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第31話 猫、鴉、犬

 女幹部の足元に芽吹いた黒い影が、じわじわと蠢き始める。まるで新たな呪いが胎動を始めたかのように。


 同時に、天井を貫く雷光が奔った。


 轟音とともに、上空のガラス天井が爆ぜる。


 次の瞬間――真上から、雷の槍が落ちた。


「《迅雷陣じんらいじん》!」


 怒りをはらんだ咆哮とともに、青白い稲妻が黒い羽根の影を寸断する。爆ぜた電流が余波で女幹部を弾き飛ばし、再構築されかけた精霊の“胎児”は、蒸発するように消滅した。


 落下してきた影が、着地の直前に地を滑るように減速し、音もなく地を蹴って立つ。


 ――金髪の青年。全身から蒼白い雷をはらみ、鋭い目が敵を射抜く。


「遅れたわけやないで、神城は突っ走りすぎるんや」


 久我ハヤト。


 雷光の異名を持つSランク勇者が、蒼雷をまとって現れた。


 その直後、別の“何か”がゆっくりと着地する。


 凛とした気配。気高さを帯びた、美しくも威圧的な犬――


「ふむ。想定より派手な宴になっているようね」


 優雅な物腰で空を浮かぶその美女こそ、勇者庁長官・鷹森ユズハ。

全身に威光と知性をまとい、逆勇舎の三人を見下ろして微笑む。


 その逆勇舎の三人――柊、焔、柳サクラは、思わぬ来訪者にわずかに表情を揺らした。


「……鷹森ユズハか」


 柊が静かに名を呼ぶ。中性的なその顔には微笑が浮かんでいる。だが、その目は――わずかに緊張を滲ませていた。


「これはまた……ずいぶんと、懐かしい顔だ。まさか勇者庁の長官自ら、前線にお出ましとはね」


「ふふ、現場主義なのよ。部下に任せきりだと、どうにも感覚が鈍るの」


 ユズハは優雅に空を歩きながら、視線を真っすぐ柊に向けた。その目は微笑んではいても、一分の隙もなかった。


「あなたが――逆勇舎の“柊”。すべての逆結を束ねる、首魁で間違いないわね?」


 ユズハが冷静に言い放つ。視線は一切の揺らぎなく、柊を真っすぐに射抜いている。


 柊はその呼び名に、ひとつだけ静かに頷いた。


「ええ。間違いないよ、鷹森ユズハ。……私は“逆勇舎”の首魁、《柊》。選ばれなかった者たちの、最後の願いを束ねる者だ」


 その宣言に、背後の焔も柳サクラも、一歩引くように姿勢を正す。彼らが柊の存在を“絶対”と認めているのは、その沈黙だけで十分だった


 沈黙の中で、空気が膨張するような圧力が場を満たす。


 ――この場に集った者たち全員が理解していた。


 ここが、終わりの始まりだと。


「……じゃあ、そろそろ“言葉遊び”は終わりにしようか」


 柊が柔らかく微笑んだまま、足元の影を踏みしめる。次の瞬間、その身体がふっと宙へと浮かぶ。意図的に、全体の視線を自分へと集めながら。


「逆勇舎は、ここで退かない。誰も彼も、強者ぶった連中にひれ伏す未来なんて、願っていないからね」


「……だったら、証明してみせろ」


 地を蹴ったのはシロウだった。


 猫の姿から蒼光を纏って人の形へと変じ、鋭く柊を見上げる。背後では仁美が、まだ意識の端で呻いていた。守るべき存在は、ここにいる。


「“最強”ってやつが……お前らみたいな連中を、どこまで叩き潰せるのかをな!」


 柊が微笑を浮かべ、ほんのわずかに手を上げる。その指先から黒い結が迸った瞬間、床が音もなくひび割れた。


「行け、焔、サクラ」


「了解」


「ええ、心得て」


 次の瞬間、轟音とともに爆ぜた炎が壁際へと迸り、久我ハヤトを飲み込んだ。


「逃がすかっ!」


 雷が即座に反応する。ハヤトの脚が稲妻と化し、焔の方へと瞬時に踏み込む。二人は火花を散らしながら倉庫奥の鉄資材の山へと流れ込んでいった。


「おっと……」


 続けて、柳サクラが宙に幻の結界を描き、空気ごと歪める。視界が揺れた刹那、ユズハの姿が煙の向こうへと消え――次に見えたのは、二階の手すりを背に立つ彼女の姿。


「ふふ、わざわざ上に誘うなんて。……高所がお好き?」


「ええ、観客のいない舞台こそが、いちばん演じがいがあるもの」


 冷笑を交わしながら、二人は階上へと離脱してゆく。


 爆音とともに分断される中、残されたのは、神城シロウと柊。


 仁美と真帆を背後にかばうように、シロウは一歩を踏み出す。


「お前の相手は俺だ。ここまで好き勝手にやって……」


 シロウの右手に、蒼白の槍が結ばれる。


「その全部、俺が止める」


「ふふ。なら、こちらも応えないといけないね」


 柊はその場に静かに降り立ち、足元に広がる影へと指をすっと滑らせた。


「ここは――“選ばれし強者”の処刑台だよ、神城シロウ」


 その言葉と同時に、床に広がる影が脈打つように蠢いた。影から黒い結が滲み出し、柊の足元を包みこむように立ち上がる。


「“逆結”とは、歪められた願い、見捨てられた声、理不尽に塗り潰された希望。それを、私はこの手で結んだ。自分自身のために、そして……選ばれなかった全ての者たちのために」


 その声は静かだったが、圧倒的な密度をもって場を支配する。


「……正義や栄光のために戦ってるわけじゃねぇよ、今の俺はな」


 シロウが呟くように言い、左手で仁美と真帆を後ろへと庇いながら一歩踏み出す。


「でもな。あんたがやってきたのは、何もかも踏みにじる“ただの自己満足”だ」


「面白い。じゃあ、その“最強”ってやつで、証明してみなよ。僕の“全て”が否定されるほどの力を――君が持っているのかどうか」


 瞬間、柊の背後に浮かび上がったのは、漆黒の陣。それは結を“願い”ではなく“否定”によって展開する異質な術式。その中心から、黒く結ばれた一対の剣が現れる。


 柊はそれを両手に取ると、まるで祈るように柄を胸元で交差させ、そして――斬りつけた。


「《願壊・双刃がんかい・そうじん》」


 その斬撃は空気を裂き、シロウのもとへと奔る。


「世界に愛され、人気者のお前に対する嫉妬。醜い感情であることは分かっているだが、そんなお前をズタズタに引き裂きたい願いが、この剣になる」


「来いよ、世界一ダサい王様」


 シロウが言い放つと同時に、右手の《結槍》が蒼光を噴き上げた。黒い双剣が空を裂く寸前、槍の穂先が一閃――その軌跡が稲妻のように弧を描き、柊の斬撃と交錯する。


 結と逆結が触れ合う刹那、鋭く、空間そのものが軋むような音が響いた。重力さえねじ曲がるかのような圧迫感。激突の中心からは爆風が生まれ、倉庫の壁を撫でるように駆け抜ける。

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