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第28話 仁美とシロウ

 先ほどから頭が重い、思考が回らない。視界がぼやけて真帆の姿も朧げになっいく。


(どうしたんだろう……)


 仁美の意識は沈むようにゆっくりと暗くなっていった。先ほどまで必死に働いていた脳が、まるで重たい泥に引きずり込まれるように動きを鈍らせる。


 目の前にいる真帆の顔は滲み、縁が溶けるように崩れていく。頭の奥がズキズキと痛み、鼓膜の奥で微かに耳鳴りが鳴り響いていた。


(……おかしい……なんで、こんなに眠い……?)


「ふふ……苦しそうね」


 耳に届いた真帆の声は、いつの間にか優しい子守唄のように響いていた。けれどその言葉の意味は、仁美に恐怖を刻むには十分だった。視界の奥で、真帆がゆっくりと立ち上がり、その足元にぼんやりとした黒い靄が漂っているのが見えた。


「仁美……このままあなたにはシロウ様との記憶を全部忘れてもらうわ。白い猫を拾った日も、シロウ様と過ごした日々を、全部……全部消し去ってあげる」


 真帆の声は優しく、けれど氷のように冷たかった。逆結──その歪んだ願いを形にする黒い力が、真帆の足元からゆらゆらと立ち上り、縛られた仁美の胸元へとにじり寄っていく。冷たい気配が肌を撫で、心臓を掴むように締め付けた。


 喉は張り付いたように動かず、掠れた息が漏れるだけだった。意識が暗く沈む中、仁美は心の中で必死に叫んだ。大切なものを失いたくない。あの小さな白猫を忘れたくない──けれど次の瞬間、真帆の瞳が狂おしいほどに輝き、逆結の気配が仁美の全身を覆った。


「忘れなさい……仁美……白猫のことなんて、最初からいなかったのよ……!」


 真帆の呟きと同時に、黒い逆結が仁美の額に吸い込まれるように溶け込んでいった。冷たく鋭い感覚が頭の奥を駆け抜け、仁美は耐えきれず目を見開いたまま大きく息を呑む。


 次の瞬間、意識は完全に暗転し──真っ黒な深淵へと沈んでいった。


(……やだ……忘れたくない……あの子を……シロ……)


 その名を心の中で呼んだ瞬間、暗闇の奥から小さな光が灯った。朦朧とする意識の向こう側で、どこか懐かしい声が微かに響く。


『……仁美……』


 暗闇の中に輝く光の中、小さな白い影が走り寄ってくる。瞳の中に金の光を宿した白猫──シロが、どこか切羽詰まった様子で仁美を見上げていた。


(シ……ロ……?)


『仁美!絶対に目を閉じるな!お前は……お前は俺が守る!』


 シロの声なんか知らない。それでもなぜかこの声がシロのものだと分かる。光が何度も明滅しながらも──最後の力で目を見開いたまま、白猫を見つめ返した。


『聞こえるか仁美!お前は……お前だけは……絶対に俺が守るから!』


 頭の奥に響くシロの声と共に、仁美の胸に小さな熱が宿った。冷たく重たい暗闇を突き破るように、その熱は少しずつ意識を取り戻す感覚を呼び戻していく。


(シロ……助けて)


 微かに動いた仁美の唇から漏れたその名が、確かに暗闇に響いた。その瞬間、金色の光が大きく爆ぜ、真帆が操る黒い靄を押し返すように仁美の周囲を照らし出した。


 暗闇の中で小さく、けれど鋭く光る白猫の姿が仁美の視界に焼き付いていく。


『俺はお前を守るって決めたんだ!』


 光が激しく瞬き、真帆の黒い逆結の気配が弾け飛ぶように揺れた。その眩い輝きの中心に、仁美は見た。視界の奥、暗闇を割って立つイケメンを──


 長い脚で仁美の前に立ちふさがり、乱れた髪と青いパーカーをなびかせている。顔は冷たく険しく、金色の瞳は獣のように鋭く光を帯びていた。


 その眼差しが仁美を真っ直ぐに見据えた瞬間、なぜか恐怖で凍りついていた仁美の胸に、小さく確かな安堵の熱が生まれた。

「あなたがシロだったのね……」


仁美は目の前の少年に見覚えがあった。講義室に精霊が現れた時に助けてくれた時が1回目、街中で、黒ずくめの人に道を聞かれたときに心配して声をかけてくれた時が2回目。そして、今が3回目。この人は私が困っている時に必ず現れる。


 偶然ではない。シロだから私の前に何度も現れてくれたんだ。


 金色の瞳がまっすぐ仁美を射抜いたまま、彼はほんの一瞬だけ表情を緩めた。


「遅くなってごめん……もう大丈夫だから……」


 その声が胸の奥に深く届くと、仁美の中にあった黒く冷たい恐怖が、少しずつ溶けていくのを感じた。縛りつけるように圧し掛かっていた絶望の重みが、微かに浮き上がり、息が通る感覚を取り戻す。涙が自然と溢れ、頬を伝って落ちていった。


「ありがとう……シロ……」




♦️

「遅くなってごめん……もう大丈夫だから……」


 シロウは仁美の目に映った恐怖を、金色の瞳で真っ直ぐに受け止めた。逆結の黒い靄はまだ部屋中に漂っていたが、仁美が名前を呼んだ瞬間に走った光の爆発が、空気を切り裂き、沈殿していた絶望を大きく後退させている。


(間に合った……仁美を……失わずに済んだ)


 胸の奥を強く締め付けていた焦燥感が、仁美の小さな「ありがとう」の声を聞いた瞬間にほどけていった。だがシロウは、緩んだ感情をすぐに引き締め、冷たい鋭気を纏う。


 真帆の狂気が、ここで収まるはずがない──そう本能が告げていた。


「真帆……お前、何をしたか分かってるのか?」


 低く、鋭い声でシロウは言い放った。声の響きは部屋の薄暗い壁を揺らし、黒い逆結の残響さえかき消した。金色の瞳が真帆を射抜き、戦慄を帯びた冷気が空気を凍らせる。


「お前は一線超えたんだよ。俺を逆鱗に触れたお前はもう終わりだ」


 真帆の顔が歪む。恍惚と恐怖が入り混じったその瞳は、どこかでまだ「愛してほしい」とすがるような光を残していたが、シロウの言葉が鋭く響くたびに、少しずつその光が砕け散っていくのが見て取れた。


「終わり……?私が……?でも、だって私は、シロウ様のために……!」


 声が震え、黒い逆結の靄が真帆の体からさらに滲み出していく。その黒は理性を失った心を映し、瘴気のように空間を這い、仁美の足元に絡みつこうと蠢いた。


「ふざけるなよッ!」


 シロウの声が爆発する。彼の足元から金色の光が奔流のように広がり、黒い逆結を焼き払うように押し返した。


 壁に刻まれた古いクラックの間からも逆結の残響が逃げ出し、部屋全体が悲鳴を上げるかのように軋む。


「仁美をお前の狂った願いで縛り付けようとした……それがどういうことか、理解できてないようだな」


 低く絞り出した声には、かつて最強と謳われた勇者としての威圧感が溢れていた。金色の瞳は獣のように細められ、逆結に対する鋭い殺意を剥き出しにしている。


 真帆の黒い靄が怯えるように後退し、まるで意思を持った生き物のように柱の影へと逃げ込もうとする。


「また精霊を出せよ。真帆……どんな小細工をしようが今の俺には通用しない」


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