第119話 涙と特大ぷっくりほっぺ。女神ではない、等身大の君の笑顔
僕が息を呑んで見守る中、ななか先輩は銀の匙ですくい上げた『薄氷と雪解け』を、ゆっくりと口に運んだ。
シャリッ、という琥珀糖が弾ける微かな音。そして、熱い濃茶の葛だれと柔らかな浮島が、口の中で溶け合っていくはずだ。
先輩は静かに目を閉じ、じっとその味わいを確かめるように咀嚼を始めた。
次の瞬間。
「……んむっ」
先輩のシュッとした綺麗なフェイスラインが、内側から押し出されるように、ぷくーっと大きく膨れ上がった。
春の縁側に彼女を初めて招き入れた時から愛してやまない、あのリスのような頬袋。いや、今日は和洋折衷の複雑な味わいと熱が加わっているからか、過去最大級の『特大ぷっくりほっぺ』だ。
(……っっ!!)
あまりの破壊力に、僕の心臓が限界を突破して爆発しそうになる。必死に平常心を装っているけれど、顔は間違いなく真っ赤だろう。
やがてゆっくりと咀嚼を終え、ごくりと喉を鳴らした先輩が、そっと目を開けた。
その透き通った瞳は、涙でいっぱいに潤んでいた。
「……先輩……?」
僕が恐る恐る声をかけると、先輩はポロリと一粒の涙を零し、けれど、たまらなく愛おしそうにお皿を見つめた。
「完璧な外見を割った先には、こんなに甘くて、温かくて、色んな感情が詰まってるんだよ……って。伊織くんたちからのメッセージ、だね」
震える声で紡がれたその言葉に、僕は強く、大きく頷いた。
僕の和菓子職人としての、いや、甘野伊織としての不器用な想いは、寸分の狂いもなく彼女の心のど真ん中に届いていたのだ。
「……ありがとう。……すごく、すごく美味しい」
涙ぐみながら、僕の目だけを真っ直ぐに見つめて向けられたその笑顔。
それはもう、誰もが遠巻きに憧れる『ミステリアスな高嶺の花』なんかじゃなかった。
ただ美味しいお菓子を食べて心から喜んでいる、とろけるように無防備で、等身大の、最高に可愛らしい女の子の笑顔だった。
「……よかった。本当に……よかったです」
安堵と、和菓子職人としての無上の喜びで、僕の胸はいっぱいになる。
大盛況の学園祭のカフェフロア。
それなのに、周囲の喧騒はふっと遠のき、世界に僕と先輩の二人だけしかいないような、そんな錯覚に陥るほど静かで満ち足りた時間が流れていた。
潤んだ瞳と、とろけるような笑顔。
この一番奥のテーブル席だけが、まるで初めて二人でお菓子を食べた、あの春の日の縁側のように――優しくて、どこまでも甘い温もりに包まれていた。




