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鳴らない鈴  作者: 久賀 広一
3章 遠き思い、近き人
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第7話 二つの要(かなめ)


 紙片の示す方へ、三人は周囲を眺めながら歩いていた。

 街の通りは相変わらず無人だったが、どこか整いすぎているようにも感じられる。


 掃き清められた石畳。軒下のきしたに置かれた、角をそろえて畳まれた布。窓辺に干されている洗濯物だけが、時間が止まっていないことを示すように、はためいている。


 店先の看板の文字は、あいかわらず読もうとすると、形を捉えるだけで意味が逃げていった。

 青年は拳を握る。

「……なぜ国が、その中枢を形成する要人たちが、こんな選択をしたんだろう。自らを、否定していくような決断を」

 ツムギは黙ってうなずく。そこに何があるのかは分からない。ただ、“人間の本性”に関わるものであることは、間違いないと思える。


「この紙片の記号は」

 歩を進めながら、青年が言う。

「役所が、口頭で言えない時に使う……目的地の符号だよ。外部に漏れないように、誰にでも読めない形にしてある」


 コハクが肩をすくめる。

(……ねえ、急に賢くなってない?さっきまで“帰れない。困った”って顔だったのに)

(もともと賢いんだよ。若くても国の外交官なんだよ?それにコハク、何か楽しんでない?あんまり軽いと、敵に足元すくわれるよ!)

(はーい。ツムギは、いい子ちゃんで、手続きの人だもんね!)


 二人が指でつつき合っていると、青年は真剣に通りを見回した。

 ぼんやりした記憶、整いすぎた街の景色の中で、“ずれている箇所”を拾っていく。

 石畳の模様が変わるところ。

 壁の色が微妙に新しい区画。

 角の建物が、他より少しだけ大きく設計されている土地。


「……こっちだ」

 一人で歩き出した。

 ツムギとコハクも続く。

 紙片は、もう“動かない”。おかしな力は働かず、ただ青年の掌の中で、汗を吸ってよれている。


 通りを二つ曲がると、家並みの印象が、ほんの少しだけ暮らしに寄った。

 いくつかの店や家屋では、扉の前に靴が置いてあったが、完全に無人になっているところもある。

 “いるのか、いないのか”という迷いも出ない、ただ静けさだけが、そこに残されているのだ。


 青年は足を止め、角の壁に指を伸ばしかけ――寸前で止めた。

 触れない。触れたら、ここでは国民である青年の影響ですら“手続きの材料”になるかもしれない。


「ここ、昔は掲示板があった」

 彼は空気に指で四角を描いた。

「張り紙──これだけは読み取れる。そうしてあるみたいだ。……『退国宣誓』の告知」

 言い切る前に、喉の奥で苦く息が漏れた。


 コハクが、腰の工具を何気なくさわる。

(宣誓って、要するに、えらい人たちが“勝手に国民を代表した”やつだよね)

(そうだね)

 青年が、紙片の線をもう一度見た。

 それから、遠くの建物群の中で、ひときわ背の高い影を探し当てる。


 役所の塔とは別の、高い影。尖ってはいない。むしろ、重く四角い。

「……記念碑だ」

 青年の瞳が揺れた。

「俺の国の中心に、あれがある。表じゃない。裏に回る。――裏に、この地の系譜が置かれた場所がある」


 ツムギは、胸の奥で小さく頷いた。

 ここまで来て、ようやく話が“怪物”から離れて、人の選択に踏み込んでいく気配がする。

 怖いけれど、どこか興味深くもある。


 ……歩いていると、通りの端に、路地が一本口を開けていた。

 路地の奥は薄暗い。だが不気味というより、通られることを嫌うように、物が置かれている感じがする。


 青年が、そこで立ち止まった。

 紙片を握る指が、固くなる。

「……ここ、近道だ」

 青年は一瞬だけ笑おうとして、失敗した。

「昔、役所へ行く時、ここを通ると怒られた。『正式な道を歩け』って」

 コハクが、口の形だけで笑う。

(ねえ、それ、今すごく“フラグ”っぽい)

(フラグって言うな)

(いや、何かさ。“正式な道”を使う人たちが、民を消しちゃった国でしょ?)


 青年は、迷った。

 近道を使えば早い。けれど、ここは正しさが大きな牙を剥く国だ。

 近道すら、この後の手続きで不安の材料になるかもしれない。

 ツムギは、紙片ではなく、青年の顔を見た。

「……君が知ってる、正しい道で行こう。今のこの国では、段取りだろうが何だろうが、“知っている”こと自体が、たぶん武器だ」


 青年は、すこし力を抜いてほほ笑んだ。

 そして路地へ入らず、遠回りの“正式な道”を選んだ。

 すると、奇妙なことが起きた。

 遠回りの道を進むほど、街の空気が少しだけ濃くなる。

 紙の匂いが薄れ、土と石の匂いが戻ってくる。

 無人なのに、どこか“まだ終わっていない”感触が増していく。

 コハクの足が慎重さで遅れ、ツムギがふり返った。

「大丈夫。こっちで正解だよ、きっと」

「うん」


 やがて、広場が見えた。

 中心に、飾り気のない高い石柱。──巨大だ。墓標のようでもあるが、もはや壁面の一部にでも何か別の意味があるように思えてくるほど、他の構造物とは規格が違っていた。

 周囲は、申しわけ程度の低い壁で囲われており、さらにその周りに、無数の小さな石片が儀式的に並べられている。


 青年の呼吸が浅くなった。

 走りたいのに走れない――その苛立ちが足の震えに出る。

「……ここだ」

 青年が言った。

 紙片の線を確認するように、石の裏へ回る。

 ツムギは、地面に置かれた石片の一つに刻まれた、削り跡を見た。

 紋様があり、そして文字があったらしい場所だけが、綺麗に空白になっている。

 コハクも、同じように確認して首をかしげる。

めいだけ、剥がしたのかな……これ、残酷じゃない?」


 その瞬間――広場の端で、紙が擦れる音がした。

 誰かがいる。

 ツムギが振り向くと、石の影に小さな子どもが座っていた。

 膝に白い紙束を抱え、鉛筆を握っている。

 先ほどの少年とは違う。どうやら、何かを必死に書こうとして、書けないようだ。

 不意に、目が合った。

 合ってしまった途端、子どもの顔が怯えに変わる。


 ――触れるな。助けるな。関われば、面倒な記載が増える。

 ツムギは、足を止めたまま、掌をゆっくり開いて見せた。

 武器はない。奪いもしない。

 ただ、ここに用がある、と伝える形。


 子どもは少しだけ躊躇して――紙束の上から一枚、するりとこちらの方へ滑らせた。

 落ちない。風に飛ばない。まっすぐ、ツムギの足元へ寄ってくる。

 その紙には、線がいくつか不器用に書かれてある。交差点──が、二つ?

 後ろにやってきて、それをのぞき込んだ青年の顔から、血の気が引いた。

 コハクの目が細くなる。


(中心が……二つある?)

(うん。一つはさっきの役所。そしてもう一つはたぶん──)

 ツムギは、記念碑の裏に視線を移した。

 そこは、石の影が濃い。

 周囲の風景から違和感のある、不自然な暗闇。そして、不自然な空間の力──そんな“裂け目”を、二人は知っている。


 青年が、唇を強く結び直す。

 胸の布切れを押さえ、足元のまわりの空白の石片へ、深く頭を下げた。

 次に、ツムギとコハクを見る。

「――行こう」

 三人は、うなずいた。

 今度は、紙片が導くんじゃない。

 この国を知っている者の足が、国の“始点”へと導く。





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