IFルート 魔術師の弟子入り
「今日この街に、魔術師が来たんだって」
昼下がり。
いつものようにスラムの路地で時間を潰していた時、ハルがそんなことを言った。
「魔術師?」
「そう。旅の魔術師らしい」
「今どこにいるんだ。調べてあるんだろ?」
魔術師は金持ちが多いらしいからな。
「当然」
ハルは得意げに胸を張った。
「夕方に街へ着いてすぐ宿を取った後、さっさと飲み街の方へ歩いていったらしい」
「お、酔っぱらってる可能性もあるのか」
「たぶんな」
二人で顔を見合わせる。
少しだけ期待した。
◆
目的の男を見つけた。
三十代くらい。
無精ひげを生やし、覇気のないローブを纏った男だ。
顔は赤らみ、足取りも少しふらついている。
腰には、じゃらじゃらと金属音が聞こえる革袋が一つ。
「当たりか?」
「当たりだろ」
男が市場へ入った。
俺は大回りしながら反対側へ回る。
そして――。
反対側から歩き、すれ違いざまに手を伸ばした。
一秒。
いや、一瞬。
革袋の紐が外れる。
そのまま袖の中へ滑り込ませた。
男は気付かない。
俺はそのまま人混みに紛れ、焦らずいつもの路地裏へ向かった。
◆
「どうだった!?」
合流したハルが身を乗り出す。
俺は革袋を放り投げた。
じゃらり。
重い金属音。
「すげぇ!」
ハルが目を輝かせる。
俺たちは急いで袋を開いた。
中に入っていたのは――黒ずみ、あちこちがへこんだ対の籠手だった。
「…………」
沈黙。
俺たちが狙うのは現金だけだ。
物には持ち主がいる。売れば足がつく。
今の俺たちにとって、金にならないただの重石はゴミと同じだ。
「めんどくせぇ……せっかくスッたのに、ただのゴミじゃねぇか」
その時だった。
「それ、俺のなんだが」
後ろから声がした。
「「げっ」」
二人同時に振り返る。
さっきの魔術師だった。
逃げようとした。
だが身体が動かない。
まるで見えない何かに押さえつけられているような感覚。
(魔術……!)
そう考えたが、その表情を見て思わず動きを止めた。
男は怒っていなかった。
むしろ、壊れ物を見るような疲れた目で籠手を見ている。
「盗られたこと自体は別にいい。俺の不用心だしな」
男は籠手を拾い上げる。
「でも、それ、仲間の形見だからさぁ」
静かな声だった。
「今は遺品を家族に返して回ってる途中でな。それはこの街出身の仲間の家族に届ける予定なんだ」
男は少し笑った。
それは、あまりにも人間臭く、疲れたような笑みだった。
「金ならまだいい。だが、それは返さなきゃいけないもんなんだ」
◆
沈黙。
やがて男は俺たちを見る。
だが、よく見ると妙だった。
獲物を狙う目ではない。この先何を話すべきか迷っているような、そんな風にも見えた。
「飯は食えてるか?」
「ほどほどに」
反射的に答える。
男は鼻で笑った。
「だろうな。その腕なら」
その時だった。
男の意識が、ほんの一瞬だけ籠手へ向く。
視線が俺から外れた。
「逃げろ」
その一言で、ハルは動いた。
流石はスラム育ちだ。
状況を理解するのが早い。
踵を返し、全力で路地の奥へ駆け出す。
俺は一応、一歩前へ出た。
男とハルの間に立つ。
意味があるかは分からない。
だが、捕まるなら俺だけで十分だ。
「死ぬなよ!」
ハルの叫び声だけが路地裏に響く。
やがて足音が遠ざかっていく。
魔術師は追わない。
ただ黙って見送っていた。
◆
俺は歯を食いしばる。
「捕まえるなら俺だけにしろ」
男は少し目を丸くした。
「仲間を逃がしたのか」
「当たり前だろ」
吐き捨てる。
「どうせ捕まるなら一人で十分だ」
男はしばらく黙っていた。
そして小さく笑う。
「昔の仲間にも、そういう馬鹿がいた」
ぽつりと呟く。
「全員死んだがな」
風が吹く。
男は籠手を見つめた。
「……俺だけ生き残っちまった」
その声はどこか遠い。
「傭兵なんて仕事をしてりゃ珍しくもない話だ。だが、いざ一人になると案外堪えるもんだな。だから今は、こうしてあいつらの生きた証を返して回ってる」
男は手にした籠手を軽く持ち上げた。
「だから今は、あいつらの遺品を家族に返して回ってる」
手にした籠手を軽く持ち上げた。
「これもその一つだ」
◆
そして不意に、男は俺を真っ直ぐに見つめた。
「俺もやっぱり、生きてた証を残したいなぁ」
少し考える。
本当に今、この路地裏で思いついたように。
「よし」
男は指をさした。
「お前、俺の弟子になれ」
「……は?」
意味が分からない。
男は肩を竦めた。
「二流とはいえ魔術師だ。弟子の一人くらい持ってみてもいい頃だろ」
「いや、なんでそこで俺になるんだよ」
「さあな」
男は笑う。
「手癖は最悪だが、仲間を逃がした。その判断の速さと度胸……魔術の制御に通じるかもしれない。」
その視線は妙に真っ直ぐだった。
「少なくとも、見込みがないとは思わなかった」
男は少し考えるように顎を撫でる。
「一応聞くが、お前、親は?」
「……一ヶ月前に蒸発した」
「そうか」
短く頷く。
◆
「なら取引だ」
「取引?」
「ああ」
男は指を一本立てる。
「今回のスリは不問にしてやる」
もう一本立てる。
「逃がしたお前の友人についても追わない」
そして最後に、少しだけ悪戯っぽく笑った。
「その代わり――弟子になれ」
思考が止まった。
「……どこまで本気だ?」
「さあな。弟子が欲しい時に、偶然ちょうどいただけだ」
「そんな適当な理由で決めるなよ」
「飯の心配をしなくて済む、という理由ならどうだ?」
男はあっさりと言った。
「俺は弟子が欲しい。お前は捕まりたくない。利害一致だろ?」
あまりにも雑な理屈だった。
だが――。
後に世界最強と呼ばれる男の人生は、この日、この路地裏から始まったのだった。




