17.死と腐敗
当たり前の疑問だった。
死んだ肉体は腐敗するのが絶対の真理だ。
だから私はなんらおかしなことを言っていないはずだ。
なのに信じられないとでも言うようにダリウスは目を瞠っている。
「え、ちょ、ちょっと待って、私何か変なこと言った?」
なんだか自信がなくなってきた。
すると、チェシャ猫が手の平をポンと叩いた。
「そっか、アリスはこの世界の人間じゃないから知らないよね」
「ああ、そうか、そうだな」
チェシャ猫の言葉にダリウスが納得する。
また私だけひとり置き去りだ。
「どういうことなの? まさかこの世界の人の死体は腐敗しないってこと?」
まさかと思いながら恐る恐るチェシャ猫に訊ねる。
「この世界のみんながそうじゃない。この国、チェレス国に住む人だけが死んでも体は腐らないんだ。いや、生きてる間も、と言った方が正しいかな」
「ちょ、ちょっと待って。理解が追いつかないわ」
あまりにも私の世界の常識、いや絶対的摂理と違いすぎて頭がクラクラする。
「えっと、整理すると、まず私たちがいるこの国はチェレス国っていう国なのね」
「うん、そうだよー」
「で、この国の人たちは死んでも体は腐らないと。それどころか生きてる間も腐敗は進まないと」
「ああ、そうだ」
「……じゃあ死って何なの?」
死に方はいろいろあるけれど、私の知る限り、大体死というのは体の腐敗、つまり老いの成れの果てのはずだ。
死んだ祖母を思い出す。
年々皮膚が干涸らび、体から滲み出る臭いが強くなる彼女を見ながら、私は死とは腐敗だと知った。
そして誰もが死に向かって腐敗していっているのだということも。
ダリウスは私の混乱など気にもしないであっさりと言った。
「簡単なことだ。動かなくなることだ」
「確かに動かなくなることだけど……、でも腐らないってやっぱりおかしいわ」
「でも事実この国の人間は腐敗とは無縁だ。つまりおかしいのはお前と言うことだ」
さらっと失礼なことを言ってダリウスは紅茶を啜った。
「そんな奇妙な帽子を被っている人におかしいなんて言われたくないわね」
「こんな奇妙な帽子を被ったおかしい人間におかしいと言われるお前はもっとおかしいということだ」
「へぇ、奇妙な帽子だと認めるのね」
「あくまでお前のおかしな主観から見たらということだ」
バチバチと無言で火花を散らしていると、
「ちょっとぉ、ケンカはやめなよ。帽子屋さん、アンタはアリスに質問にちゃんと答える約束でしょう?」
「質問には答えた。ただこいつがその答えを受け入れないだけだ」
「もぉ、屁理屈なんだから」
チェシャ猫が呆れてため息を吐く。
本当に全くもってその通りだ。
「分かった、オレが説明するよ。アリス、まずは君にこの国の歴史について話さなくちゃならない。分からないことがあったらその都度聞いて」
私に向き直ったチェシャ猫が優しく言った。
彼の笑みがこんなに優しく感じたのは初めてかもしれない。
「ありがとう、チェシャ猫。お願いするわ」
あらためて姿勢を正してチェシャ猫に膝を向けると、チェシャ猫が頷いた。
「この国もね、昔はアリスの世界や他の国と同じだったんだ。つまり老いもあったし、肉体の腐敗もあった。……アリス、ちょっとこっちに来て」
チェシャ猫は私の手を引いて、ダリウスの背後にある大きな窓の前まで連れて行った。
チェシャ猫がカーテンを開けると、まるで中世ヨーロッパのような街並みが見下ろせた。
建物はどれ木や石で作られたもので、壁のパステル調の色使いがメルヘンな街並みに拍車を掛けている。
「あそこに小さくだけど、お城が見えるだろう?」
チェシャ猫の視線を辿ると、確かに小さな天窓がついた急勾配の三角屋根がずらりと並ぶその隙間からお城らしきものが見えた。
おそらくここから結構距離があるのだろう。
見えたのは小さな城の一部分だけだった。
「あの城の主がこの国の女王だ。今から約二千年前、当時の女王が優秀な魔術師を集めて、不老不死を実現する方法を研究させた」




