宿屋の再建、ぷるぷるスライムは万能清掃員 前編
アルファポリスで11話まで連載中!!
【辺境のもふもふ宿、今日も異世界を救います】
https://www.alphapolis.co.jp/novel/211659621/538086401
異世界で迎える、最初の朝だった。
悠真は、見知らぬ天井を見上げながら目を覚ました。
正確には、天井と呼べるものではない。古びた木の梁がむき出しになっていて、その隙間から朝の光が差し込んでいる。屋根に空いた穴から、青空が見えた。
「……屋根、直さないとな」
昨夜、悠真は崩れかけた宿屋――月見亭の玄関先で、魔獣たちと一緒に眠った。
最初は屋根のある部屋で寝るつもりだった。だが、家の中には長年の埃が積もり、床板はところどころ抜け、壁には見たことのない蔓植物が絡みついていた。
何より、奥の部屋から聞こえてきた「何かが這いずる音」が気になった。
鑑定を使えば正体を確認できたのだろうが、昨日の悠真は疲れ切っていた。異世界転移、白尾月猫の治療、銀月狼との契約、謎のスライムとの遭遇。
これだけの出来事を一日で経験すれば、誰だって眠くなる。
結局、悠真は玄関脇の比較的無事な場所に毛布を敷き、ガルムを背もたれ代わりにして眠った。
ミルは悠真の胸元で丸くなり、白いスライムは足元でぷるぷる震えていた。
今も、その状態は変わっていない。
ガルムは悠真の背中にぴったり寄り添い、ミルは首元に乗り、ぷるんは腹の上に乗っている。
「重い……」
悠真が身じろぎすると、銀色の巨大狼が低く唸った。
眠りを邪魔するな、と言っているらしい。
「いや、起きる時間だろ。朝だぞ」
「ぷる……」
悠真の腹の上で、ぷるんが小さく跳ねた。
「ぷるんは起きてるのか?」
「ぷる!」
勢いよく跳ねたぷるんが、悠真の顔に落ちてきた。
「うわっ!」
白いゼリー状の体が、悠真の顔を覆う。
息ができない。
慌てて手で引きはがそうとしたが、ぷるんの体は予想以上に滑る。ぬるりと指の間を抜け、今度は悠真の頭の上に乗った。
ガルムが大きく口を開けた。
「待て、ガルム! 食べるな!」
銀狼の牙が迫ったところで、ぷるんがぽん、と跳ねた。
床に落ちた白いスライムは、何事もなかったように体を揺らしている。
「ぷるる」
「お前、もしかして俺を起こしたのか?」
「ぷる!」
「……そうか。ありがとう」
ぷるんは嬉しそうに、さらに二度跳ねた。
ミルも悠真の胸元から降りると、伸びをしてから小さく鳴いた。ガルムはようやく身を起こし、入口の外へ視線を向ける。
朝の空気は冷たかった。
だが、昨日の草原で感じた心細さは、もうなかった。
目を覚ませば、隣に仲間がいる。
その事実が、悠真の胸を少しだけ温かくしていた。
「さて」
悠真は立ち上がり、崩れた家の中を見回した。
「まずは現状確認だな」
会社で品質管理をしていたころの癖で、悠真は腰に手を当てた。
壊れた製品を直すとき、最初にするのは原因の特定だ。見た目だけで判断し、いきなり部品を交換してはいけない。内部の構造を調べ、壊れた箇所と、まだ使える箇所を区別する。
同じことを、この宿にもすればいい。
「鑑定」
悠真が家全体を見渡すと、視界が淡い青色に染まった。
《辺境宿〈月見亭〉》
《築年数:推定百二十年》
《総合状態:危険》
《屋根:損傷率七十三パーセント》
《外壁:損傷率四十八パーセント》
《床:損傷率三十六パーセント》
《魔力炉:停止》
《水源:枯渇》
《宿としての機能:休眠中》
「数値まで出るのか……」
思わず前の世界で使っていた検査機器を思い出す。
ただし、表示された情報はそれだけではなかった。
《修復可能箇所:全域》
《必要素材:木材、石材、魔力結晶、水属性触媒》
《推奨作業:清掃、害虫駆除、屋根補修、魔力炉再起動》
「害虫駆除?」
その言葉に反応したのか、奥の部屋から、がさり、と音がした。
悠真が振り向く。
崩れた壁の向こうから、黒くて丸い何かが顔を出した。
目が六つある。
体は犬ほどの大きさで、長い触角が二本。足は八本。背中には硬そうな甲羅があり、口元から泡が垂れている。
「……虫?」
鑑定の文字が浮かんだ。
《対象:腐木喰らい》
《危険度:低》
《性質:腐った木材を好んで食べる》
《備考:家屋にとって有益な場合があります》
「有益なのか?」
悠真が首をかしげた瞬間、腐木喰らいは床板にかじりついた。
ばきっ。
床が一枚、あっという間に食べられた。
「いや、それは困る!」
悠真が叫ぶと、ガルムが唸り声を上げた。
腐木喰らいは六つの目を一斉にガルムへ向け、泡を吹きながら後ずさった。だが、逃げる代わりに、今度は壁へ向かって走り出す。
「ぷる!」
ぷるんが跳ねた。
白い体が大きく広がり、腐木喰らいの前に壁のように立ちはだかる。虫はぷるんにぶつかり、弾き返されて床を転がった。
悠真は目を見張った。
「ぷるん、お前……」
ぷるんは誇らしげに、ぷるぷると揺れている。
腐木喰らいが再び突進した。
ぷるんの体が一瞬だけ透明になる。
次の瞬間、虫の姿が白い体の中へすっぽりと消えた。
「えっ、食べた?」
「ぷるぷる」
ぷるんは何度か体を揺らしたあと、腐木喰らいだけを床へ吐き出した。
しかし、吐き出された虫は、先ほどまでとは違っていた。
体の表面に付着していた黒い汚れがすべて消え、甲羅は磨いた石のように輝いている。さらに、八本の足には薄い青い光が宿っていた。
鑑定結果が表示される。
《腐木喰らいの状態異常を除去しました》
《体内に蓄積していた腐食毒を抽出しました》
《抽出物:高純度腐食毒・一瓶分》
《ぷるんの特性が一部解放されました》
「毒まで取ったのか……?」
ぷるんは元気よく跳ねた。
「ぷる!」
腐木喰らいはしばらくその場に座り込んでいたが、やがて悠真の足元まで歩いてきた。
そして、頭を下げた。
「もしかして、謝ってるのか?」
腐木喰らいが一度だけ触角を揺らす。
鑑定の文字が浮かんだ。
《対象の望み:住む場所がほしい》
《忠誠度:三パーセント》
「忠誠度が表示されるのか」
悠真は苦笑した。
この宿には、昨日からずいぶんと個性的な住人が増えている。
白尾月猫のミル。
銀月狼のガルム。
白紙スライムのぷるん。
そして、腐木喰らい。
「まあ、家を食べないなら、いてもいいけど……」
腐木喰らいの忠誠度が、三パーセントから十パーセントに上がった。
「現金なやつだな」
悠真は腰を下ろし、腐木喰らいの甲羅を撫でた。
意外にも、甲羅は温かかった。
「名前がないと呼びにくいな。お前は……モク?」
腐木喰らいの触角がぴんと立つ。
「木を食べるからモク。嫌なら別の名前を考えるけど」
鑑定画面が開いた。
《真名を与えますか?》
「うん」
悠真が触角の間に指を置くと、淡い光が広がった。
《真名登録:モク》
《腐木喰らいが仲間になりました》
《称号効果により、成長限界が解除されました》
モクの体が一回り大きくなる。
八本の足が力強く伸び、背中の甲羅に木の葉のような模様が浮かんだ。
《モクの固有能力が発現しました》
《腐朽判定》
《不要な腐食部分のみを選択して除去できます》
「それは助かる!」
悠真は思わずモクを抱き上げた。
ずしりと重い。
モクは悠真の腕の中で、満足そうに触角を揺らした。
それからの作業は、驚くほど順調だった。
まず、モクが腐った床板や柱を選んで食べていく。以前のように手当たり次第ではなく、腐食した部分だけを正確に取り除くことができた。
ガルムは崩れた屋根の梁をくわえ、軽々と運んだ。
悠真が持ち上げようとしてもびくともしなかった丸太を、ガルムはまるで枝のように扱う。
「ガルム、そこに置いてくれ」
銀狼は指示通り、壁際に丸太を積み上げた。
ミルは小さな体を活かして、瓦礫の隙間に入り込んだ。中から木片や石を運び出し、時々、見つけた銀色の硬貨を悠真のもとへ持ってくる。
「これは……お金か?」
鑑定すると、古い銅貨だった。
《ノルド宿場町で使用可能》
《価値:パン一個分》
「よく見つけたな、ミル!」
ミルは胸を張った。
ぷるんは、床や壁に付いた埃を吸い取った。
体の中へ入った埃は、しばらくすると小さな黒い粒になって排出される。悠真がその粒を集めて外へ捨てると、ぷるんはさらに広い範囲を掃除し始めた。
白い体が床を滑るたび、木の床がみるみる本来の色を取り戻していく。
「掃除の才能がありすぎる……」
悠真が感心していると、ぷるんは一階の奥へ進み、錆びついた暖炉の前で止まった。
ぷるんの体が、突然青く光る。
暖炉の奥から、かすかな音がした。
ごうっ。
消えていたはずの魔力炉に、青い火が灯る。
《白紙スライムが古代魔力炉の汚染を除去しました》
《魔力炉が再起動しました》
《月見亭の宿機能が一部復旧します》
家全体が、低く唸った。
止まっていた歯車が回り始める。壁の中から水が流れる音が聞こえ、天井の隅で小さな明かりが灯った。
崩れた家が、ゆっくりと息を吹き返していく。
「すごいな、ぷるん」
「ぷる!」
悠真はぷるんを持ち上げようとした。
だが、ぷるんは床に張りついて動かない。
「ん? どうした?」
ぷるんが、暖炉の奥を指すように体を伸ばした。
悠真が覗き込むと、灰の中に小さな青い結晶が埋まっていた。
結晶は、魔力炉から伸びた細い管とつながっている。
鑑定結果が表示された。
《月見亭の核》
《状態:休眠》
《宿の所有者を認証してください》
「所有者?」
悠真が結晶に触れた。
《所有者認証を開始します》
《条件:この宿を必要とする者であること》
《認証中……》
《認証成功》
《所有者:天城悠真》
《宿の名称変更が可能です》
最後の表示を見て、悠真は少し考えた。
月見亭という名前も悪くない。
だが、ここはもう、昔の持ち主の宿ではない。ガルムやミル、ぷるん、モクと一緒に作っていく新しい場所だ。
「名前は……そのままでいい」
悠真は結晶に手を添えた。
「月見亭。今日から、俺たちの家だ」
青い光が、家全体へ広がった。
《所有者の意思を確認しました》
《月見亭の新しい住人を登録します》
《登録数:五》
《宿の性質:安全地帯》
《特殊効果:敵意ある者の侵入を拒みます》
悠真は目を丸くした。
「安全地帯?」
試しに玄関へ近づいてみる。
扉には、いつの間にか古い銀色の紋章が浮かんでいた。狼のような獣が、月を背にしている。
ガルムが紋章を見た瞬間、低く唸った。
嫌なものを見た、という唸り方ではない。
誇らしさを感じているような、静かな声だった。
悠真がガルムの頭を撫でる。
「気に入ったか?」
ガルムは一度だけ頷いた。
そのとき、外から人の声が聞こえた。
「誰か、いるんですか?」
悠真は玄関へ向かった。
壊れた扉の向こうに、少女が立っている。
年齢は十七歳ほど。長い銀髪を三つ編みにまとめ、背中には大きな籠を背負っていた。籠の中には青や紫の薬草が詰められている。
服は森歩きに適した簡素なものだが、ところどころ補修の跡があった。
少女は月見亭を見上げ、それから悠真を見た。
「……ここ、月見亭ですよね?」
「ああ。たぶん、そうだと思う」
「たぶん?」
少女の視線が、悠真の後ろへ移る。
巨大な銀狼。
白い猫。
床を這う白いスライム。
そして、壁際で木くずを吐き出している八本足の魔獣。
少女の顔から、すっと血の気が引いた。
「ま、魔獣……?」
「ええと、仲間です」
「仲間?」
少女は一歩後ずさった。
その瞬間、ガルムが少女の前に立ちはだかった。
悠真が慌てて手を上げる。
「ガルム、待て。敵じゃない」
しかし、ガルムは動かなかった。
青い瞳が、少女の胸元を見つめている。
悠真も少女へ視線を向けた。
彼女の胸元には、銀色のペンダントがあった。
古びた石がはめ込まれ、その表面には細い亀裂が走っている。
鑑定を使う。
《対象:リーシェ・アルヴェイン》
《種族:森人》
《状態:軽度の魔力欠乏。右腕に呪印》
《所持品:封印石の欠片》
《望み:追手から逃げられる場所》
《危険度:高》
悠真は表示された最後の一文を見て、眉をひそめた。
「追手って……誰かに追われているのか?」
少女――リーシェは、唇を噛んだ。
その表情には、警戒と怯えが混じっていた。
「……あなたには、関係ありません」
「そうかもしれない。でも、ここは宿屋なんだろ?」
悠真は壊れた家を振り返った。
屋根はまだ半分しか直っていない。壁も継ぎはぎだらけだ。宿屋と呼ぶには、あまりにも頼りない。
それでも、宿の核は言った。
ここは安全地帯だと。
「泊まる場所を探してるなら、空いてる部屋はある」
「この状態で?」
「今、直してる途中だから。屋根のある場所くらいは用意できる」
「魔獣がいるのに?」
リーシェはガルムを見た。
銀狼は、敵意を込めた目で彼女を見つめている。
だが悠真には、別の表示が見えていた。
《ガルムの警戒対象:リーシェの呪印》
《推奨:呪印の鑑定》
《理由:呪印から微弱な魔獣誘引反応を検出》
悠真はリーシェの胸元へ視線を戻した。
「そのペンダント、見せてもらえるか?」
「嫌です」
即答だった。
「呪いがかかっている」
リーシェの瞳が大きく開いた。
「……なぜ、それを」
「鑑定した」
「鑑定?」
「俺のスキルだ。君の命を取るような真似はしない。もし、追手がその呪いを目印にしているなら、放っておくと危険だ」
リーシェは黙り込んだ。
森の中を風が抜ける。
ガルムの耳がぴくりと動いた。
遠くから、枝を踏み折る音が聞こえた。
一つではない。
二つ、三つ、いや、それ以上。
ミルが低く鳴き、ぷるんが悠真の足元へ移動する。モクは体を丸め、甲羅の模様を赤く光らせた。
リーシェの顔が青ざめる。
「もう、来た……」
「追手か?」
彼女は答えなかった。
森の向こうから、男たちの声が響く。
「アルヴェイン家の娘を見つけたぞ!」
「逃がすな! 封印石を奪い返せ!」
「近くに誰かいる。構わん、全員始末しろ!」
物騒な言葉に、悠真はため息をついた。
せっかく宿を掃除したばかりなのに、いきなり客を追いかける連中がやって来るとは。
「リーシェ」
「……はい」
「うちに泊まるなら、宿泊料をもらう」
少女は呆然と悠真を見た。
「こんなときに、宿泊料の話をするんですか?」
「大事な話だろ。無料だと、客も気を遣う」
「……いくらですか?」
悠真は少し考えた。
この世界の通貨を持っていない。ミルが拾った銅貨は一枚だけ。食材を買うなら必要になる。
「そうだな。食事付きで、一日銅貨一枚」
リーシェは目を見開いた。
「銅貨一枚……?」
「高いか?」
「いえ。普通の宿なら、その十倍はします」
「そうなのか?」
悠真は驚いた。
昨日の宿の鑑定で「格安」と表示されていた理由が、少し分かった気がした。
リーシェは胸元のペンダントを握りしめた。
「……泊まります」
「分かった。じゃあ、客として歓迎する」
悠真は玄関の横へ立ち、彼女を月見亭の中へ招き入れた。
リーシェが敷地へ足を踏み入れた瞬間、銀色の紋章が淡く輝いた。
森の中で、複数の男たちが姿を現す。
黒い鎧を着た兵士が五人。
先頭にいる男は、赤いマントを羽織り、腰に細身の剣を差していた。
「その女を引き渡せ!」
男が怒鳴る。
悠真は月見亭の敷地内から、男たちを見返した。
「宿の客に乱暴するのは禁止です」
「何を言っている!」
「泊まると決めた客は、守る。それが宿屋の仕事なので」
赤いマントの男が剣を抜いた。
「ならば、お前もまとめて捕らえる!」
男が一歩、敷地内へ踏み込もうとした。
しかし、見えない壁にぶつかったように弾き飛ばされる。
宙を一回転した男は、地面に背中から落ちた。
部下たちがざわめく。
「結界だ!」
「この廃宿に、こんな強力な結界が……?」
悠真自身も驚いていた。
月見亭の紋章が、静かに光っている。
ガルムが一歩前へ出た。
それだけで、森の空気が変わった。
風が止まり、鳥の声が消える。
銀狼の体から、圧倒的な魔力があふれ出した。
男たちの顔が引きつる。
「な、何だ、この魔獣は……」
悠真はガルムの横へ立った。
「すみません。ここは安全地帯なので、敵意がある人は入れません」
「貴様、何者だ!」
「宿屋の主人です」
悠真が答えた瞬間、月見亭の看板が青い光を放った。
古びた木の板に、文字が浮かび上がる。
《辺境宿〈月見亭〉》
《所有者:天城悠真》
《宿泊客:リーシェ・アルヴェイン》
《防衛対象:登録済み》
それを見たリーシェが、震える声で呟いた。
「私を……守ると?」
「客だからな」
悠真は当然のように言った。
「それに、俺はまだこの世界のことを何も知らない。追手が何者なのかも、君が何を抱えているのかも分からない」
彼はリーシェへ振り返った。
「だから、落ち着いたら教えてくれ。ここで朝食を食べながらでもいい」
「朝食……?」
「まだ作ってないけど」
悠真は空を見上げた。
太陽はすでに高くなり始めている。
後半につづく




