クビになった鑑定士、辺境で銀狼に拾われる
アルファポリスで11話まで連載中!!
【辺境のもふもふ宿、今日も異世界を救います】
https://www.alphapolis.co.jp/novel/211659621/538086401
天城悠真が会社をクビになった日は、朝から雨だった。
正確には、解雇通知を渡されたのは午前十時過ぎで、窓の外から雨音が聞こえ始めたのはその少しあとだ。けれど悠真には、まるで世界中が自分を見放したように感じられた。
「天城くん。君は優秀だ。だが、優秀すぎる」
会議室でそう言った部長の顔を思い出す。続く言葉は、今でも妙に鮮明だった。
「客の希望より製品の安全性を優先する。納期より品質を優先する。会社員としては、少し困るんだよ」
壊れる道具を出したくない。危険な品を売りたくない。ただそれだけだった。
会社を出た悠真は、駅前のベンチで求人サイトを眺めた。貯金は三か月分。家賃は来月も落ちる。スマートフォンの画面に映る自分の顔は、雨雲より暗かった。
そのときだった。
道路の向こうに、白い光が見えた。
猫だろうか、と悠真は思った。雨の中に立っているのは、猫にしては大きすぎる白い獣だった。耳が長く、尻尾が二本ある。車のクラクションが響いた瞬間、獣がこちらを見た。
金色の瞳だった。
「危ない!」
悠真は考えるより先に走り出していた。白い獣を抱き上げ、迫ってきた車の前から転がる。舗道に肩を打ちつけた痛み。獣の柔らかな毛。雨の匂い。
そして、金色の瞳が放ったまばゆい光。
世界がひっくり返った。
目を開けると、悠真は草原に寝転がっていた。
雨は止んでいる。空は高く、雲の隙間から二つの月が見えた。遠くには見たこともない山脈がそびえ、青い鳥のような何かが三匹、空を泳いでいる。
「……夢、だよな」
頬をつねる。痛い。
起き上がろうとした悠真の腹の上に、白い獣が前足を置いた。さっきの二尾の猫――ではない。体長は悠真の背丈ほどあり、額には小さな角が一本生えている。
獣が鳴いた。
にゃあ、ではなかった。鈴を転がすような、不思議な声だった。
「君が連れてきたのか?」
白い獣は悠真の手に鼻先を押しつけた。すると、視界の端に青い文字が浮かんだ。
《対象:白尾月猫》
《状態:衰弱。右前脚に古傷。魔力枯渇》
《望み:安全な場所。温かい食事》
「えっ」
文字は、まばたきをしても消えなかった。
悠真は獣の前脚に触れた。会社で検品していた魔道具を思い出す。傷の深さを確認するように、そっと指を滑らせる。
《鑑定を実行しますか?》
頭の中に声がした。
「実行」
答えた瞬間、獣の脚を淡い光が包んだ。古傷がほどけるように消え、白い毛並みに艶が戻る。獣は驚いたように目を丸くし、それから悠真の手をぺろりとなめた。
「治った……?」
視界に新しい表示が浮かぶ。
《真名鑑定に成功しました》
《白尾月猫の真名:ミル》
《契約可能です》
「いや、待て。猫じゃないだろ」
悠真が言うと、ミルは嬉しそうに尻尾を振った。
その直後、森の奥から低い唸り声が響いた。
ミルが悠真の背後に隠れる。草原の向こう、木々の間から、巨大な銀色の狼が現れた。肩までの高さが悠真の胸ほどある。牙は長く、目は青い。狼はミルを見て、それから悠真を見た。
普通なら、逃げるべき場面だった。
だが悠真の視界には、また文字が浮かんでいた。
《対象:銀月狼》
《状態:空腹。深い疲労。群れから追放》
《望み:誰かに名前を呼ばれること》
獰猛な魔獣にしては、あまりにも寂しい望みだった。
「君も、腹が減ってるのか?」
狼の耳がわずかに動いた。
「ごめんな。食べ物は何もない。でも、街を探そう。そこで何か買う」
悠真が立ち上がると、狼は唸り声をやめた。ゆっくり近づき、鼻先で悠真の手を押す。
《真名を与えることができます》
「名前……そうだな」
月明かりのような銀色の毛。迷子のような青い目。
「ガルム。君の名前はガルムでどうだ?」
狼の全身から、銀色の光が噴き上がった。
風が渦を巻き、草原の草が一斉に伏せる。ガルムは空を仰いで遠吠えした。その声は山を越え、森を抜け、どこまでも響いていく。
視界の文字が赤く変わった。
《固有称号を獲得しました》
《孤独な魔獣の主》
《効果:あなたの仲間になった魔獣は、成長限界を失います》
「主?」
悠真が呆然としていると、ガルムは頭を低くした。乗れ、と言っているらしい。
「街まで乗せてくれるのか?」
ガルムが一度だけ頷く。
ミルを胸に抱き、悠真は銀色の背中にまたがった。次の瞬間、景色が流れた。風で目が開けられないほどの速度なのに、毛並みは驚くほど安定している。十数分もしないうちに、丘の上へ出た。
そこから見えたのは、城壁のない小さな町だった。町の端に、古びた看板が立っている。
《灰色丘の宿場町・ノルド》
そして、町から少し離れた森の際に、崩れかけた一軒の木造家屋があった。屋根は半分落ち、壁には蔦が絡み、入口の看板には消えかけた文字でこう書かれている。
《売り家 格安》
「……宿屋?」
悠真が呟くと、ガルムが家の前まで歩いていった。
家の扉に触れた瞬間、鑑定の文字が浮かんだ。
《辺境宿〈月見亭〉》
《状態:老朽化。魔力炉停止。土地契約未完了》
《本来の望み:旅人と魔獣が安心して眠れる場所》
悠真はしばらく画面を見つめていた。
現代に戻れるかどうかは分からない。帰る方法も、仕事も、金もない。けれど、この建物には「望み」がある。しかもそれは、さっきのガルムと同じだった。
誰かが安心して眠れる場所。
「……買えるかな」
その瞬間、家の地下から小さな音がした。
ぷるん。
崩れた床板の隙間から、白いゼリーのようなものが顔を出す。丸い体をぷるぷる震わせながら、悠真の靴に近づいてきた。
「君も、この宿の住人か?」
スライムは一度跳ねた。
「ぷる」
鑑定の文字が浮かぶ。
《対象:白紙スライム》
《状態:空腹。長期孤独》
《望み:仲間》
悠真は、思わず笑った。
会社をクビになった。異世界に落ちた。家も金もない。状況だけを並べれば、人生はどうしようもなく転落している。
それでも、目の前には腹を空かせた魔獣が三匹いる。自分を必要としている存在がいる。
「よし」
悠真は袖をまくった。
「まずは掃除だ。屋根を直して、飯を作る。宿を始めよう」
ガルムが尻尾を振った。ミルが肩に乗った。白いスライムは、悠真の足元で嬉しそうに跳ねる。
そのとき、遠い王都の神殿で、一本の鐘が鳴った。
世界のどこかで、古い封印がひび割れたのだ。
神官たちはまだ知らない。
世界を救う者が、勇者の剣ではなく、壊れかけの宿屋と一匹の銀狼を選んだことを。
悠真は知らない。
自分が今、世界最強の鑑定士として、新しい日常の扉を開いたことを。
そして、腹の減った魔獣たちに囲まれながら、最初の朝食作りに取りかかった。
異世界での、のんびりした生活の始まりだった。
次回予告
第2話
「宿屋の再建、ぷるぷるスライムは万能清掃員」




