第75話 焦げ目のついたクラフティが教えてくれた、君の本当の温度
絵海里が縁側のちゃぶ台にそっと置いたのは、少し焦げ目のついた不格好なクラフティだった。
僕はスプーンを手に取り、まだほんのりと湯気を立てているその生地を、桃と一緒にすくって口へ運んだ。
「……あ」
一口食べた瞬間、ふわりと広がる桃の甘い香りと、カスタードのように滑らかでじんわりとした生地の温かさに、ハッとした。
理屈じゃない。ただひたすらに、優しくて、温かい。
「……美味しい」
呟いた瞬間、僕の脳裏に、すっかり忘れていた幼い日の記憶が鮮やかにフラッシュバックした。
——まだ僕たちが小さかった頃の、この縁側。
絵海里のお母さんが作ったチェリーのクラフティを、僕と絵海里、そしてひなたの三人で囲んだ日のことだ。
素朴で家庭的な甘さを口にした僕とひなたは、顔を見合わせて「おいしいねっ!」と満面の笑みを浮かべた。
あの日、みんなの笑顔を見た僕は、とても心がポカポカして、こう口にしたのだ。
『ぼくも、いつかこんなおかし、つくれるようになりたいなぁ』
こんな風に、食べた人の心をフワッと温かくして、笑顔にしてしまう魔法みたいなもの。
縁側に満ちていた陽だまりのような『幸せな温度』に、当時の僕はただ無邪気に憧れていた。
そして、僕の言葉を聞いた小さな絵海里は、ふにゃりと笑ってこう言ったのだ。
『そしたら、わたしがいおりを、えがおにするおかしをつくるねっ』
思い出した。
それから時が経ち、少し大きくなった絵海里が「新作だよ」と誇らしげに持ってくるお菓子は、いつも優しくて、温かくて、不器用な僕の心をフワッと軽くしてくれた。
完璧なレシピや洗練された技術なんかじゃなく、彼女のお菓子にはいつも「僕を笑顔にしたい」という純粋な祈りが込められていたのだ。
「……本当に美味しいよ、絵海里」
僕がスプーンを置いて真っ直ぐに彼女を見ると、絵海里はホッとしたように、花がほころぶようなとびきりの笑顔を見せた。
フランス仕込みの冷たいお人形なんかじゃない。僕がずっと憧れていた、あの日のままの優しい笑顔。
「……ずっと、絵海里に笑顔をもらってばかりだったな」
「え……?」
僕はちゃぶ台の傍らに置いていた小さな箱を手に取った。
今まで、彼女が作ってくれるお菓子の温かさに、僕はどれだけ救われてきただろう。
フランスで独りぼっちで、見失って、傷ついて。それでも僕のために、こんなに温かいクラフティを焼いてきてくれた彼女を。
今度は、僕が笑顔にする番だ。
「これ。……今の僕が、絵海里のためだけに作ったお菓子だ」
僕は、想いを込めて仕上げた『和風ショコラ』が入った小箱を、彼女へと真っ直ぐに差し出した。




