第68話 不格好なおはぎに込められた、不器用な優しさ(絵海里視点)
ななか先輩が帰った後のパティスリー。
私は一人、静かな厨房でぼんやりと冷たいオーブンを見つめながら、先輩の残した言葉を反芻していた。
私が本当にお菓子を作りたかった理由。
伊織の隣で、誰のために——。
カランッ!!
その時、『CLOSED』の札が掛かっているはずの店の入り口のドアが、勢いよく開く音がした。
「ちょっと、絵海里ちゃん! いるんでしょ!?」
「ひなたちゃん!?」
驚いて厨房から顔を出すと、そこには『三色堂』のエプロンをつけたまま、肩で息をしているひなたちゃんが立っていた。
その手には、不釣り合いなプラスチックのタッパーが大事そうに抱えられている。
「ひ、ひなたちゃん、どうしてここに……」
「いいから! ほら、これ食べなさい!」
ひなたちゃんはずかずかとカフェスペースに入ってくると、テーブルの上にドンッ!とタッパーを置いた。
「えっと……これ、なに?」
「開けてみればわかるわよ!」
言われるがままに、私はおそるおそるタッパーの蓋を開けた。
そこに入っていたのは、大きさがバラバラで、お世辞にも綺麗とは言えない三つの『おはぎ』だった。
「これ……おはぎ?」
「伊織のバカがウジウジしてて使い物にならないから、私がうちの厨房で作ってきたの! あんこの塗り方も適当だし形も悪いけど……味は保証するわ!」
フンッと鼻息を荒くしてそっぽを向くひなたちゃん。その頬には、少しだけ小豆のあんこがくっついている。
タッパーの中のおはぎは、伊織が作る和菓子のように洗練されたものではない。もちろん、私が作っていたケーキのような、1ミリの狂いもない完璧な球体でもない。
いびつで、不格好で、手作り感に溢れている。
私は添えられていた割り箸を割り、一番大きなおはぎを少しだけ切り取って、口に運んだ。
「……あ」
一口食べた瞬間。
私の目は、自然と大きく見開かれた。
小豆の素朴で優しい甘さと、少しだけ温かいもち米の粒感。
高級な素材を使っているわけでも、緻密な温度計算がされているわけでもないはずなのに、口の中からじんわりとした熱が広がっていく。
それは、私のお腹を満たすためだけの熱じゃない。
『落ち込んでいる絵海里ちゃんに、元気を出してほしい』
この不格好なおはぎの中には、そんなひなたちゃんの真っ直ぐで不器用な気遣いが、痛いほどにぎっしりと詰まっていた。
私がフランスの厨房で必死に探して、見失ってしまった『食べる相手を想う体温』が、ここには確かにあったのだ。
「……美味しい」
「……ほんと?」
私がぽつりとこぼすと、そっぽを向いていたひなたちゃんが、恐る恐るこちらの様子を窺ってきた。
「うん。……すっごく、美味しいよ。私のお菓子より、ずっと温かい」
「なっ、何言ってんのよ! 絵海里ちゃんのケーキの方が百倍美味しいに決まってるじゃない! これはただの、家庭料理の延長みたいなもんで……」
照れ隠しのように慌てて言い訳をするひなたちゃんを見ていると、私の胸の奥で凍りついていた何かが、ゆっくりと溶け出していくのがわかった。
「……ふふっ」
「ちょ、ちょっと! なんで笑うのよ!」
この温かさだ。私がずっと欲しくて、作れるようになりたかったものは。
私は少しだけ泣きそうになるのを堪えながら、もう一口、不格好でとびきり優しいおはぎを口へ運んだ。




