第47話 深いブルーの水槽と、フワフワな横顔
約束通り、新しくなった駅前の商業施設を少し案内した後。
僕たちはローカル線に揺られ、少し足を延ばして海沿いの街までやってきていた。
「わあ……! すっごく涼しいね、伊織!」
「ああ。外の暑さが嘘みたいだ」
照りつけるような潮風と猛暑から逃れるようにして足を踏み入れたのは、海浜公園に隣接する大きな水族館だった。
薄暗い館内は、ひんやりとした心地よい冷気に満ちている。巨大な水槽から放たれる深いブルーの光が、絵海里のアイスブルーのブラウスと白い肌を、より一層神秘的に浮かび上がらせていた。
「ねえ見て、熱帯魚! 色がすっごく鮮やかで綺麗! あっ、あっちにはペンギンもいるよ!」
「おいおい、そんなに急いで歩いたら転ぶぞ」
絵海里は僕の袖を軽く引っ張りながら、子供のように目を輝かせて水槽を見て回る。
その無邪気なはしゃぎ方は、昔、一緒に商店街を駆け回っていた頃の『フワフワした幼馴染』のままで、僕はなんだか少しだけホッとしていた。
綺麗になって大人びた香りを纏っていても、中身は僕の知っている絵海里のままだ、と。
しかし、順路の途中。
淡い光に照らされた、巨大なクラゲの水槽の前に差し掛かった時だった。
「……」
絵海里の足が、ピタリと止まった。
円柱型の水槽の中を、半透明のクラゲたちが意志を持たないように、ただフワフワと漂っている。
絵海里は水槽のガラスにそっと指先を触れ、言葉を発することなく、ただ静かにその青い世界を見つめていた。
その横顔に、僕は思わず息を呑んで見入ってしまった。
さっきまでの無邪気な笑顔は消え、そこにあるのは、どこか遠くの深海を見透かすような、大人びた静けさ。
深いブルーの光に照らされた長いまつ毛と、すっと通った鼻筋。物憂げに伏せられた視線。
それは、ため息が出るほど美しく、そして――ひどく、孤独に見えた。
(……絵海里)
胸の奥が、チクリと痛んだ。
僕たちは同じ時間を共有して育ってきたはずなのに。
彼女がフランスで過ごした数年間は、僕の全く知らない時間だ。
異国の地で、彼女がどんな景色を見て、どんな人たちと出会い、一人でどれほどの努力をしてあの『完璧なマカロン』を作り上げたのか。僕には何一つわからない。
目の前にいるはずの幼馴染が、ふいに遠く離れた別の世界の住人のように思えて。
その埋めようのない『ギャップ』と『知らない時間』の長さに、僕はどうしようもなく翻弄されていた。
「……絵海里?」
たまらず僕が声をかけると、彼女はハッとしたようにゆっくりと振り返った。
「あ、ごめんね。なんだかクラゲを見てたら、不思議な気持ちになっちゃって」
絵海里はコテリと首を傾げ、いつものフワフワとした笑顔を僕に向けた。
「ずっと見てられそうだけど……伊織、歩き疲れてない? どこかで少し休憩しよっか」
「あ、ああ。そうだな、館内にカフェがあったはずだ」
僕に向けられた笑顔は、いつもの優しい絵海里のものだった。
だけど、水槽の青い光の中で一瞬だけ見せた、あの大人びた横顔がどうしても頭から離れない。
水族館の静かなBGMの中で、僕の心臓だけが、さっきからずっとうるさい音を立てたままだった。




