第103話 特別扱いしない、君の温度(ななか視点)
両手いっぱいに抱えた、秋の味覚。
少しだけ離れた静かなベンチに腰を下ろすと、ようやく心地よい秋風が火照った頬を撫でてくれた。
私は、大きなクレープを一口、幸せを噛みしめるように頬張った。
はむっ。もぐもぐ……。
たっぷりの生クリームと、甘酸っぱいイチゴ。口いっぱいに広がる甘い充足感。
お行儀が悪いかもしれないけれど、今はそんなこと、どうでもよかった。
綺麗な彫刻のように座っているだけの毎日よりも、こうしてお菓子を夢中で食べている時間の方が、ずっと私らしい気がして。
私がクレープを頬張る様子を、彼は呆れるでもなく、かといって崇めるでもなく、ただただ温かい目で見守ってくれている。
「……ふふっ。美味しいですね」
隣で伊織くんが、穏やかな声で笑った。
「……伊織くん? ……どうか、した……?」
「いえ。……あの、誘ってよかったなって、思って」
「……?」
「この間、うちの教室に来てくれた時。みんなに囲まれてる先輩が、すごく……寂しそうに見えたから」
その言葉に、私はクレープを口に運ぼうとした手を、ピタリと止めた。
(……寂しそう……?)
鼓動が、トクンと跳ねる。
誰も気づかなかったはず。いえ、誰も見ようとしなかったはずだった。
みんな、私を『高嶺の花』として大切に扱ってくれる。傷つかないように、汚れないように、遠くから祈るように見つめている。
でも、それは私を見てくれているのではなく、私を閉じ込めている『ガラスの箱』を見ていただけ。
箱の中にある私の心が、どれほど冷えて、どれほど誰かの体温を求めて震えていたかなんて……誰も、知らなかったのに。
伊織くんは、私の外側に張られた分厚いガラスなんて、まるでないかのように。
当たり前の顔をして、箱の中の、孤独だった私を見つけてくれた。
「……先輩、あの時……とても遠くを見ているような、そんな顔をしていたから。こうして笑ってくれて、良かったです」
伊織くんが、私を真っ直ぐに見つめる。
彼の瞳には、特別な女神でも、高嶺の花でもない。ただの、甘いものが大好きで、少しだけ不器用な「食いしん坊な先輩」が映っていた。
(……ああ。……温かい……)
胸の奥が、じんわりと、優しい熱で満たされていく。
彼が隣に座っている。私と同じ目線で、同じ食べ物の匂いに包まれて、私を私として、普通に扱ってくれている。
それは、ずっと私が欲しくてたまらなかった『温度』だった。
伊織くんは、自分でも気づかないうちに、私のガラスの箱に手をかけて、当たり前のように中に入ろうとしてくれている。
「…………伊織くん……」
木漏れ日が、私たちの間を優しく照らす。
私は、自分でも驚くほど自然に……そして、心からの安らぎを感じながら、微笑んでいた。
「……ありがと……」
不器用な感謝の言葉。
でも、その一言には、分厚いガラスが完全に溶けてしまったような、そんな柔らかな響きがこもっていた。
「……あの、ね……。伊織くん。……次……あっちの、お団子……食べに、行きたいな……」
「はは、まだ食べるんですか? 了解です、どこまでも付き合いますよ」
私は、自分を『高嶺の花』という高い場所から降ろしてくれた彼の袖を、今度は少しだけ強く、握りしめた。
この温かな温度だけは、離したくない。
そう願いながら、私は秋の陽光の中、彼と一緒に一歩を踏み出した。




