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第81話 ガラスの箱と、晩夏の空(ななか視点)

 チリン、と。

 お祭りの熱気もすっかり遠ざかった夏休み最終日の午後。少しだけ涼しさを増した晩夏の風が、三色堂の軒先で風鈴を小さく揺らした。


「……ん、美味しい」


 私は店先のベンチにちょこんと腰掛け、ひなたちゃんのお店のみたらし団子を頬張っていた。

 甘辛いタレの香ばしさと、もっちりとしたお団子の食感。それを渋い緑茶で流し込むと、胸の奥までホッと温かくなる。


 ふと、隣の伊織くんの家の縁側から、賑やかな笑い声が聞こえてきた。


『だから、ここの生地にはもう少し空気を含ませた方が……』

『えー? でも和菓子の基本からいくと、ここはしっかり練り上げた方が食感が生きると思うんだけど』

『ちょっと二人とも! お菓子作りもいいけど、宿題終わってないの伊織だけだからね!?』


 フランスから帰ってきた絵海里ちゃんのふんわりとした優しい声と、お菓子作りのことになると周りが見えなくなる伊織くんの熱を帯びた声。そして、そんな二人を呆れたように、でもどこか嬉しそうにまとめるひなたちゃんの元気な声。


 三人で囲む縁側の景色は、以前よりもずっと強くて温かい絆で結ばれているのがわかった。

 キラキラと光を反射するような、眩しくて、温かい青春の光景。


 私は、手元のみたらし団子を見つめながら、ぽつりと呟いた。


「……私はいつも、優しさをもらってばかり、だね」


 三人は、いつも私に特等席を用意して、美味しいお菓子と温かい笑顔をくれる。


 でも、私はどうだろう。

 みんな、私のことを「特別」だと言ってくれる。綺麗だね、と微笑んでくれる。

 けれどそれは、美術館に飾られた彫刻を遠くから眺めるような、どこか遠慮がちな優しさだ。


 誰も私に踏み込んでこないし、私も誰も傷つけない。

 私はずっと、透明で綺麗な『ガラスの箱』の中にいる。

 安全で、息苦しくて、そして……とても、寂しい箱の中。


『ななか先輩!』


 不意に、縁側の方から私の名前を呼ぶ声がした。

 顔を上げると、伊織くんがこちらに向かって大きく手を振っていた。その隣で、ひなたちゃんと絵海里ちゃんもニコニコと笑っている。


(……伊織くん)


 彼は時々、そんな風に真っ直ぐな瞳で、私のいるガラスの箱のすぐ外側までやってくる。

 見えない壁をトントンと叩いて、「こっちにおいでよ」とでも言うように、不器用で温かい手を伸ばしてくるのだ。


 私は串団子の空いたお皿をそっとベンチに置き、自分の小さな手のひらを見つめた。


 この手を伸ばせば、あの温かい場所に触れられるのだろうか。

 完璧でミステリアスな「ななか先輩」という殻を破って、ただの私として、誰かを笑顔にすることができるのだろうか。


 逡巡するように、私の指先が微かに震える。

 チリン、と。もう一度、風鈴が鳴った。


 私は戸惑いながらも、見えないガラスの壁の向こう側――眩しいほどに青い晩夏の空に向かって、そっと、自分の右手を伸ばしていた。

 胸の奥で、小さな、けれど確かな『変化』の予感が、産声を上げていた。


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