お別れ
「サオリ…さん…?」
戸惑いと焦りと、絶望が交差する。
本当はこんな言葉を言う時間すら惜しいのに、当のサオリは崩壊の痛みなどないように、ただただ年頃の女性らしく微笑んでいる。
先の戦闘で力を使い、ここまで力を振り絞って飛んできた。
サオリは飄々としているようだが、実際は体力、細胞の生命力を殆ど使い切っていたのだろう。
それを、サオリは今の今まで詠斗に見せなかった。
「泣かないで、エイト」
サオリは微笑みから薄っすらと目を開けて囁いた。
詠斗は初めて、一筋の涙を零した。
感情が何にも揺さぶられず、また自分自身にも感情というものが殆どなかった詠斗が、初めて自分の想いに気付く。
「サオリさん!」
詠斗は震える手で、まだ残っているサオリの右手を掴み上げた。
その勢いで、踏ん張りがきかなかったサオリが膝を崩し、倒れこむ。
ザザッと砂利を撫でる音が響く。
どうしていいか、分からない。
詠斗は倒れこんだサオリを抱くように座った。
サオリの息は上がっておらず、スー、スーと寝息のような呼吸の音が規則的に微かに聞こえる。
左手から始まった崩壊は、既に半身を飲み込んでいた。
「エイト」
サオリは悲しみで顔を歪ませている詠斗の頬を、右手でそっと撫でた。
ほんの少しだけ温もりのある、女性の手だ。
それがまた詠斗に現実を突きつける。
別れの時だ、と。
「エイトは、私と居て…私と会えて、楽しかった?」
サオリが一言、詠斗に問いかける。
「貴方は…サオリさんは…僕にとって、かけがえのないものです。サオリさんは僕に色彩をくれた、たった一人の人なんです」
一筋だけだった涙は、いつしか滝のように変わっていた。
サオリを抱きしめる腕の力が必然と強くなる。
「僕を置いていかないでください…僕はサオリさんと…もっと…」
嗚咽が混じる。今言葉にしたことは、真実だ。
クローンであるサオリは、能力細胞のこともあり元々長く生きられない。
崎下の記録を見ても、<完璧に>完成したものではなかった。
仮初の命…といった方が近いだろう。
最初はお荷物だと感じていたサオリは、その天真爛漫な性格と行動で詠斗を振り回しながらも、確実に彼に変化を与えていた。
白藤さおり、という特殊な存在から作られた彼女もまた、人を惹きつける才能があった。
――――そうだ。関心がなかったはずなのに、いつの間にかサオリに惹かれていたのだ。
「ワタシね、エイトのこと、一番好きだよ。だって、ワタシのこと、エイトが見つけてくれたし、エイトが守ってくれたから。だから、楽しかったし、嬉しかった」
サオリは一度目を瞑り、満足そうに口角をあげた。
サオリの<好き>という言葉は、真実ではある。ただ、詠斗が思うものとは少々形が違う。
純粋な<好意>であり、恋愛という<好意>ではないことを、詠斗は知っていた。
サオリもまた、本当の愛情というものと一線を画す存在なのだ。
「サオリさん」
「水族館で海の中を見たの、楽しかった」
「サオリさん」
「街で買ってくれたもの、美味しかった」
「…サオリさん」
「エイトがお仕事の合間を縫って乗せてくれたドライブ、楽しかった」
えへへ、と少女の様に、サオリは無邪気に笑う。
背中と右腕と首だけしか、もうサオリの身体は残っていない。
白藤と紺野の能力が必死に崩壊に抗っているのだろうが、まもなく崩壊は押し寄せる。
「エイト。お願いしてもいい?」
「なにをですか、サオリさん」
「エイトの笑った顔、見たいな。そして、これからもエイトが笑って過ごすの。約束、してくれる?」
サオリが目を開けて、にこやかにお願いをする。
その言葉に一瞬息を飲み、詠斗は意を決した。
「…サオリさん。ありがとう…」
詠斗は涙を零しながら、サオリの顔の前で不器用ながらも笑顔を作った。
ぎこちないものだが、詠斗ができる最大の笑顔だった。
「またね、エイト…」
サオリもまた、そっと微笑んで―――――
全てが粒子になり、空へ砂となって風に流されて消えてゆくのだった。




