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第27話 世間知らずと作戦会議

――勇者庁本部・作戦会議室。


 最上階に位置するその部屋は、夜景を見下ろすガラス張りの壁と、漆黒の大理石が敷き詰められた無機質な空間が特徴的だった。


 深夜にもかかわらず明るく照らされた室内は、どこか非現実的で、しかし張り詰めた緊張感に満ちていた。


 会議テーブルにはSランク勇者である久我ハヤトと、犬の姿の勇者庁長官・鷹森ユズハ。そして彼女の判断で呼ばれた、信頼できる少数精鋭の職員たちが並んでいる。


 部屋の片隅には簡易ベッドが置かれ、白猫の姿の神城シロウが静かに眠っていた。呼吸は浅く、顔には痛々しい疲労の色が残る。


「――仁美さんの救出が最優先。そのために、今ここで持てる情報をすべて洗い出す」


 ユズハの声は静かでありながら、重みを伴って会議室に響いた。

大理石の床に反響するその声に、職員たちは姿勢を正す。


「逆勇舎は計画的に動いている。神城を挑発し、仁美ちゃんを囮にすることで、勇者庁を翻弄しようとしているのは明白。奴らの狙いはおそらく神城の完全排除……」


 琥珀色の瞳がわずかに細められる。ユズハの中には、仁美を無事に取り戻すことに加え、神城を再び最前線に立てるという使命感が燃えていた。


「問題は……居場所や接触した人間について、現段階で情報が決定的に不足していることです」


 職員の一人が声を上げた。机上には病院付近で検知された逆結の痕跡や、監視カメラ映像の静止画が並んでいるが、いずれも途中で途切れていた。


「せやけど、この状況で後手後手に回ってたら仁美ちゃんの命が危ない」


 ハヤトは黒い翼を小さく動かしながら低く言った。カラスの姿のまま、その目は普段以上に真剣な光を帯びている。


「逆結者は俺らが無計画に動くのを狙っとる。焦ったらアカン、けど……悠長にしとっても仁美ちゃんの精神的負担が増えるだけや」


 ハヤトの言葉に、ユズハが小さく頷いた。


「……だからこそ、今ここで作戦を固める。これは時間との戦いになる。情報班は痕跡の追跡を続行、ハヤトは即応態勢を維持して。神城が目を覚ましたら、直接得られる情報もあるはず」


 その声には、勇者庁のトップとしての強い覚悟があった。





♦️

 部屋は暗く、ほの白い裸電球が天井にぶら下がっているだけだった。ひび割れたコンクリートの壁に、雨漏りの染みが広がっている。


 仁美は粗雑な木の椅子に縛られ、頬に張り付いた髪がじっとりと冷たい。


(ここ……どこ……?どうして、わたしが……)


 断片的に思い出せるのは、夜道で眩しい光に気づいた瞬間の衝撃。鋭いブレーキ音と、地面に打ち付けられた時の感覚。それから、サイレンの音と救急隊員の声が遠くで聞こえていたこと。


 首を少しでも動かそうとした瞬間、腕や脚を縛り付けている荒いロープが食い込む感触が走った。擦れた皮膚がヒリヒリと痛む。冷え切った床から足先に伝わるコンクリートの冷たさが、今の自分の状況をじわじわと現実として突き付けてくる。


(誰か……誰か助けて……!)


 喉は渇き切り、声を出そうとしてもかすれた息しか漏れない。耳に届くのは、遠くで水が垂れる不規則な音と、床を這う虫の羽音だけ。静寂が深く、時間の感覚すら失われていく。


「目が覚めたのね、仁美……」


 不意に部屋の奥から低く柔らかな声が響いた。身体がびくりと跳ねる。視界の端に、細身の人影が闇からにじり出てきた。髪の先まで黒い影に溶け込むようなその人物は、仁美の顔を覗き込むと、楽しげに口角を持ち上げる。


「ごめんね……でも、これは全部、あなたのためでもあるの」


 近づいた顔を街灯の明かりがかすかに照らし、仁美はその瞳に見覚えを覚えた。記憶の奥底から、薄暗い部屋で猫を抱き上げていた友人の姿が重なる。


 けれど、その目にはあの頃の優しい光は微塵もなく、狂気に似た濁りが潜んでいた。


「ま、まほ……?」


 かすれ声で名前を呼ぶと、真帆は仁美の髪をそっと撫でながら、慈しむように微笑んだ。けれどその仕草には、どこか冷たく張り詰めた狂気が滲んでいた。


 仁美は真帆の顔を見上げながら、頭の奥がくらくらと揺れるような感覚に襲われていた。視界は揺らぎ、相手の輪郭が滲むたびに恐怖が増幅していく。心臓は壊れた時計のように不規則に脈打ち、鼓膜の奥で自分の血の音がやけに大きく響いていた。


「真帆……どうして……こんなことを……?」


 声にならない声で問う仁美に、真帆はゆっくりと顔を近づけてきた。吐息が触れる距離で、かすかに甘ったるい香りが鼻腔を刺す。


 暗がりの中で真帆の目だけが異様に光を反射し、まるで深い井戸の底を覗き込むような底知れない闇を湛えていた。


「だって、あなたがあの神城シロウに愛されているからよ」


 真帆の声はあくまで柔らかく、甘く、耳にまとわりつくようだった。その響きは優しさの仮面を被りながらも、芯には鋭く冷たい狂気が走っている。仁美の胸の奥をつかむような恐怖が湧き上がり、荒い呼吸が止まらない。


「神城シロウ……?」


 仁美の頭の中で「神城シロウ」という名前が鈍く反響した。けれど、その音は彼女にとって何の意味も持たなかった。確かにどこかで耳にしたことがある気がする。


「神城シロウの名前を聞いてもピンと来ない顔……貴方まったく勇者に興味がないんですものね!!それにしても国民的な勇者の名前も知らないなんて、もう興味うんぬんでなくて、世間知らずを超えて。おかしいわよ貴方……」


 真帆の声が急に甲高く跳ね、静寂だった部屋に嫌な笑い声が反響した。笑いながら仁美の頬を軽く叩くその手は、まるでおもちゃをからかうように無慈悲だった。仁美の心臓は強く波打ち、胸の奥から恐怖が全身へと一気に広がっていく。


「だって普通、勇者に興味がなくても神城シロウの名前くらいは聞いてるはずでしょ?テレビにもネットにも毎日出てる“最強勇者”なんだから!」


 真帆は言いながらしゃがみ込み、仁美と目線を合わせる。顔は笑っているのに、瞳は氷のように冷たく、理性ではなく狂気で光を帯びていた。


「でも……そんな世間知らずで、何も知らなくて……それでいて偶然シロウ様を拾って、愛されて……」


 真帆の笑みは徐々に引き攣り、唇の端が不自然に震えはじめた。深く息を吸い込むと、今度は吐息を震わせながら低く囁く。


「だから許せないの。神様はどうして……何も持たないあなたにシロウ様を与えたの……?」


 仁美は真帆の言葉を必死に脳内でなぞろうとした。けれど、混乱した思考はまるでどろどろに溶けた飴細工のようにまとまらず、何度自分に問いかけても「神城シロウ」という名前と自分が結び付かなかった。


(わたし……何か悪いことした?なんで……どうしてこんなことに……)


 張り裂けそうな胸の鼓動。喉は干からび、舌が重く貼り付く。息をするたびに頭がクラクラして、視界が白く滲んでいく。真帆の顔はすぐ目の前なのに、遠くからこちらを見下ろしているようにぼやけて見えた。


「……おねがい……まほ……話を……わたし……何も……」

 

 声は掠れ、わずかに唇が動いただけだった。けれど真帆は仁美の言葉に反応し、恍惚とした笑みを浮かべると、その笑顔はすぐに硬直して狂気へと変わった。


「何も知らない?何も悪くない?──そんなわけないでしょ……!だって、あなたは……あの夜、シロウ様を拾った!……もういいわ、言うわよ!貴方が拾って可愛がった白猫わねー勇者ランキング一位、現代最強の勇者、神城シロウなのよ!!」


「は?」


 仁美の意識が一瞬で真っ白になった。耳鳴りが激しく響き、真帆の言葉が遠くで反響するようにぼやけて聞こえる。拾った白猫が、勇者? 勇者ランキング一位? 神城シロウ? 意味が分からない。全てが現実離れしていて、頭が追いつかない。


 頭の中で断片的な記憶が浮かび上がっては、霧のように消えていった。ふわふわとした白い毛並み。優しく鳴く声。自分を見上げる金色の瞳。あの夜、ゴミ捨て場で震えていた白猫を拾って家に連れて帰った時のこと。眠る時も、一緒に毛布にくるまっていたぬくもり。けれど、その猫が勇者だなんて──そんな馬鹿げた話、誰が信じられるだろう。


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