第二章 勇者一家、店を借りる
店を始める。
言葉にすれば簡単だったが、勇者と聖女という肩書きは、こういうときに意外と邪魔になる。
「王都中央通りに旧迎賓館がございます」
「いりません」
「では王宮前の商館を一棟――」
「そんな大きな店にしません」
蓮は頭を抱えた。
国王へ「小さな食堂を始めたい」と相談した結果、翌朝には王宮財務官と商務官と侍従長が自宅へ押しかけてきたのである。
「勇者様と聖女様が商いを始められるのであれば、王国の威信に関わります」
「飯屋に国家の威信を持ち込まないでください」
「しかし」
「十卓もあれば十分です」
三人が絶句した。
クレールは横で笑いを堪えている。
結局、蓮自身が街を歩いて店舗を探すことになった。
見つけたのは中央市場から少し外れた通りの古い食堂だった。
老夫婦が営んでいたが、年齢を理由に店を畳むところだったという。
厨房は広い。
客席は二十人も入ればいっぱい。
裏手に小さな倉庫もある。
「ここがいい」
クレールも同意した。
王国側は最後まで納得しなかったが、蓮が押し切った。
次の問題は店名だった。
「真田庵」
夕食後の家族会議で蓮は提案した。
クレールが即座に首を横へ振った。
「No」
「早いな」
「私の料理も出すのに、どうしてあなたの名前だけなの?」
「じゃあクレール庵」
「もっと嫌」
リナが紙に候補を書いていく。
「『東西食堂』は?」
「東と西って、この世界では意味が違うだろ」
「じゃあ『蕎麦とガレットの店』」
「そのまんまだな」
クレールがフランス語の店名を提案する。
蓮が復唱してみた。
「ラ・メゾン・デュ……ソバ?」
「発音が違う」
「通じればいいだろ」
「店名なのよ!」
そこからフランス語の発音指導が始まった。
十分後、蓮が降参する。
「無理。別のにしよう」
「だから勉強しなさいって言ってるでしょう」
リナがまたため息をつく。
「もう『勇者と聖女の食堂』でいいんじゃない?」
「それは恥ずかしいだろ」
「みんなそう呼ぶと思うよ」
実際、その通りになった。
正式な店名を決めるより早く、近所で、
『勇者様と聖女様が食堂を始めるらしい』
という噂が広がった。
看板職人まで、
「『勇者と聖女亭』でございますね」
と確認に来た。
「誰が決めたんだ、それ」
「街の皆さんです」
蓮は抗議する気力を失った。
開店準備には家族全員が参加した。
リナはメニューを書く。
日本語で書いても客には読めないため、王国の文字を使う。これは翻訳魔法ではどうにもならない部分で、蓮より娘の方が字もきれいだった。
「ざる蕎麦。温かい蕎麦。鳥肉蕎麦」
「魔鳥南蛮って書こう」
「何それ?」
「雰囲気」
「意味分からない」
クレールはガレットの具材を考えている。
卵とチーズ。
キノコ。
燻製肉。
野菜。
ルイは、その横からチーズを盗んでいた。
「ルイ」
蓮が呼ぶ。
止まらない。
「Louis」
クレールが一言。
ぴたり。
「……なんで俺のときは止まらないんだ」
リナは父親の肩を叩いた。
「お父さんだから」
「それ説明になってるか?」
開店前日。
厨房の準備を終え、家族四人で客席に座った。
まだ誰も使っていない木のテーブル。
新しい皿。
磨き直した床。
蓮は店内を見回した。
「本当に始めるんだな」
「怖い?」
クレールが尋ねる。
「魔王城ほどじゃない」
「比べるものが違うでしょう」
「でもなあ。魔王は倒せば終わりだけど、店は客が来なきゃどうにもならないからな」
「それなら、そのとき考えましょう」
クレールは昔と変わらない。
問題があれば、そのとき考える。
言葉が通じなかった旅の途中も、彼女はそうだった。
「明日、何人来るかな」
リナが言った。
「百人!」
ルイが答えた。
「この店に入らないよ」
家族の笑い声が、まだ空っぽの店内に響いた。




