第82話 転校生は、ふんわりパティシエール
九月。長かった夏休みが明け、二学期が始まった。
教室には久しぶりに会うクラスメイトたちの賑やかな声が響き、窓から差し込む日差しは、真夏の刺すような痛さをすっかり潜めている。
「あーあ、夏休み終わっちゃったわね。伊織、あんたちゃんと宿題の丸付けまで終わらせたんでしょうね?」
「終わったって。ひなたのおかげで、ギリギリ昨日の夜にな」
隣の席から世話を焼いてくるひなたと、そんないつも通りのやり取りをしていると、始業のチャイムと共に担任の先生が教室に入ってきた。
「席につけー。二学期早々だが、今日はみんなに転校生を紹介するぞ」
先生の言葉に、教室中が「おっ?」とざわめく。
ガラガラと引き戸が開く音がして、一人の女子生徒が教壇へと歩み出た。
「え……」
僕は思わず、間の抜けた声を漏らしてしまった。
黒板の前に立ったのは、見慣れたうちの学校の制服に身を包み、栗色の髪をふんわりと揺らす、僕の大切な幼馴染だった。
「お久しぶりの友達もいるかもしれません。小鳥遊絵海里です。今日から、みんなと同じクラスになります」
絵海里が黒板に名前を書き、ふわりと花が咲くように微笑んだ瞬間。
教室中の生徒たちが、ぽかんと口を開けた。
「……え、待って。商店街の洋菓子店の、絵海里ちゃん……?」
「嘘だろ!? 小学生の頃、いっつも甘野の隣でフワフワ笑って歩いてた、あの絵海里ちゃんか!?」
「す、すげえ美少女になってる……! フランスの風、ハンパねえ!!」
小学生の頃の絵海里は、パティスリー・タカナシの看板娘として、近隣の小学校の男子たちの間で『あそこのケーキ屋にすげー可愛い子がいる』と、ちょっとした有名人として知られていた。
かつての面影を残しつつも、見違えるほど綺麗になった彼女の姿に、教室のボルテージが一気に跳ね上がる。
そんなクラスメイトたちのざわめきを前に、絵海里はコテンと首を傾げ、ゆっくりと口を開いた。
「フランスのお菓子作りも楽しかったんですけど……わたし、どうしても一緒にいたい人がいて、日本に帰ってきたんです」
ピタリ、と。
教室中の空気が一瞬で止まった。
そして、絵海里の大きくて少しだけ潤んだ瞳が、一直線に僕の方へと向けられる。
「……やっと、同じ学校に通えるね。よろしく、伊織」
ふにゃりと。
世界で一番甘くて無防備な笑顔で、彼女は僕に向かって小さく手を振った。
「「「…………あー」」」
数秒の沈黙の後。
教室中の全員が、すべてを察したような生温かい視線を僕に向けて、深く深く頷いた。
「……変わってねぇな、小鳥遊」
「昔から甘野の隣が定位置だったもんな。そりゃ帰ってくるか」
「うんうん、なんかホッとしたわ」
「……って、ホッとしてる場合か!! おい甘野ォォォ!! こんな美少女へ成長した幼馴染に思われやがって、許さんぞ!!」
納得の空気から一転、男子たちからの悲鳴にも似た嫉妬の怒号が巻き起こる。
「いや、待て! 夏休みに再会はしてたけど、まさか同じクラスになるとまでは思ってなくて——」
パニックになって弁明しようとする僕の机を、バンッ! と両手で叩く音が響いた。
ひなただ。
彼女は立ち上がり、教壇でニコニコしている絵海里に向かって、バッチリと指を突きつけた。
「ちょっと絵海里ちゃん! 学校でまでそれやんの!? 伊織の隣の席は、絶対に私なんだからね!」
「ふふっ。ひなたちゃん、おはよう。……でも、学校では伊織の『左隣』が空いてるみたいだから、わたしはそこでいいよ」
マイペースな絵海里の言葉に、僕の左側の席の男子が「お、俺の席だ! 喜んで献上します!!」と光の速さで荷物をまとめ始めている。
「ちょっとそこ、あっさり譲らないの! ああもう、伊織もデレデレしてんじゃないわよ!」
「してないって! っていうか、ひなたも落ち着けってば!」
地元だからこその「あー、やっぱり(笑)」というクラスの空気と、勝気な看板娘。
夏祭りの夜から始まった二人の宣戦布告は、どうやら新学期の教室にも、特大の旋風を巻き起こすらしい。
怒号と歓声が飛び交う教室の真ん中で、僕は頭を抱えながら、これからの騒がしい秋の始まりを覚悟するのだった。




