第三章 客が来ない
開店初日。
朝から蓮は蕎麦を打った。
クレールはガレットの生地を用意し、具材を切り分ける。
リナは入口と客席を何度も往復しながら、皿や水差しの位置を確認していた。
ルイは邪魔をするたびに母親によって店の隅へ移動させられている。
「開店!」
蓮が扉を開けた。
王都の通りには人が多い。
噂も十分に広がっている。
これは忙しくなるぞ、と蓮は思った。
一時間後。
「……誰も来ないな」
「そうね」
二時間後。
リナは窓から外を覗いていた。
「みんな店を見てるよ」
「じゃあ入ってくればいいのに」
実際、通行人は頻繁に店を見ていた。
しかし誰も扉を開けない。
蓮が外へ出て、近所の八百屋の主人を捕まえた。
「何で誰も来ないんだ?」
「いやあ……」
「味が悪いって噂でもあるのか?」
「食べたことありませんよ」
「じゃあ何で」
主人は困った顔で笑った。
「勇者様と聖女様のお店ですよ?」
「だから?」
「庶民が入っていいのか分かりません」
「食堂だぞ」
「王族や貴族向けじゃないんですか?」
蓮は頭を抱えた。
店へ戻る。
「理由分かった」
クレールに説明する。
彼女も額へ手を当てた。
「だから普通のお店だって言ったでしょう」
「俺に言うな。俺もそう思ってる」
さらに問題があった。
入口に置かれた見本料理を見た人々が、
「黒い麺……?」
「何だ、あの薄いパンは」
「焦げてるのでは?」
と不安そうに話している。
故郷では見慣れた料理でも、この世界では奇妙な食べ物なのである。
昼を過ぎた。
客、ゼロ。
「魔王城に入ったときより暗い顔してるわよ」
クレールが言った。
「魔王には聖剣が効いた」
「お客には使わないでね」
「使うか」
そこへ扉の鈴が鳴った。
蓮は勢いよく顔を上げた。
「いらっしゃい!」
入ってきた男は、蓮の声に少し驚いたようだった。
深い色の肌。年齢を重ねた落ち着いた顔。
かつて賢者として召喚されたシポ・ドラミニだった。
「……客がいないな」
「第一声がそれか」
「事実だ」
「帰れ」
「食べに来たんだ」
シポは気にせず席へ着いた。
「何がある?」
「蕎麦とガレット」
「何だ、それは」
「俺たちの故郷の料理」
「では、その蕎麦というものを」
蓮は俄然やる気を取り戻した。
出来たての蕎麦を茹でる。
温かいつゆに入れ、野菜と肉を乗せる。
シポは一口。
何も言わない。
二口。
三口。
「……どうだ?」
蓮は我慢できず尋ねた。
「食べている」
「それは見れば分かる」
シポは最後まで黙って食べた。
器を置く。
「もう一杯」
蓮は思わず笑った。
「気に入ったんじゃねえか」
「そう言っている」
その直後、再び扉が開いた。
今度は細身の青年が入ってくる。
アウリだった。
かつて剣聖として召喚されたものの、最後までまともに剣を使わず、吹き矢で魔王軍の将軍たちを倒して回った男である。
「腹が減った」
「お前もそれか」
「何がある?」
クレールがガレットを差し出した。
アウリは食べる。
一枚。
「もう一枚」
二枚。
「もう一枚」
三枚。
蓮が心配になった。
「うまいのか?」
アウリは手を止めた。
「まずければ三枚も食わない」
「それはそうだな」
結局四枚食べた。
ところが食べ終えると、
「その黒い麺も」
と言い出した。
「お前ガレット派じゃないのか?」
「何の話だ」
シポも二杯目の蕎麦を食べ終えると、
「あの薄い方もくれ」
と言った。
蓮とクレールが揃って睨む。
「どっちなんだよ」
「両方食べればいい」
シポは当然のように言った。
リナが小さく笑う。
「私が昨日言ったのと同じ」
その日の午後。
シポとアウリが店内にいるのを見た通行人が、恐る恐る入ってきた。
「ここ……我々でも食べてよろしいのでしょうか」
「もちろん!」
蓮が即答した。
一人。
二人。
五人。
夕方までにはすべての席が埋まった。
初日の客数は、結局二十七人。
百人には遠かった。
だが、ゼロでもなかった。
「明日も来るかな?」
閉店後、リナが尋ねた。
「来るだろ」
蓮は答えた。
「何で分かるの?」
蓮は洗い終わった蕎麦の器を見る。
「シポが明日も来るって言ってた」
「一人じゃない」
「アウリも来る」
「二人」
「二人いれば、ゼロより多い」
クレールが笑った。
「ずいぶん弱気な勇者ね」
「食堂は魔王討伐より難しいんだよ」




