8話 格闘賭博
牢に入って二日が経った。
小さな窓を見上げれば、すでに日は落ちて夜の帳が覗いている。
俺はそろそろかと思いSAKE作りをやめて、ぐったりした表情を作る。
「お客さん、お迎えが来ましたよ」
「……あぁ」
ワイロン衛兵小隊長は牢の鍵を開けて俺を解放する。
そして牢屋の外に案内されたところで、大柄の男二人が俺を待ち構えていた。
俺はフラフラと歩きながら、ワイロン衛兵小隊長に懇願する。
「た、のむ……水を、くれ」
「そりゃあ無理な相談ですよ。さ、取り調べと事情聴取は終わりました。お仲間さんが迎えに来てくれるなんて優しいですね」
「何か……口に、したい」
「アル・コール、そんな時間はない!」
「さっさと地下格闘場に行くぞ!」
ゲース・フーリンの手下たちはワイロンに金を渡し、俺を左右からガッチリとホールドする。
半ば引きずられながら、ご丁寧に送ってくれるようだ。
「おい、シャキっと歩けば選手の控室で水をやる」
「そうだ。堂々と歩け」
23地区に近づくと手下どもは恫喝してきた。
おそらく俺の姿を目にした連中から、『アル・コールが朦朧としていた』なんて噂が立てば賭けが成り立たないからだろう。
「う……」
俺は最後の力を振り絞るフリをして、どうにか歩くフリをした。
そうして選手の控室に到着すれば、ぼろ雑巾のように放り投げられた。
「おやおや、さすがの二等勇者様もメシ抜き水抜きではだいぶ劣勢のようだなあ」
出迎えはもちろん格闘賭博の胴元であるゲース・フーリンだった。
小太りの男は下卑た笑みを浮かべながら、俺を見下ろしている。
「アルゥ、さっそく試合のルール説明をするぞ? いいか、魔法系のスキル行使は禁止だ」
「……」
それは予測できていた。
二等勇者である俺の能力を封じる手段は必至だろう。
「身体系のスキル行使はアリだ」
「……ってことは、対戦相手は、使えるんだな」
「そうかもなあ? それと5ラウンド5分ルールだ」
「……長い、な……」
「今のお前には相当キツイ運動になるかもなあ」
「……はっ、俺が苦しむのを……ゆっくり、観戦しようって魂胆か」
「おおう、アルゥ。そんな口が利けるなんて思ったより元気そうじゃねえか。じゃあ水はなしな、ほら出番だ! 行ってこいよ、勇者様ぁ!」
フーリンは俺の背を蹴とばして、控室から選手入場の花道に無理やり出した。
俺はたたらを踏むフリをして顔を上げれば、そこには数百人どころか千人近い観客が待っていた。
「きたきたきたあああ! 戦場帰りの二等勇者ぁあああ! アル・コール曹長のおでましだああああああ!」
照明が明滅して俺を照らし、そして司会が俺の名を呼ぶ。
すると観客たちの熱気が地下格闘場を盛大に揺らした。
「絶対に勝てよ! アルウウウ!」
「今月の給料全部お前に賭けた!」
「俺の人生を賭けたぞおおおおおおお!」
「頼むぞ勇者ぁああああああ!」
ふう。
俺はみんなの声援を浴びた瞬間から、弱っているフリをやめた。
堂々と、戦場帰りの二等勇者としての歩みを刻む。
観客の期待に応えるよう、軍式の挨拶を返してやる。
それは静かに右こぶしを握り、軽く上げるだけのハンドサイン。
意味は『決死の突撃を敢行する』だ。
このハンドサインに元兵士たちの観客たちは、さらなる熱狂と雄叫びを生む。
俺はそんな会場の盛り上がりに満足しながらリングに上がる。
そして選手の控室に向かって、『早く来い』とキレッキレの挙動で拳を振るう。
控室からこちらの様子を覗いていた——
ゲース・フーリンの顔が、青白く染まっていたのはお笑い草だった。
◇
「二等勇者にまっこうから拳を振り上げるのわあああ! 騎士カマッセィヌ! 生意気な庶民に鉄槌を下すお貴族様だあああ!」
ゲース・フーリンが用意した格闘士はまさかの騎士だった。
一代限りとはいえ、正真正銘のお貴族様だ。
『勇者VS騎士』とはなかなかキャッチーな宣伝文句で、客の入りようが大盛況を通り越して大爆発なのは頷ける。
胴元のフーリン傭兵団はさぞかし嬉しいだろう。
何せショバ代として、賭け金の一部を徴収するのが胴元だ。つまり客の入りと賭ける金額が増えれば増えるほど儲けは大きい。
さらに、多くの人間が賭けに負けるほど利益も出る。
オッズはやや拮抗気味で、俺が2倍、相手が3倍だ。
人気は俺にあるようだな。
まあそれもそうか。
労働者階級の俺と、片や一代限りとはいえ正真正銘のお貴族様だ。
みんな俺の勝ちを望んでいるだろう。それに、俺には二等勇者って勲章もある。
勝てると確信するには十分だ。
だからこそ相手は騎士。
王国において騎士とは、貴族位を賜るだけの武威を誇る。
厳しい訓練と試験を突破したものにだけ与えられる誉れ高き身分だ。
「フッ、フッ」
その気高さは地下格闘場においてもしっかりと発揮されている。
ウォーミングアップは万端のようで、みなぎる闘志が全身から沸き立っていた。
軽快なフットワークを踏みながら、鍛え抜かれた肉体をこれみよがしに誇示してくるのは、それだけ騎士カマッセィヌが真摯にこの試合に取り組んでいるからだ。
相手はこの日のためにしっかり準備してきたのだろう。
さすがは騎士様だ。
「戦場帰りの勇者VS鋼鉄の騎士ィィィ! 第一ラウンドを制するのは果たしてどちらだあああ! 試合、開始ぃぃぃい!」
第一ラウンドのゴングが鳴れば、騎士カマッセィヌは両拳を上げて自らの顎をガードする構えを取った。
ちっ……喧嘩慣れもしているな。
上背も体重もあちらが上。
しかしその体格差で傲慢になるほど相手は弱くはなかった。
こちらの拳が顎にクリーンヒットしたら、意識を揺らす可能性もある。そんな事故を警戒しながら、カマッセィヌは的確に距離を縮め、小刻みにパンチを繰り出してくる。
もちろん俺も腕や拳でガードするが……フェイントが上手い。
顔にボディにと拳を散らし、こちらが顔のガードを意識した瞬間に脇腹にカマッセィヌの鋭いフックが突き刺さる。
重い。
胃の中の物を全てぶちまけてしまいそうなほどに重いパンチだった。
「ガハッ……」
「フッ、フッ、勇者といえど所詮は平民ッ」
さらにカマッセィヌは猛攻をしかけてくる。
俺も数発返すが、どれもガードされてしまう。しかも、殴った拳を痛めそうなほどにカマッセィヌの筋肉は分厚く硬かった。
まるで壁を殴っているような、そんな感覚だ。
「フッ、フッ————【強靭】」
なるほど、奴のスキルは防御力の上昇か。
どおりで打たれ強いわけだ。
「おいおいおい!? 俺らの勇者がボコボコじゃねえか!?」
「かませー! カマッセィヌ! もっとかましてやれえええ!」
「くそ! 負けんなよ、負けたら承知しねえぞアル!」
「金がっ、金がなくなっちまううう!」
観客たちの絶叫と声援が響く。
すでに第一ラウンドで決着がつきそうな雰囲気だったが、ふとカマッセィヌの気配が揺らぐ。
それは俺の拳が偶然にも左肩に当たり、さも負傷した素振りをし始めたのだ。
「よし! いいぞアルぅぅ!」
「肩が外れたか!?」
「もう左拳で打てねえぞ!」
「やれ! やっちまえ!」
なるほど。
やはり最終ラウンドまで長引かせるようだ。
試合を白熱させ、より多くの掛け金を踏んだくろうって魂胆らしい。
カマッセィヌは俺との攻防が拮抗しているように演技するのもまた上手かった。それどころか、俺がやや有利にすら見せかけている。
しかしその実、奴の重い拳が確実に獲物を痛ぶってくる。
対して奴は削られているフリをしているが、ダメージの蓄積はほぼない。
そうして第一ラウンドが終わると、ここぞとばかりに胴元のフーリン傭兵団が叫ぶ。
「さあさあ! 今から賭ける金額は通常オッズの1.5倍だ! 紳士諸君のみなみなさまは、どちらの男に明日を賭けますか!?」
「アルだ! アルに銀貨5枚!」
「俺らの二等勇者に銀貨20枚だ!」
「頼む、頼むぞおおお! 銀貨50枚だ!」
それから俺はなぶられ、生かすも殺すもカマッセィヌ次第の状況が続いた。
痛みに耐え抜き、立つのもやっと。
それでも拳を振り続ける格闘士なのだと、カマッセィヌ自身に思わせた。
第四ラウンドが終わる頃になれば、観客の中には涙を流す者すらいた。
「がんばれえ、どうか勝ってくれえ……!」
「どっちもすげえよ。あれだけ殴り合って、立ってるなんてすげえよ」
「頼むぞ、アルゥゥゥ!」
「さあさあみなさん! ここでさらに賭けるなら、通常オッズの3倍ですよ! いかがなさいますか!?」
「勇者の男気に金貨1枚! 俺の全財産を賭ける!」
「騎士の不屈の精神に銀貨30枚だ!」
「勇者に銀貨70枚!」
「騎士に銀貨10枚!」
「二等勇者のアル・コールに金貨30枚」
ふと大金が俺に賭けられた。
賭け主を見れば禿頭の大柄男、ネット・ラレール衛兵長補佐だ。
そして、そんな大口客の登場に大歓喜したのは……もちろん胴元のゲース・フーリンである。
浅からぬ因縁の二人だが、双方の顔はひどく対照的だ。
片や婚約者を寝取られた男は、憎悪が剥き出しの表情を。
片や多くの町娘と遊んだ男は、『いいカモが飛び込んできた』と愉悦の笑みを浮かべている。
フーリン傭兵団の思惑は透けて見える。
胴元は賭けに負ける連中が多ければ多いほど儲かる。
当然、ここの観客は労働者階級ばかりだから俺に賭け金が集中する。
ましてや騎士カマッセィヌが、絶妙なバランスで手を抜いているので、さらに俺に賭ける連中は増えていく一方だ。
そしてフーリン傭兵団が描くシナリオは、最終ラウンドで勇者の敗北。
俺に集中していた賭け金を丸々いただこうって魂胆だろう。
「さあさあ、最終ラウンドの開始だあああああああ!」
ゴングが鳴って、俺は立ち上がる。
深く息を吸い、そして暴発しそうな快楽と筋力を抑え込む。
ただ冷たく、騎士カマッセィヌと自分のやるべきことを見据える。
これは労働者階級と、それを管理する支配層の縮図を演出した試合だ。
そしてこの戦いで俺がコテンパンにのされたら、労働者たちの希望も叩き潰される。
『やっぱり俺たちは負ける側なんだ』と、性根に刻まれる。
仮に俺が騎士カマッセィヌになぶり殺しにされなかったとしても、みんなの期待を裏切った勇者と烙印を押される。
あいつのせいで大損した。
賭け金を失い、生活が苦しくなった。
勲章をもらったくせに情けない奴だと、街のみんなから蔑視されるきっかけになるわけだ。
ゲース・フーリンは……戦争で手にした勲章すらも、俺の全てを奪おうとしている。
ならやることは決まっている。
俺は牢の中でしこたま『汗と涙の性水』を飲んできた。
だから痛みは力に、快楽や興奮に、変わる。
俺は騎士カマッセィヌに殴られるたびに全身に走る高揚感と、そして膨れ上がる筋肉を——
今まで蓄積された痛みの全てを解き放ち、渾身の一撃を騎士カマッセィヌにぶち込んだ。
「ぐっ、ぽぁあッ……!?」
まずは腹に一発。
彼が身体をくの字に曲げたところで、続けざまに膝下を狙ったカーフキックをお見舞いしてやる。
バチィンッとくぐもった音が鳴り、頑強だった騎士カマッセィヌもさすがにフラつく。
「ヒグゥゥッ!?」
最後は前傾姿勢になった彼の頭部を狙って飛び膝をかます。
バキャリと骨の砕ける粉砕音がリングに響き、騎士カマッセィヌはどうっと倒れ伏した。
「——お貴族様よお、遊んでたのはお前だけじゃない」
瞬間。
観客たちの歓声によって地下格闘場は震えあがった。
もちろん、胴元のゲース・フーリンも震えあがったろう。
今回の賭博は俺が勝利したことで、胴元のフーリン傭兵団は大儲けどころか大赤字すらありえる。
俺はいい気味だと思いつつ、勝利宣言の拳を上げる。
「そ、そ、そいつはルール違反をしたに違いない……!」
しかし、労働者たちの勝利の歓喜に水を差す者がいた。
それはもちろんゲース・フーリンだ。
「何かイカサマをしたに違いない! お前たち、アルを捕らえて調べあげろ! 魔法系のスキルを行使した痕跡をなんとしても探せ!」
ゲースがフーリン傭兵団の手下らに告げると、無骨な男たちが俺を拘束しようとリングに上がろうとする。
この際、真実なんてどうでもいい。
捕らえて、拷問して、俺に『魔法系スキルを使った』と証言させるのだと、彼の醜悪な形相がそう語っていた。
だが、フーリン傭兵団よりも早く動いた者がいた。
それは観客席で試合を鑑賞していたネット・ラレールの横。静かに鎮座していた少女だ。
彼女は今まで被っていたフード付きのローブを脱ぎ捨てて飛翔する。
俺の傍に着地した少女が白銀の長い髪をなびかせ、深紅の瞳でフーリン傭兵団を見下ろす。
絶対的な強者による、獲物を品定めする獰猛な目つきにフーリン傭兵団はたじろぐ。
そして歴戦の竜娘は爪と牙をむく。
彼女の身体は物理的に膨張し、一瞬でリング上に——いや、リングに収まりきらない巨体が格闘場そのものを揺らす。
「竜、だと……!?」
「りゅ、竜娘だあああああああああ!?」
「に、逃げろおおおお!」
巨大な白竜が咆哮を浴びせれば、格闘場は一瞬にして恐怖と混乱に呑まれた。
しかし、それを御するのは街の治安を守る衛兵長補佐だ。
「みんな、見ろ! 二等勇者の勝利を! 竜が祝福しているぞ!」
ネット・ラレールの声を聞いた者たちは逃げ惑うの止め、俺とシルビーの様子に振り返った。
「竜が暴れてない……?」
「おいおい、勇者を守るみたいに佇んでるぞ」
「竜は魔力を嗅ぎ分けられるんだよな?」
「竜が勇者を祝福するってことは……イカサマはねえな!」
「んだよ、フーリンのいちゃもんかよ」
「——かつての戦場で見た、竜と勇者だ」
「俺は二等勇者のアルが……【蒼界のブルーノラ】に乗って、敵兵を砕いてくれた雄姿を忘れちゃいねえ」
「そうだ。アル・コールは【一等勇者】の勲章をもらってもおかしくなかったんだ」
「俺ら兵士の間じゃ、二つ名で呼ばれた勇者様だぜ?」
「間違いなく【千剣の勇者】以上の活躍だったよな」
「あんなん【称号勇者】が妥当だろ」
「それを平民だからって理由で……」
「シッ、王陛下の下賜に文句をつけるのは反逆罪になるぞ」
「で、でもよぉ」
ざわつく観客たちに俺は叫ぶ。
「労働者諸君! 兵士諸君! 今夜は、俺たちの勝ちだ!」
シルビーの咆哮と共に。
男たちの大歓声が格闘場を大きく揺るがしたのだった。




