第79話 大輪の花と、かき消された恋の音(絵美里視点)
「そろそろ時間だな。ちょっと人混みから離れよっか」
伊織に案内されて、私たちは賑やかな屋台の通りを抜け、神社の裏手にある少し小高い場所へと足を運んだ。
お囃子の音や人々のざわめきが遠ざかり、代わりに夏の夜の涼しい風が、浴衣の袖を心地よく揺らしていく。
「あ、始まるわよ!」
ひなたちゃんが夜空を指差した、その瞬間。
ドンッ、と。
胸の奥まで響くような深い音と共に、真っ暗な夜空に色鮮やかな大輪の花が咲いた。
「うわぁ……! 綺麗!」
「うん、すごい迫力……!」
赤、緑、そして黄金色。
次々と打ち上がる光の粒が、私たちの頭上から降り注ぐように広がっては、儚く消えていく。
私は手に持ったりんご飴の甘い匂いを感じながら、夜空を見上げてふんわりと微笑んだ。
ふと、視線を横に向ける。
花火の強い光に照らし出されて、隣に立つ伊織の横顔が、暗闇の中に鮮やかに浮かび上がっていた。
大きく開かれた瞳に、キラキラと花火の色を映して「きれいだなぁ」と子供みたいに笑う横顔。
(……伊織)
一緒にいると、どうしてこんなに心地いいんだろう。
不器用で、たまに鈍感だけど、誰よりも優しくて。お菓子を作ること、誰かを笑顔にすることに対して、どこまでも真っ直ぐな彼が大好きで。
言葉の通じないフランスの空の下で、不安で押しつぶされそうになった時。
私が一番思い浮かべていたのは、完璧なレシピでもなく、華やかなショーケースでもなく……この、飾らない彼の笑顔だった。
ずっと、会いたかった人。
遠回りをして、たくさん迷子になって、ようやくたどり着いた私の本当の居場所。
ドンッ、ドンッ!
一際大きな音が立て続けに響き、空いっぱいにしだれ柳のような光のシャワーが降り注ぐ。
「……わたし、やっぱり伊織のことが好き」
誰に言うでもなく。
花火の大きな音にかき消されるほどの、ほんの小さな呟き。
それは、あの縁側で自覚した淡い想いが、私の心の中で確かな『恋』として、大輪の花を咲かせた瞬間だった。
伊織にも、ひなたちゃんにも聞こえていない。私だけの、甘くて、少しだけ切ない秘密の言葉。
私はもう一度夜空を見上げ、伊織の浴衣の袖を、誰にも気づかれないようにそっと、けれどしっかりと握りしめた。




