第43話 夕暮れのシャッターと懐かしい匂い
縁側での賑やかなお茶会がお開きになる頃、空はすっかり茜色に染まっていた。
店の手伝いがあるひなたと別れ、僕は絵海里の帰り道に付き添うことにした。
「私、ちょっとだけお店の姿、見て帰ろうかなって」
帰り支度をしながら、絵海里がぽつりと言ったからだ。
蝉の声がヒグラシの鳴き声に変わり始めた、夕暮れの商店街。
二人で並んで歩き、アーケードの端までやってくると、見慣れた空き店舗の前に辿り着いた。
すっかり色褪せたオーニングテントと、固く下ろされたままのシャッター。
『パティスリー・タカナシ』
かつて、バターとバニラの幸せな匂いが一日中漂っていた、絵海里の自宅だ。
「……懐かしいな。昔、お店がお休みの日に、よくここで三人でお菓子作りの真似事したよね」
シャッターの前に立ち止まり、絵海里が愛おしそうにテントを見上げた。
オレンジ色の夕日が、彼女の純白のサマードレスをふんわりと染め上げている。
「おじさんとおばさんも、一緒に帰ってきてるんだろ? お店の再開、いつ頃になりそうなんだ?」
僕が尋ねると、絵海里はシャッターの埃を指先でそっと拭いながらコクリと頷いた。
「うん。パパもママも、フランスでの修行は一区切りついたから、やっぱりこの街でもう一度お店を開きたいって。……来月中には、またここを開ける予定だよ。今はまだ、中には段ボールが山積みなんだけどね」
「そっか。また商店街に、あの匂いが戻ってくるんだな。なんか、すっごく嬉しいよ」
「ふふっ、ありがとう。……伊織のところは?」
「僕? 僕は最近、うちの親父の背中を追いかけながら、どうにか甘野庵の跡取りとして『自分の味』を出せないか、試行錯誤してるんだ」
「自分の味?」
「うん。完璧な形じゃなくてもいい。ただ、一口食べた人が思わず無防備な笑顔になっちゃうような……そんな、体温のある和菓子を作りたいんだ」
無意識のうちに熱がこもってしまった僕の言葉を聞いて、絵海里はふわりと嬉しそうに目を細めた。
「伊織の和菓子への情熱、昔から全然変わってないね。すっごく……真っ直ぐで、温かいよ」
そう言って笑う彼女の表情は、昔のままの優しい幼馴染だった。
けれど。
「……伊織は、ちゃんと自分の味を見つけてるんだね」
夕闇が静かに降りてくる商店街の片隅で。
ポツリと呟いた彼女の横顔は、触れたらそのまま夕暮れに溶けて消えてしまいそうなほど、ひどく儚く見えた。
「え?」
「ううん、なんでもない。……さあ、暗くなる前に帰ろっか」
絵海里はクルリと振り返ると、いつものフワフワとした笑顔で僕に手を振った。
その無邪気な笑顔を見ると、さっきの儚さが、夕暮れの光が作ったただの錯覚だったように思えてくる。
「……ああ。また明日な、絵海里」
「うんっ! またね、伊織!」
パタパタと小走りで帰っていく純白のサマードレスの背中を見送る。
閉まったままのシャッターが開く日は、もうすぐそこまで来ている。
フランスから帰ってきた幼馴染は、僕の記憶よりもずっと綺麗になっていて、すれ違った時に少しだけ大人びた香りがした。
長く伸びた自分の影を見つめながら、僕は小さく息を吐く。
……どうやら今年の夏は、今までで一番騒がしくて、とびきり甘い季節になりそうだ。




