第67話 伊織のSOSと、走り出す看板娘
「……また、味がぼやけてる」
自宅の工房。鍋の中で練り上げていた餡の出来を確認し、僕は深くため息をついた。
絵海里があの縁側から泣きそうな顔で走り去ってから、数日が経っていた。
あれ以来、僕は完全にスランプに陥っていた。何度作っても、指先から感覚が抜け落ちてしまったように味が決まらない。
「ちょっと伊織。さっき店先に出そうとしてた水羊羹、味見したけど……あんた、いい加減にしなさいよ」
引き戸をガラリと開け工房へ入ってきたひなたが、腕を組んで僕をジロリと睨みつけた。
「……悪い。ちょっと集中できてなくて」
「ちょっとどころじゃないわよ。あの日からずっと、お通夜みたいな顔してウジウジウジウジ……!」
ひなたは仁王立ちになり、僕を文字通り見下ろした。
あの日、縁側で僕が放った『綺麗すぎるお人形』という無神経な言葉。そして、絵海里の笑顔が凍りつき、逃げるように帰ってしまった一部始終を、ひなたはすぐ隣で見ていたのだ。
「……僕がバカだったよ。あの言い方じゃ、彼女のケーキには心がこもってないって言ってるようなものだ。でも、どうやって謝ればいいのかわからなくて……」
自己嫌悪で頭を抱える僕の背中を、バァンッ! と容赦のない平手が叩いた。
「痛っ!?」
「当たり前よ! この大バカ伊織! 絵海里ちゃんがあのケーキにどれだけ頑張って想いを込めたか、横で見てた私だってわかるわよ!」
ひなたの怒鳴り声が、静かな厨房に響き渡る。
怒っているだけではない。その声には、大切な友達を心配する確かな熱が帯びていた。
「あんたの鈍感は今に始まったことじゃないけど! そうやって逃げて、不味い和菓子作ってるのが一番サイテーなのよ!」
「うっ……」
「ななか先輩だって、今のあんたのお菓子なんか一口でペッて吐き出すレベルね」
「それは……一番堪える……」
ひなたは深くため息をつくと、腰に巻いた『三色堂』のエプロンの紐をキュッと結び直した。
「あんたはここで、自分の和菓子としっかり向き合ってなさい! 逃げずに、絵海里ちゃんに『美味しい』って言わせる最高のお菓子を考えておくの!」
「ひなた……?」
「絵海里ちゃんのことは、私がなんとかする! あんたの尻拭いなんて癪だけど、可愛いライバルが泣いたままなのは、もっと嫌だからね!」
言い放つなり、ひなたは背後の引き戸へと身を翻した。
「おい、どこに行くんだよ!」
「決まってるでしょ! うちの厨房よ!」
振り返らずに答えたひなたの背中は、いつになく頼もしく見えた。
恋のライバルとして、そして絵海里の大切な友達として。ひなたは自分にしかできないやり方で彼女を引っ張り出すために、夏の陽射しの中へと力強く走り出していった。




