第三話 満腹の夜、飢える魔力
「あ、そうだルーク。大事なこと忘れてた」
ハルが、山分けしたばかりの自分の銀貨を木箱に置き直して言った。
「孤児院に入るってことはさ……この金、持ち込めないよね?」
「あぁ、間違いなく没収されるか、ガキが持ってるはずのない大金として出所を厳しく追及されるのがオチだ」
スラムの孤児院がどれだけ泥臭い場所かを考えれば、親のないガキが銀貨なんて持っていった瞬間、院長や職員の懐に直行するのは目に見えている。
「じゃあさ……」
ハルがニヤリと、悪ガキらしい笑みを浮かべた。
「明日以降に行く前に、どこの孤児院がマシか、どういう言い訳で入り込むか、ちゃんと調べなきゃいけないだろ? ……つまり今日は行けないってことだよ。ならさ、この金、今日中にパーっと使い切っちゃってもいいよね?」
「……ハル、お前本当に頭が良いな」
俺もニヤリと笑い返す。どうせ没収されるくらいなら、血と汗の結晶であるこの金を、自分たちの胃袋に叩き込んでやった方が100倍マシだ。
その日の夜、俺たちの『基地』では、一ヶ月の泥棒生活の中で最大の宴が催された。いつもなら絶対に買えない、砂の混じっていない真っ白な焼き立てのパン。干し肉ではない、じゅわっと脂の滴る本物の肉串。果物の甘い果汁が詰まったジュース。
「美味いっ……! 美味すぎるよルーク!」
「落ち着けハル、肉はまだある」
口いっぱいに肉を頬張り、笑顔のハルを見て、俺の胸の奥が少しだけ温かくなった。
「設定は、小細工なしの『一ヶ月前に親が蒸発した哀れな孤児』でいく。基地のこのボロ小屋も、明日ここを出たら完全に放棄だ」
「うん。嘘じゃないしね」
ハルはジュースをゴクリと飲み干し、一ヶ月前を振り返るように目を細めた。
「親が蒸発した直後はさ、俺のなけなしのへそくりを切り崩したし、近所の人も見かねてしばらく面倒を見てくれた…それもすぐ限界がきちまったもんな。あのままじゃ二人で干からびてたよ。だからスリを始めたんだ」
「で、今度はそのスリも限界ってわけだ」
俺が肩をすくめると、ハルも苦笑して頷く。
「近所の人にもこれ以上迷惑はかけられないし、へそくりも完全に底をついた――と伝えれば、孤児院へ行く大義名分としては完璧だろ」
俺がそう告げると、ハルは大きく頷いた。
「ああ、それなら誰も疑わないよ。……で、ルーク。どこの孤児院が良いか調べてくる?」
「頼む。街の噂を片っ端から集めてくれ。せめて飯が少しでもマシな場所がいいもんな」
さんざん食って、さんざん笑ったあと、俺たちは一つのボロ布にくるまって、並んで床に寝転んだ。
「……ねぇ、ルーク」
暗闇の中、ハルが小さく呟いた。
「俺たち、孤児院に行っても、ずっと一緒だよね?」
「当たり前だろ。お前のその耳と頭がなきゃ、俺は何の仕事も満足にできねぇよ」
「へへ、そっか……。おやすみ、ルーク」
ハルの規則正しい寝息が聞こえ始める。俺はボロ小屋の隙間から覗く、妙に大きな月を見上げながら、そっと目を閉じた。
翌朝。目が覚めると、ハルはすでに「ちょっと調べてくる!」と書かれた、文字の読めない俺のための下手くそな絵の置き手紙(パンの絵と矢印)を残して飛び出していった。相変わらず動きが早い。
さて。一人残された俺は、木箱に腰掛け、残った数枚の銅貨を指で弄びながら、本格的な現状分析を始めることにした。前世の脳が完全に馴染んだ今だからこそ、冷静にこの世界の「仕様」を整理する必要がある。
「まず、ここは中世ヨーロッパ風の、よくあるファンタジー世界だ」
ハルをはじめ、街には耳のとんがった「エルフ」や「獣人」っぽいモブ種族が普通に暮らしている。そして、噂話では『魔術』や『騎士』という単語が飛び交う。文字は前世の日本語でも英語でもない未知の言語。完全に異世界転生だ。
「問題は、俺自身のスペックだが……」
俺はふと思い立って、前世のネット小説でよく見たあのセリフを口にしてみることにした。
「ステータス、オープン。……スキルオープン。……プロパティ?」
……うん、駄目か。脳内に半透明のウィンドウが現れる気配は微塵もない。そもそも、よくあるテンプレのように神様に会ってチート能力を貰った記憶もないのだ。
前世の最後の記憶を思い返してみる。講義を終え、深夜のバイトをこなし、店を出て原付にキーを差し込んだ……そこまでは、はっきりと覚えている。
(……もしかして俺、寝不足のまま運転して事故ったか?)
うわ、最悪だ。他人に迷惑をかけてなきゃいいんだけど……。そんな、今更どうしようもない前世のやらかしに頭を抱えたくなる。
一方、ルークとしての記憶を探ってみると、この世界には「加護」だの「スキル」だのといった便利なシステムは存在しないようだった。ただ、完全にただの現実世界というわけでもない。
ルークの記憶によれば、鍛え上げた人間は、ヤンキー漫画みたいに数メートル人を吹き飛ばす凄まじいパンチを繰り出せるし、本物の「魔法」も存在しているらしい。
「……ま、”普通の”剣と魔法のファンタジー世界だろ。孤児院に行く前に、さて『魔力』ってやつを少し鍛えておくか」
俺は胸のあたりに意識を向けた。昨日、前世の記憶が戻った瞬間から、心臓の奥に妙な「温かみ」を感じていたのだ。それは、前世の知識と混ざり合うことで、明確なエネルギーとして主張を始めていた。
(……これが、魔力か)
俺は床の上で座禅を組み、目を閉じた。まずは心臓の奥にあるあの温かみを、意思の力で捕まえる。
(これでも前世では全然マッチョではなかったが、頭の中でイメージして狙った好きな筋肉だけをピクピク動かしたり、血圧を意識して変えたり、観光地の瓦割り体験で狙い通り三枚中の真ん中だけを叩き割る、みたいな器用な真似ができたんだぞ、俺は)
この圧倒的な「イメージ力」こそが、俺の唯一無二の武器だ。……と、本当にこの「イメージ力」でどうにかなるかは知らんが、試さないよりはマシだろう。
その確信とともに、心臓の温かみを意識で「つまみ」、体の奥を通るように移動させるイメージを描いた。
開始から五分。心臓から胃、腸へと熱を動かしていく。
「……っ! 動いた……ッ!!」
確かな手応えに口角が吊り上がる。心臓を起点に、体中を奔流となって駆け巡る熱さ。これさえあれば、いつか魔法が使えるかもしれない。……くそっ、考えるだけで全身の毛穴からアドレナリンが噴き出してくるような興奮だ。
(……くそっ、やっぱり甘くないか。一度に移動できるのは全体から見ればほんのわずかだし、意識を緩めれば霧のように散っていく。だが……!)
俺は必死にその熱を「つまんで」は引きずる、という操作を繰り返した。効率は最悪だが、何度も何度も粘り強く、その熱を体内で引き回す。
魔力の仕様なんて、作品次第で千差万別だ。使い切れば最大値が増えるという話もあれば、単に枯渇してショック死するだけのデンジャラスな仕様かもしれない。あるいは、絶対量は生まれつき固定で「操作技術」こそがすべてという可能性も、体内で圧縮する手法も……何なら、エッチなことをしないと増えないなんていう破廉恥な設定の可能性すらある。
(……まぁ、なるようになるか。使い切れば最大値が増えることに賭けよう!)
俺はボロ小屋の真ん中で、ようやく操り方を掴みかけたその温かみを引きずり出すように、体内の魔力をちょっとずつ外へと垂れ流し始めた。
十分後、血の気が引いたように全身から力が抜けていく。まだ全然余裕だ。何ならだんだん効率化していき、両手でつまむイメージで二つ同時で移動できるようになってきた。
二十分後、頭が重くなり、嫌な緊張性頭痛がこめかみを締め付ける。まぁ前世で片頭痛持ちだった俺としては、まだ耐えられる。……残り魔力は体感で二〇%ほど。あと少しだ。
三十分後には方向感覚がぐにゃりと揺れ始め、吐き気と激しい片頭痛が襲う。効率はガタ落ちだ。
魔力が最初の体感10%になった時、その痛みが心臓と頭を鉄ごてで焼くように強烈に突き刺した。
「っぁ、つ……ッ!!」
勝手に涙が溢れ出した。視界がぼやけて、何が何だか分からない。
(もう無理、つらい……。こんなの、そうだよね、最悪だ。魔力がなくなって死ぬかも……。いや、死ぬ。これ以上は……ちゃんと教育を受けてからにしよう。うん、そうしよう……)
脳の奥底から押し寄せる激痛に、思考はぐしゃぐしゃに溶けていく。これ以上は本当に命が危ない。
「……っ、ハァ、ハァ……ッ!」
激痛で視界が明滅する中、這うようにしてボロ小屋の隅にある水瓶へ向かう。乾ききった喉にぬるい水を流し込み、どうにか正気を繋ぎ止めた。
辛い。……いったん寝るか。というか寝たい、気絶したい。
そうして意識が急速に深淵へ沈んでいく。




