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第108話 温かな包囲網。箱の外から呼ぶ声(ななか視点)

 控室の静寂の中で、私は真っ白なドレスに広がったシミを見つめて立ち尽くしていた。

 本番直前。緊張で指先が震えて、手元のカップを倒してしまった。

 完璧な『学園の女神』としてステージに立たなければいけないのに。私が失敗すれば、一緒に歩いてくれる伊織くんにまで恥をかかせてしまう。


(……やっぱり、私は……ダメ、なのかな……)


 一瞬、冷たい『ガラスの箱』の気配が背筋を掠めた。

 誰もいない透明な檻の中で、一人で震えていたあの頃の孤独。私が少しでも綻びを見せれば、みんながっかりして離れていってしまうのではないか。そんな恐怖が足元から這い上がってくる。


 絶望に凍りついた私の耳に、控室の扉が開く乾いた音が響いた。

 そこに立っていたのは、準備を整えた伊織くん。その後ろ、紺碧の和装が映えるひなたちゃんと、フリルを揺らす絵海里ちゃんが、開いた扉の先で息を呑んでいた。


「……どうしよう。……どうしよう、伊織くん……っ」

「――ななか先輩!? 大丈夫ですか!」


 状況を把握した伊織くんたちが駆け寄ってくる。


「伊織、くん……。……ごめんなさい、私……おっちょこちょい、だから……」


 情けなくて視界が滲む私を、彼らは責めるどころか、すぐさま駆け寄って取り囲んでくれた。


「ちょっとそこどいて! 私が見るわ!」


 ツインテールを揺らしながら、ひなたちゃんが私の足元に膝をつく。

 彼女の鋭い瞳は、絶望していた私に「諦めるな」と言っているように見えた。


「大丈夫よ、先輩。これくらい『三色堂』でついたお茶のシミに比べれば、なんてことないわ! 看板娘の腕を見せてあげるから!」

「……ひなた、ちゃん……」

「わたしも手伝うね。ちょうどこのリボンとレースの余りがあるから……。シミを消した後に、もっと素敵にデコレーションしちゃうよ」


 絵海里ちゃんが柔らかく微笑みながら、裁縫セットを広げる。

 その隣で、伊織くんや生徒会のみんなも「僕にできることは!?」「アイロン持ってくる!」と、私のために必死に動いてくれている。


 みんなの熱気が、狭い控室に充満していく。

 これまで、遠くから祈られるように見守られていただけの私。

 でも今は、みんなの温かい手が、真っ直ぐな言葉が、私を閉じ込めていたガラスをトントンと叩いているような気がした。


(……あ。……聞こえる……)


「大丈夫ですよ」「一緒に頑張りましょう」「先輩のドレス、絶対直りますから!」


 みんなの声が、まるで『そこから出ておいで』と私を誘ってくれているみたいに、優しく響く。

 一人で完璧でいなきゃいけないと思い込んでいた私に、みんなが「一緒に失敗を埋めてあげる」と手を差し伸べてくれている。


「……みんな。……ありがと……っ」


 応急処置が終わり、絵海里ちゃんがつけてくれたレースが、シミのあった場所を以前よりも華やかに彩っていた。

 顔を上げると、そこには私を「女神」として崇める信者ではなく、同じステージを作り上げようとする「仲間」たちの笑顔があった。


「……ななか、頑張って! 絶対、一番だよ!」

「先輩、めちゃくちゃ綺麗です。自信を持って行ってきてください!」


 ひなたちゃんや絵海里ちゃん、そしてみんなからのエールが、胸の奥に灯火を灯してくれる。

 透明な壁の向こう側から聞こえていた声が、今はこんなにも近くに、熱を持って届いている。


「……行こう、伊織くん」


 私は、彼の差し出した手をしっかりと握った。

 まだ箱の中にいるけれど、その境界線はもう、驚くほど薄くなっている。


 みんなが呼んでくれている、あの日光の当たる場所へ。

 私は伊織くんと一緒に、ステージへの階段を一段ずつ、踏み締めるように登り始めた。


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