第69話 縁側の記憶。羨ましかった君の場所(絵海里視点)
不格好だけれど、世界で一番温かいおはぎ。
私がそれをゆっくりと咀嚼して飲み込むのを、ひなたちゃんはテーブルの向かい側で、頬杖をつきながら静かに見守っていた。
「……私ね」
ぽつりと、ひなたちゃんが口を開いた。
いつもの元気で勝気な声とは違う、少しだけ静かで、懐かしむようなトーンだった。
「昔は、伊織と絵海里ちゃんがすごく羨ましかったんだ」
「え……?」
意外な言葉に、私は思わず顔を上げた。
「だって、そうじゃない。いつもの縁側でさ、二人が『次はどんなお菓子作ろうか』とか『ここのお砂糖変えてみよう』って、顔に粉つけながら楽しそうに話してる時。私だけ全然話についていけなくて……ただ出されたものを食べるだけで、仲間外れみたいでさ」
ひなたちゃんは、少しだけ自嘲するように笑った。
私にとっては、ただただ楽しくてキラキラしていた縁側の記憶。
でも、お菓子作りの輪に入れなかったひなたちゃんにとっては、少しだけほろ苦くて、寂しい場所でもあったのだ。私はそんなこと、今まで一度も気づけなかった。
「ひなたちゃん、そんなこと……」
「ううん、いいの。昔の話だから」
ひなたちゃんは小さく首を振り、そして、真っ直ぐに私の目を見た。
その瞳には、昔の寂しさなんて微塵もない。今の自分と、伊織との絆に対する、揺るぎない自信と誇りが宿っていた。
「でも、今は違う。伊織がウンウン唸って作った新しい和菓子を、あの縁側で、伊織のすぐ隣で一番最初に味見する『特等席』は……私のものだから」
特等席。
それは奇しくも、さっきななか先輩と話していたのと同じ言葉だった。
でも、ひなたちゃんの響きはもっと強くて、熱くて、痛いほど眩しい。食べる側としての揺るぎない覚悟と、隣にいるという自負。
「……絵海里ちゃんは、どうなの?」
「……っ」
「フランスですごい技術を身につけて、誰もが驚くような完璧なケーキを作れるようになって。……それで満足? あの縁側の席は、もういらないの?」
ひなたちゃんの強い瞳が、私の心の奥底に隠していた本音へと、真っ直ぐに踏み込んでくる。
『綺麗すぎるお人形』と言われて、傷ついたふりをして逃げ出した私。
でも、ひなたちゃんに見透かされている通りだ。私は伊織の言葉に傷ついたんじゃない。伊織の隣の『特等席』に、私の作った冷たいケーキは似合わないと、自分自身で勝手に諦めて逃げただけなのだ。
「伊織はバカだから、絵海里ちゃんのケーキの本当のすごさも、どうして逃げたのかも分かってない。……でも、絵海里ちゃんがこのまま自分の殻に閉じこもるようなら、あの席は絶対に譲らないからね」
それは、恋のライバルとしての明確な宣戦布告であり。
そして、逃げてばかりの私の背中を力強く叩いてくれる、彼女なりの最高のエールだった。
ドクン、と。
冷え切っていた私の胸の奥で、小さく、けれど確かな鼓動が鳴った。




