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こぼれおちるもの 24

思わず黙ったアオを睨み付け、カクゲンは続けて叫ぶ。

その、信じられない言葉。

「サクラがいないと、あの家はタダシとお母ちゃんだけになる!僕が守るんだよ!2人を!!」

「何!?」

「お母ちゃんに全部話して!お母ちゃんの子供にしてもらうんだよ!!」

「!!!」

カクゲンの寝言が耳を貫く。

妄想で木端微塵になっている。踏まれたように。

記憶を失っとるんじゃ、こいつは……!

「アホ!!誰がお前なんか貰うてくれるか!片目しかない障害者を、誰が養うてくれるんじゃ!!」

「何ィーッ!?」

「ヘッ!お前、田村らに目を自慢しとったのう!それでも目のこと言われたら頭に来るんか!!」

「!!!」

飛び掛かってきたカクゲンに応じ、その後は2人で殴り合いのケンカになった。

あの場所に居るときからこれまで、カクゲンとは一度もケンカなどしたことがなかった。

目にだけは当たらないように、しかし馬乗りになって拳で随分と顔を殴ってやった。

体勢が入れ替わり、自分も随分と殴られた。

広い資材置き場に、息切れの音と、木やら鉄やらが崩れる音が木霊する。

上になり、下になり、コンクリートの上をごろごろと転げ回る。

「お前がワシに勝てるわけないじゃろうが!!」

「うるせエッ!!」

取っ組み合いの最中、左腕をカクゲンに噛み付かれた。

「イタッ!!」

そこで咄嗟に出した拳が、左目に当たってしまう。

ガッ!

「ア!!」

カクゲンはその一撃で怯み、自分を殴る手を止めて俯いた。

「「………ハアッ……ハアッ……ッ………」」

やがて拳を握り締めて立ち上がり、アオに背を向け、

「……ヒッ、うっうっ…ウッ……あ…うア――――…ッ!!」

大声を上げて泣き出したカクゲン。

アオは横になり、肘をついたまま、しばらくそれを見つめていた。

「うわあ~~~~~ん!!うあぁ~~~~~~ん!!うああ―――――――――――!!」

口から血が出ている。

目が腫れ上がり始めた。

「…イッ痛ー…ッ」

カクゲンの気持ちは、潰されそうなほどに分かった。

自分だってそうだ。

同じように思っている。

同じように泣き喚きたい。


……ワシらは、サクラたちとは違うんじゃ。

本当は分かっとるじゃろ?

ワシらは、イカレた生き物なんじゃ。

窃盗をして逃げ回り、人を刺して金を奪い……

これは時代のせいじゃない。人のせいじゃない。

……自分たちが生まれてしまったから。

死ぬのが怖いから、……今、生きてしまっている自分たちのせいなのだ。


「ぅうあ~~~~~ん!!わ~~~~~~ん!!ア―――――――ッ!!」

薄暗い資材置き場に、カクゲンの泣き声が響き渡る。

「……おい」

「ああ~~~~~~!!うア~~~~~~!!」

「やかましいわいッ!!」

アオは立ち上がるとカクゲンの肩を掴み、強引に自分の方へ振り向かせた。

「おい、カクゲン!!」

「うアあううう~~~~~ッ!!」

「ワシらはな!…ワシらは、変人なんぞ!」

「あうう~~~……う~~~ッうーッうーッ…」

「助けてくださいって叫んだところでのぅ!良くて集まって来るんは犬猫くらいじゃ!ほんまのワシらは人の目に入っとらん!ほいで、…入っちゃいけんのんじゃ」

「うーうー……くッ……う……ッ」

「ほいでもの、大人になったら何とかなる!きっと何とかなる!カクゲン!!」

「…う……く…ッ」

―――― 大人になったら、何になりたい?

……何に?

たった今すら、こんなにも痛感することばかりなのに……?


それからのカクゲンは、一切アオの問い掛けに答えることがなかった。

次の日、アオはサクラの家に様子を見に行こうと思っていたが、カクゲンが動かないので結局行けず仕舞い。

2人はその日、一度も会話することなく、ただ付かず離れず、お互いが目に届く範囲をうろうろしているだけだった。



8月29日 晴れ


その日の朝、アオはカクゲンに「今日この街を出る」と告げた。

そして今持ち合わせているお金の半分を、サクラの母に渡すとも。

カクゲンはそれに対し、うんともすんとも言わなかった。


サクラの家へ行く前にデパートに寄り、自転車を1台買った。

ピンクがなかったので、赤い自転車にした。

これで、手元に残ったお札は34枚。


カクゲンは喋らないまでも、ちゃんとアオの後をついて来た。

ずっと、タダシに貰った○ン○○を眺めながら。

「サクラ、喜ぶかのぅ」

「………」

「赤になってしもうたが、まぁエエじゃろ」

「………」

これを見たサクラとタダシが笑顔を見せると思うと、知らず口元に笑みが浮かんだ。

「ありがとう」と言いたかった。

『普通』を教えてくれて、ありがとう。

真新しい自転車を意気揚々と押して歩くアオの後を、カクゲンがとぼとぼとついて行く。


アオは本当に、サクラは死んではいないと思っていたのだ。

病院にいるかもしれないとは思ったが、それならサクラの母に聞いて行けばいい。

しかしそれは、やはりアオの信仰にすぎない。

アオは知っている。

『死ぬ』ことは、一度きりであるということ。

全ての生き物それぞれに平等にある『一度』だと。

アオは『死ぬ』ことの意味がよく分からない。

知らない。

だって体験したことがない。

しかし、

―――― 『死ぬ』ということは、すぐ近くにあるものなのだと知った。

『死ぬ』ということは、『無くなる』ことなのだと知った。

サクラには、昨日も今日も、無かった。

昨日も今日も、サクラはこの世に、無かった。

『死ぬ』ということは、人を置いて行くこと。

会いたくても、もう会えない。

しばらくの『バイバイ』じゃない。

二度と、会えない。

そういうこと。

目の前から失くなること。

そういうこと。――――


サクラの家へと続く、見慣れた道。

今日が最後になるこの道は、しかしいつもと違ってやけに静かだった。

賑やかなのはセミの声だけ。

アオはサクラの家を囲む塀に自転車を立て掛け、門まで走って行き、中を覗いてみる。

その家は、普段と雰囲気が違っていた。

家の中にも庭にも、黒い服を着た人がたくさん集まっている。

当然、今まで見たこともない人たち。

「………」

何となく敷居を高く感じ、いつものそこからは入ってはいけない気がした。

これ、……葬式……?

アオは門から離れ、今度は塀に手を掛けて中を覗き込む。

家の中から聞こえてくるのは、読経の声。

漂ってくるのは、線香の匂い。

「………」

アオの足下で、カクゲンは膝を抱えたまま座り込んでいる。

……サクラが……

……サクラが……?

点であった不審が線を描き始める。

ぐわんぐわんと、内から耳の奥を圧迫する振動。

ぐらり、

眩暈の向こうに、あの、道路に流れ出る血の量を、見た。

サクラが……?

死んで……?


これまで、どうして自分は喋り、笑い、平気でいられたのか ――――…。


開け放たれた窓の向こう、お坊さんの後ろで何人もの人が正座をして俯いている。

いつもの縁側に、タダシが笑いながら座っていた。

いつものあのお菓子の缶を隣に置いて。

……おばちゃんは?

よく見ると、集まった人々の一番前にその姿がある。

そこから視線をずらし、自分の足下を見ると、カクゲンが体勢を変えぬまま○ン○○を眺めている。

「………」

ぐらぐらと、景色が揺れる。


―――― 人は必ず、一度死ぬ。

悲しみのない世界や、

怒りのない現実や、

災害のない地域や、

害虫のいない街や、

人の少ない家や、…… 

例外なく、一度死ぬ。――――


サクラの母が今、何を考えているか……それを思うと、力が抜けた。

アオも塀から手を離し、カクゲンの隣で膝を抱え込む。


『イジメとる奴らにはのぅ!ブッ飛ばすって言うたれ!』

『これしか方法を知らんのじゃ。堪えてくれぇや』

『サクラ!お前、運動神経エエのぅ!』

『ほら!シュート打て!サクラ!!』

……何でじゃ?

思い出すんが自分の声ばっかりじゃんか。

サクラの声は?

どこにおる? 

サクラ……!


何をどうすればいいのか分からず、動けないでいた。

太陽のじりじりと焼け付く眩しい光を遮るように俯き、自分の膝を見つめている。

一言も喋らず、塀の下で2人、ぼんやりと。

そこへ、引き摺るような微かな足音が聞こえてきた。

それから、地面に伸びる短い人影。

2人は同時に顔を上げる。

そこに立っていたのは、黒い着物姿のサクラの母。

「……さっき、顔が見えたから……今日も、来てくれたの……」

「……うん」

「……あのね……サクラね……死んじゃったのよ……」

「「………」」

見たら分かるわい!!!

そう叫びそうになった。

「……おばちゃん……ごめんね……まだ気持ちの整理が、付かなくてね……」

サクラの母はいつもと違い、化粧気もなく、白とも言えない白い顔をしている。

「………」

「まだ、お葬式の途中なのよ……。2人もお線香、上げてくれる……?」

「………」

アオは黙って腰を上げ、サクラの母の前に立った。

「……おばちゃん」

「……ん?」

「これ、ウチじゃ使うとらん自転車じゃ。サクラと約束したんじゃ。一昨日、……あげる約束をしたんじゃ」

「……そう……。サクラ、何て言ってた……?」

「………」

それが思い出せないでいた。

サクラはあの時、最後に何と言っていた?

「………」

アオはサクラの母の顔を見ることができず、着物の帯辺りに視線を逸らす。

母は無表情なのに、目からはずっと涙が出ているから。

それを見ると、顔面を捻り上げられる気持ちがした。

こんな時、どんな顔をすればいい?

何と言えばいい?

一緒に泣けばいいのか?

サクラの母を慰めればいいのか?

どう言えば慰めになる?

アオは黙ったまま、立ち尽くしている。

「……今日はね、お葬式なのよ…。おばちゃん、明日もお仕事休んでるから……明日も遊びに来てね……?」

「!!」

息が詰まった。

握った拳に爪が食い込み、鋭い痛みを弾く。

―――― 何でじゃ!?

紛い物の自分たちと、憧れの大人の女性と、初めての外界の友達。

混ぜてできるものは、

……混ざらない。

決して、混ざらない。

―――― 何でなんじゃ!!

…なのに、サクラの母は自分たちを信用している。

嘘しか吐いていない自分たちを。

そう思ったら、涙が止まらなくなった。

ぼろぼろぼろぼろ、次から次へと、止まらない。

やるせない疑問ばかりが過ぎって行った。

あちらの世界とこちらの世界。

あちらの温度とこちらの温度。

毎日毎日戸惑った。

それでも良かった。

毎日毎日思い知った。

それでも、これが幸せだと思った。

頬から流れ落ちた涙が、乾いた地面に吸い込まれて行く。

……大人になったら、

大人になったら、サクラに会いに来ても良かった筈じゃ。

なのに、もう、サクラがおらん…!


「……おばちゃん」

「……ん?」

「……サクラは、学校の先生になりたい、なら言うとったよ…」

サクラの母は「……そう」とだけ返事をし、少し目を細めてアオを見つめた。

蜃気楼の向こうに見える、生気のない、疲弊しきった顔。

震えを帯びた声。

細い体が、更に触れれば折れそうなほどに儚く見えた。

「………」

「………」

やるせないこの理不尽は、一体どうやって克服したら良いのだろう。

当然のように人に与えられ、当然のように人から奪われるもの。

……誰の裁量で?

……何の意図で?

言葉が見つからず、アオの拳は痛みを訴えるばかり。

その時突然、後ろのカクゲンが勢い良く立ち上がった。

同時に、昨日から一言も口を開かなかった彼が、

「ママ!!」

「え?」

アオも驚いてカクゲンを見る。

「僕たちな、もう来れねぇんだよ」

「え?」

「今日で終わりなんだ」

「……引っ越すの?」

「うん。だから、最後なんだ」

「……そうなの。……急ね……寂しくなるね……」

カクゲンはアオがずっと持っていた風呂敷包みを、引っ手繰るようにして取り上げた。

「これ返す!」

それは以前、サクラの母がたくさん作ったからと、肉とじゃがいもの煮物を持たせてくれたときの入れ物。

風呂敷に包まれたその中には今、34枚のお札が入っている。

「……ああ、タッパ―ね。……ありがとう」

サクラの母がそう言って受け取ると、カクゲンは視線を下げ、続けて言った。

「違うぞ。ありがとうは僕たちだぞ」

「………」

「ママのごはん、おいしかったぞ!ママはいい匂いがしたぞ!」

「………」

「怒られても悲しくなかったぞ!ママはな……ママはな……!!」

カクゲンはそこで少し言葉を切り、二度唇を閉じた。

そして小さく、

「………僕の……僕のこと、好きだったか……?」

自分が聞きたかったこと。

言わなければならなかったこと。

全てここで、カクゲンが言った。

「……うん!もちろんよ」

サクラの母がそう応える。

カクゲンはそれに顔を上げると、少し歪んだ、満面の笑みを浮かべた。

「じゃあ、ママともタダシとも……サクラとも!これでバイバイだ!ありがとう!!」

そう言い残し、カクゲンは走り去って行く。

やがて足音は聞こえなくなり、アオは1人その場に残された。

「……どこに引っ越すの?」


……嘘は、あれが最後のつもりだったのに。

サクラがこちらに手を振った。

タダシと手を繋いで。

姿が隠れてしまうまで。

―――― そして、思い出す。


「……おばちゃん」

「ん?」

「サクラは……」

「うん」

「最後、ワシに『ありがとう』言うたよ。……『明日が楽しみだ』って」

「ッ!!」

瞬間サクラの母は小さく喉を鳴らし、崩れるように地面に膝をついてしまった。

アオは拳を握り締めたまま静かに背を向け、その場を後にする。

後ろから途切れ途切れの、微かな嗚咽の声が聞こえてきた。


甲高いブレーキの音。衝撃音。

逃げて行った赤い車。

本当のことを言わんのは、嘘を吐いたことと同じになるんか……?

助かったって思うとるんか?ワシは。

……それにしては、やけにつらい。

サクラ……

ワシは恥ずかしいよ。

おばちゃんとタダシを置いて行かにゃいけんのんじゃ。

……生きるために。


こんな自分では告げることすら、謝ることすらできない。

アオは一度、滲んだ目元を腕で拭う。

角を曲がると、そこにカクゲンが立っていた。

また2人、並んで歩き出す。

そして、唐突に気付いた。

こいつはサクラが死んだって、もう分かっとったんじゃ。

確信しとったんじゃ。

ワシより先に、分かっとったんじゃ……。

……そうか。

俯いたカクゲンの顔は敢えて見なかった。

「……タダシ……サクラの分まで元気でおってほしいのぅ」

「……そう」


あの時、車に轢かれたのがサクラじゃなかったら、サクラは学校の先生になったんじゃ。

あの時、車に轢かれたのがカクゲンだったら、……みんな悲しんだじゃろう。少なくともサクラたちは。

あの時、車に轢かれたのがワシだったら……

必ず来る『死』について考えた。

何故怖いのか。

それは、その後のことも考えるから。

お坊さんが唱えていたお経は、死者にではなく、あそこに集まった人たちのためのものだったんじゃないのか?

生きるって、何じゃ?

先生になること。

パイロットになること。

お母さんになること。

死んでいくこと……。

次の次がワシかもしれん。

いや、その次かも。

もっと前かもしれん。

『死』はいつでも、すぐ傍らに控えている。


サクラの、タダシの、それから、やわらかいサクラの母の笑顔を思い出した。

まみれた自分たちに、そっと傘を差し掛けてくれた、やさしい人たち。


「……順番がめちゃくちゃじゃ」

「………」

本来ならおばちゃん、サクラ、タダシの順番じゃろ?

「サクラは死んだんじゃない。殺されたんじゃ」

「………」

そう。

あの赤い車に。

……誰の裁量で?

……何の意図で?

ワシらは論外で親に捨てられた。

サクラは思い掛けない形で奪われた。

……ワシにも、血の繋がった兄弟がおるんじゃろうか。

「おばちゃんはサクラとタダシ、どっちに残ってほしかったんかのぅ……」

「……え?」

「……いや……うん、……何でもない」

ワシは間引かれたんじゃけぇ、おるかもしれん兄弟は、大きく育つんじゃろうのう……。

青く育つんは、間引かれたワシ……。


2人は黙ったまま、歩いて行く。

後ろ髪を引くように、次から次へとセミが鳴く。

この日を境に、カクゲンは笑わなくなった。話す言葉も減った。

アオは、悲しくて仕方がなかった。


……もう二度と戻らない。

それは、夏の終わり、

やまず、あふれ、こぼれおちたもの ――――…。

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