第83話 静かなる正妻戦争、開幕
昼休みを告げるチャイムが鳴り響いた瞬間、僕の机はあっという間に包囲された。
「伊織、お弁当食べるわよ! ほら、机くっつけて!」
「ふふっ。学校で伊織と一緒にお弁当食べるの、すっごく久しぶりだね」
右から強引に机を寄せてきたひなたと、左から流れるように机をくっつけてきた絵海里。
あっという間に完成した、僕を真ん中に挟んだ三つの机の島。
「えっと……二人とも、ちょっと近くないか?」
「なによ、文句あるわけ?」
「伊織、わたしの隣……嫌だった?」
上目遣いでコテンと首を傾げる絵海里の無防備な攻撃に、僕は「いや、全然嫌じゃないけど……」と早々に白旗を上げるしかない。
それぞれのお弁当箱が開かれる。
ひなたは「ほら、伊織の好きな甘めの卵焼き! 朝早く起きて焼いたんだから、味わって食べなさいよ」と、自分のおかずを僕のお弁当のフタにポンと乗せてきた。真っ直ぐで、少しだけ強引なひなたらしい優しさだ。
「ありがとう、ひなた。すごく美味そう」
「で、でしょ! ならもっと食べなさい!」
一方の絵海里は、彩り豊かな自分のお弁当箱から小さなハンバーグを箸でつまむと、ふんわりとした笑顔のまま、スッと僕の口元へ差し出してきた。
「伊織、あーん」
「えっ!? ちょ、絵海里!?」
「ん? どうしたの? はい、あーん」
悪気なんて1ミリもない、ただ純粋に「美味しい」を共有したいという直感的なアピール。完璧なパティシエールとしての鎧を脱いだ彼女は、昔のままの優しさに加えて、とんでもない破壊力を身につけていた。
あまりにも自然なパーソナルスペースへの侵入に、僕は抗うこともできず、パクリとそのハンバーグを口に入れた。
「……美味い」
「ふふっ、よかったぁ」
花がほころぶように笑う絵海里。至近距離で見つめられ、心臓がドクンと大きく跳ねる。
「ちょ、ちょっと絵海里ちゃん! 学校で『あーん』は反則でしょ!」
「え? でも、伊織も美味しそうに食べてくれたよ?」
「そうじゃなくてっ! 私の目の前で抜け駆けなんて許さないんだから! ああもう、伊織もデレデレしないの! ほら、私の特製唐揚げも食べなさい! はい、あーっん!」
「いや、ひなたのは勢いがすごいから! 唐揚げデカいし、箸が喉に刺さるって――むぐっ!?」
有無を言わさず口に押し込まれた巨大な唐揚げ。味は最高に美味しいのだけれど、いかんせんサイズと勢いが規格外だ。
「ンガッ……! ゲホッ、ゴホッ!」
「ああっ、ごめん伊織! 喉詰まらせた!?」
「伊織、大丈夫? ほら、わたしのお茶飲んで」
むせる僕の口元に、絵海里がスッと自分の水筒のコップを当ててくる。しかも、ごく自然な流れで間接キスコースだ。
「ちょっ!? なんで自分のコップで飲ませようとしてるのよ! 水分なら私の麦茶を飲みなさい!」
「えー? でもひなたちゃんの麦茶、直飲み用のペットボトルじゃん。そっちの方が伊織も恥ずかしくない?」
「うっ……! そ、それは……じゃあ伊織、口開けなさい! 滝行みたいに上から注いであげるから!」
「ブハッ!? 溺れる! 教室で溺死するからやめて!」
右から迫る滝行ペットボトルと、左から迫る間接キスコップ。
そんな僕たちのコントのようなドタバタ劇を、教室のあちこちからクラスメイトたちが完全に面白がるような目で見つめている。
「おい見ろよ、甘野のやつ完全に包囲されてるぞ」
「三色堂の看板娘と、フランス帰りのふんわりパティシエール……静かなる正妻戦争の開幕だな」
「甘野ォ! お前のおかず、全部塩味にしてやろうか!」
四方八方から飛んでくる容赦ない冷やかしと野次に、僕の顔は火の出るように熱くなっていく。
けれど、両隣に座る最強の幼馴染二人は、周囲の視線なんて全く気にする素振りもなく、僕の左右で楽しそうに、そして甘く火花を散らし続けている。
「伊織、次はわたしのおかず食べて?」
「ダメ! 伊織は私のお弁当を一番に食べるの!」
騒がしくて、甘くて、息つく暇もない。
僕の平穏な学校生活は、この秋、間違いなく波乱に満ちたものになりそうだった。




