第42話 完璧な味と、冷たいショーケース
蝉の声が降り注ぐいつもの縁側。
ひなたが手際よく淹れてくれた冷たいアールグレイのグラスの横で、銀色の小箱に並んだマカロンが、夏の午後の光を反射して宝石のようにキラキラと輝いていた 。
「それじゃあ……いただきます」
僕はフランボワーズの鮮やかな赤いマカロンを指で摘み、そっと口に運んだ。
サクッ。
薄い氷を割るような繊細な歯触りの直後、生地がホロリとほどけ、中から濃厚でなめらかなガナッシュの甘みと、木苺の鮮烈な酸味が口いっぱいに広がる。
「……すごい」
思わず、ため息が漏れた。
和菓子と洋菓子、ジャンルは違えど同じくお菓子作りに向き合う身として、これがどれほどの技術と計算の上に成り立っているのかが痛いほどわかる。
焼きの温度、メレンゲの立て方、素材の配合。そのすべてが、寸分の狂いもない『正解』を叩き出していた。
「美味しい……! なにこれ、すっごく美味しい!」
隣でピスタチオのマカロンを頬張ったひなたも、目を丸くして感嘆の声を上げた。
「お店に出てる高級なマカロンより、ずっと繊細で綺麗な味がするわ。絵海里ちゃん、フランスで本当にいっぱいお勉強したんだね」
「ふふっ。ありがとう、ひなたちゃん、伊織」
僕たちの手放しの絶賛を聞いて、絵海里はふわりと花が咲くように微笑んだ 。
「二人にそう言ってもらえるのが、私、一番嬉しいな」
お人形のように愛らしい笑顔。
フランスへ行く前、縁側で一緒にお菓子作りをしていた頃と何も変わらない、僕の大好きな幼馴染の顔だった。
「……私も、いただこっと」
絵海里は少しだけ照れくさそうにはにかむと、シトロンの黄色いマカロンを手に取り、小さな桜色の唇へ運んだ。
サクッ、と。僕の時と同じ、完璧な音が鳴る。
――けれど。
自分で焼いたはずのその完璧なマカロンを咀嚼した瞬間。
絵海里の長いまつ毛が、ほんの一瞬だけ、ふっと伏せられた 。
「……」
美味しい、とも、どうかな、とも言わない。
ただ、静かに飲み込んで、小さく息を吐いた。
彼女の纏うフワフワとした空気が、その一瞬だけ、微かに凍りついたように見えたのだ。
「絵海里? どうかしたか?」
「えっ? ううん、なんでもないよ! ちょっとお砂糖、控えめにしすぎちゃったかなーって思っただけ」
僕が声をかけると、絵海里はハッとして、すぐにいつもの柔らかい笑顔を取り戻した。
「そんなことないわよ! これくらいが紅茶にピッタリで最高だもん。ね、伊織?」
「ああ。見た目も味も、文句のつけようがない完璧な出来栄えだよ」
「えへへ……よかった」
ひなたが冷たい紅茶のおかわりを注ぎ、話題は自然と、三人で過ごした小学生の頃の昔話へと移っていった 。
「あの頃の伊織、お砂糖と塩を間違えて大惨事になったことあったわよねー」
「ちょ、ひなた、それは言わない約束だろ!」
「ふふっ、懐かしいなぁ。二人とも、全然変わってないね」
縁側には、賑やかで温かい笑い声が響いている。
照りつける夏の太陽も、氷が溶けてカランと鳴るグラスの音も、何もかもが鮮やかで眩しい。
なのに。
昔話に花を咲かせ、楽しそうに笑う絵海里の横顔は、時折どこか遠くを見つめるように、すっと静かな寂しさを帯びていた 。
僕とひなたの笑い声の向こう側で、彼女だけが、分厚いガラスで隔てられた『冷たいショーケース』の中に一人で立っているような。
(……気のせい、だよな)
フランスで学んだ本場の技術。洗練されたサマードレス。
僕の知らない時間を過ごしてきた彼女の美しさに、僕が勝手に気後れしているだけだ。
そう自分に言い聞かせるように、僕は残っていたマカロンを口に放り込んだ。
完璧で、ため息が出るほど美味しい洋菓子。
けれど、なぜだろう。その洗練された甘さは、僕たちのいるこの泥臭くて温かい縁側の空気から、ほんの少しだけ浮いているような気がしてならなかった。




