第115話 来店する天使と、煙に巻く特等席
厨房の奥。僕は湯気を上げる蒸し器の前で、特製スイーツ『薄氷と雪解け』の要となる「浮島」の火加減に全神経を集中させていた。
中からとろけ出す濃茶の葛だれが一番美味しい温度になるまで、あと数分。
「いらっしゃいませっ! ……あ、ななか先輩!」
フロアから聞こえたひなたの声に、僕は暖簾の隙間からそっと外を覗き込んだ。
入り口に立っていたのは、コンテストのドレスからいつもの制服に着替えたななか先輩だった。
大歓声を浴びたステージの緊張から解放されたのか、いつもの『高嶺の花』のオーラはすっかり消え、どこかホッとしたような、柔らかくて無防備な表情を浮かべている。
「ななか先輩、お疲れさま! 伊織は厨房にいるので……、こちらの席へどうぞ!」
「先輩、お疲れ様です。こっちこっち」
ひなたと絵海里が、お店で一番落ち着く奥まった厨房近くのテーブル席へと先輩を案内する。
「……ふたりとも、本当にありがとう。……ドレス、可愛く直してくれて……すごく嬉しかった」
「ま、それはいいとして」
ななか先輩がはにかみながらお礼を言うと、ひなたがニヤリと笑って、テーブルに身を乗り出した。いつもの僕に対するような、全く遠慮のない口調だ。
「ちょっと先輩、あの『大切な人』発言は何よ? 見てるこっちがヒヤヒヤしたんだから。……伊織のこと、本気で狙ってるわけ?」
「うん。先輩、あんな大勢の前で抜け駆けはずるいよ」
絵海里もコテンと首を傾げ、ふんわりとした笑顔の中にチクリとした牽制を混ぜる。
少しだけピリッとした、女の子同士の緊張感。暖簾の裏で聞いている僕まで冷や汗が出てくる。
しかし、ななか先輩は二人の追及に動じることなく、ふにゃりと笑った。
「……ううん。……伊織くんの『お隣』は、ふたりに……譲ってあげる」
「「えっ?」」
あっさりとした言葉に、ひなたと絵海里が拍子抜けしたように顔を見合わせる。
だが、先輩は妖精のようにイタズラっぽく微笑んで、こう続けたのだ。
「……でもね。伊織くんの作るお菓子を一番に食べる、縁側の『特等席』だけは……絶対に、誰にも譲らない。……だってわたし、あの場所が、一番大好きだから」
「えっ、ちょっと待って! それってどういう意味!? お菓子が好きなの? それとも伊織が好きなの!?」
「っていうか、縁側の特等席を譲らないって……伊織の家にずっと通い続けるってことだよね……? それ、お隣にいるよりずっと距離が近いんじゃ……」
「……さあ? ……どういう意味、かな。……ふふっ」
煙に巻くような先輩のふんわりとした笑顔に、ひなたと絵海里は「ぐぬぬ……!」と完全に混乱させられている。
天然なのか、計算なのか。学園の女神の底知れなさに、僕の幼馴染二人は見事に翻弄されていた。
(……すごいな、先輩は)
牽制し合いながらも、どこかお互いを認め合っている三人の関係性に、僕は思わず顔を熱くして微笑んでしまった。
「ピーッ、ピーッ」
ちょうどその時、タイマーが鳴り、浮島が完璧な状態に温まり上がった。
僕は気合いを入れ直し、熱々の浮島をプレートに乗せ、周囲に冷たい琥珀糖を散りばめて、最後にキラキラと光る『有平糖の薄氷ドーム』を慎重に被せる。
「よし、完璧だ」
僕は完成した『薄氷と雪解け』を両手で大切に持ち、三人の待つフロアへと、暖簾をくぐって歩み出していった。




