第44話 アイスティーの底で溶けた恋心と、素直になれない看板娘(絵海里視点)
カラン、と。グラスの中で氷が涼しげな音を立てた。
駅前にある、アンティーク調の小さなカフェ。
茹だるような真夏の熱気に包まれた外とは違い、冷房の効いた店内はとても快適だ。
私の目の前では、ひなたちゃんがフルーツたっぷりのタルトを美味しそうに頬張っている。
「へえー! じゃあ、向こうでは毎日そんな綺麗なケーキ作ってたんだ! すごいね、絵海里ちゃん」
「ううん、私なんてまだまだだよ。パパとママのお手伝いで、少しだけ作らせてもらってただけだもん」
私はふふっ、と笑ってアイスティーを飲んだ。
ひなたちゃんは、昔からちっとも変わらない。裏表がなくて、コロコロと表情が変わって。一緒にいるだけで、お日様の匂いがするみたいでぽかぽかする。
「それでね、こっちの商店街も最近は結構変わって——」
「ねえ、ひなたちゃん」
私はテーブルに頬杖をつき、少し首を傾げてひなたちゃんの顔を見つめた。
「えっ? な、なに?」
「ひなたちゃんと伊織って……ずっと一緒にいるのに、全然進展してないの?」
直球すぎる質問だったかもしれない。
でも、どうしても聞いておきたかった。フランスにいる間も、ずっと気になっていたから。
「……ぶっ!?」
ひなたちゃんは見事にむせた。
慌ててお水を飲み、目をまん丸にして私を見ている。その顔は、タルトに乗っているイチゴよりも真っ赤に染まっていた。
「し、しんてんって……! な、何の話!? 私とバカ伊織が!? なんで!?」
「だって、昔からひなたちゃん、伊織のこと好きだったでしょ? だから、私がいない間にすっかり彼女みたいになってるのかなーって思ってたんだけど」
私には、昔から人の心を感覚で少しだけ感じ取ってしまうところがある。
ひなたちゃんが伊織に向けている矢印は、ちっとも隠せていなかった。温かくて、大きくて、伊織のことが大好きだっていう、真っ直ぐな気持ち。
「ちっ、違うわよ! あっ、いや、違うっていうか……! 好きとかそういうのじゃなくて!」
ひなたちゃんは両手をバタバタと振って、必死に否定する。
「あんなお人好しの鈍感男、何とも思ってないわよ! ただの腐れ縁! 家が隣で、お店が同じ和菓子屋だから、仕方なくお世話してあげてるだけなんだから!」
「そっか。お世話係、なんだね」
一生懸命に隠そうとしているけれど、ひなたちゃんの瞳がわかりやすく揺れているのが伝わってくる。
(ああ、ひなたちゃん……。ずっと伊織の一番近くにいたのに、素直になれなくて足踏みしてたんだ)
伊織は相変わらず鈍感だし、ひなたちゃんは不器用で優しいから、きっと今の関係が壊れるのが怖いんだと思う。
その温かい関係性はすごく素敵だけど。
でも……伊織の隣の「特等席」は、まだ空いたままなんだ。
私は、ホッとしてしまった自分に気づいて、少しだけ胸がチクリと痛んだ。
ひなたちゃんは大好きな幼馴染で、大切なお友達。だからこそ、自分の気持ちにも真っ直ぐに向き合いたい。
「……じゃあ、私があの特等席、もらっちゃおうかな?」
「えっ?」
私は、ふわりと首を傾げて、ひなたちゃんを真っ直ぐに見つめた。
意地悪をしたいわけじゃない。ただ、大好きなひなたちゃんに嘘をつきたくないから。これは私なりの、素直で誠実な気持ち。
「ひなたちゃんが座らないなら、私が伊織の隣に行ってもいい……よね?」
「なっ……!?」
ひなたちゃんの顔が、限界まで赤く染まる。けれど、今まで散々「何とも思ってない」と強がっていた手前、ここで引くことはできないらしい。
「い、いいわよ! 好きにすれば! あんなデリカシー皆無のお人好しバカ、私には関係ないんだから!」
「ふふっ。ありがとう、ひなたちゃん」
私は嬉しくなって、ふんわりと笑った。ひなたちゃんは「うぅ……」と頭を抱えてテーブルに突っ伏してしまったけれど。
ごめんね、ひなたちゃん。私、伊織のことになると、どうしても譲れないみたい。
冷たいアイスティーの底で、甘いシロップが静かに混ざり合っていく。
私の心の中で、ずっと大切にしまっていた伊織への淡い恋心が、静かに、でも確かな熱を持ってふわりと輪郭を描き始めた瞬間だった。




