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第56話 海の家でのご褒美と、お財布の悲鳴

 海の家特有の、ソースの焦げる香ばしい匂いと潮風が混ざり合う、昼下がりのテーブル。

 よしずの屋根が作る涼しい日陰で、僕の目の前には無惨にもペラペラになった財布が横たわっていた。


「いっただきまーす! いやぁ、勝負に勝って伊織のおごりで食べるご飯は最高ね!」


 ひなたが冷やし中華の麺をツルリとすすりながら、満面の笑みで勝ち誇っている。

 その向かいの席では、ななか先輩が念願の『特盛シーフード焼きそば』と、なぜか追加で頼んだ『海の家特製・シーフードピザ』の二皿を並べ、凄まじいスピードで平らげていた。


「せ、先輩……焼きそば特盛の上に、ピザまで食べるんですか……?」

「……海で食べるシーフードのピザ。チーズがとろけて、すっごく美味しい……。伊織くん、ごちそうさま」

「いえ、先輩が幸せそうなら僕の財布の犠牲も報われますけど……」


 食欲の化身と化した美しき先輩に圧倒されていると、隣に座っていた絵海里がクスッと笑った。


「ごめんね、伊織。私がバレーで足引っ張っちゃったから……」

「気にするな。あれは先輩が人間をやめてただけだ。それに、絵海里も楽しそうだったし」

「うんっ! すっごく楽しかった!」


 絵海里はパァッと花が咲くように笑うと、ななか先輩のお皿をひょいと覗き込んだ。


「先輩、そのピザ少しもらってもいいですか? 私、シーフードのピザには目がないんです」

「……うん、みんなで食べようと思っていたの。……えみりちゃんには、特別にエビがいっぱいのところ」

「わあ、ありがとう! ……んっ、美味しい!」


 とろけるチーズと魚介の旨味に、絵海里がふにゃりと幸せそうに頬を緩める。

 フランス仕込みの洗練されたお菓子もいいけれど、こうやって海の家のジャンクなご飯を無邪気に頬張る姿も、年相応の女の子らしくてすごく可愛い。


「……ねえ、伊織」

「ん?」


 不意に名前を呼ばれて振り向くと、絵海里が僕の口元へ、ピザの一切れを差し出していた。


「伊織も一口食べる? 私の分も奢ってもらったお礼に。はい、あーん」

「えっ、ちょっ……」

「ほらほら、早くしないとチーズが固まっちゃうよ?」


 小首を傾げ、上目遣いで僕を見つめてくる小悪魔な笑顔。

 その無防備すぎる距離感と、彼女からふわりと香る甘い匂いに、僕の心臓がドクンと大きく跳ねた。


「あ、あーん……」


 言われるがままに口を開け、差し出されたピザをパクリと咥える。

 チーズの濃厚な味が口いっぱいに広がるが、正直、緊張しすぎて味なんてよくわからなかった。


「ふふっ。美味しい?」

「お、おう……」


 僕が顔を真っ赤にして頷いた、その瞬間。


「ちょっと絵海里ちゃん!? あんた、どさくさに紛れてなに伊織に『あーん』なんてしてんのよ!」


 向かいの席から、冷やし中華の箸を握りしめたひなたが鬼の形相で身を乗り出してきた。


「えへへ、お裾分けだよ。ひなたちゃんも伊織にあーんしてあげる?」

「ばっ、わっ、私はあーんなんてしないわよ! そもそも伊織、あんたもデレデレ鼻の下伸ばしてんじゃないわよ! 減点! 一万点減点!!」

「理不尽すぎるだろ! 僕はただピザを食べただけだ!」

「……伊織くん。食後の練乳白くまかき氷、追加していい?」

「先輩は空気読んでください! もう僕の財布のライフはゼロです!!」


 僕の悲鳴が、夏の青空へと吸い込まれていく。

 賑やかな笑い声と、ひなたの怒号、先輩の食欲。そして、隣で楽しそうに笑う絵海里のフワフワとした笑顔。

 お財布はすっかり軽くなってしまったけれど。今年の海は、今まで生きてきた中で一番騒がしくて、とびきり楽しい夏の思い出になった。


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