく」
カクゲンは呆れたように一言言うと、指を3本立てて見せた。
アオはちらりとそれを見、軽く頷く。
そこで2人は前後に別れた。
奥まった暗い通りに、場違いなほどの光を放つこの一角。
そこを通る数少ない人たちは掟のように、誰もが他人をかわして過ぎる。
アオはショウウインドウから離れると、隣の引き戸をがらりと開けて中へ足を踏み入れた。
途端漂ってくる、薄く甘い化粧の匂い。
先ほどのショウウインドウの半分ほどしかない光彩の中、まず目に付いたのは壁に沿って部屋を取り囲むように置かれた棚。そこにずらりと並べられたいろんな酒。
その中央で、初老の男が1人こちらを向いて座っている。
「………」
眼鏡の奥で、男がちらりとこちらに視線を投げた。
それにアオはニヤリと笑い、
「4番じゃ」
すると男はゆっくりと立ち上がり、
「はい、どうもです」
そう応えて、棚から1本の酒を取り出すと横ののれんを潜り、向こうの部屋へと消えて行く。
程なくして出てきた男は、後ろに1人の女性を従えていた。
それは、さっきアオと目が合った女性。
髪が短く、あまり化粧気もなく、紺色のブレザーを着ている。
煌々と照らす光の中、赤い口紅を引いた女性の隣で、彼女の桃色はやけに瑞々しく見えたもの。
男は黙ったままアオの目の前まで来ると、酒瓶をぬっと突き出した。
その後ろから、女性が慣れた様子で口を開く。
「はじめまして。アカネといいます」
芯のない声は大人しそうな、従順そうな性格を感じさせた。
アオは女性に目を向けたまま、酒瓶を目の高さに上げて、
「で、こりゃいくらじゃ?」
「ええ、いい酒ですからね。3万円です」
求めに応じ、ポケットから裸のお札を3枚取り出して男に手渡すと、アオは再び女性に向き直り、ニコッと笑った。
「今晩付き合うてくれぇのぅ。ワシャぁアンタに惚れてしもうたけぇ」
「………」
顔は全くと言っていいほど似てはいないのだが、あの仕草に遠い面影を見た。
もう、何も知らんあの頃とは違うんじゃ。
どうじゃ?ええじゃろう。
ワシは随分大人になったでェ。
年を重ねたんじゃ。
高校やらには通うとらんが、生きちゃぁおるぞ。
まぁ、幸せかと聞かれりゃ、違うような気もするけどのぅ。
取り合えず、生きちゃぁおる。
お前は元気にしとるか?
またいつか会おうの…。




