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僕が行った月の話  作者: 坂本啓
一歩ずつ
22/24

最後の朝

 十月十六日、木曜日。僕は朝早く目が覚めた。五時五十三分。明るくなった空高く、白っぽい半月が浮かんでいる。

 とうとう、今夜は下弦かげんの月。僕が月に行ける、最後の日だ。


 一ヶ月前、突然月面に降り立った夜から、僕は少し大人になった。

 月には、巨大なウサギがいた。僕の理想を形にした存在だって気づいたのは、やっと先週だった。

 大人扱いされたくて、でもまだまだ子供で、理屈っぽくって変わり者の僕を、素直にさせてくれたウサギ。もっと一緒にいたいのに、今日でお別れだなんて。月を見上げながら、また少し泣きそうになる。



「本当に、終わっちゃうのかな……」

 夢のような日々が、夢のまま続けばいいのに。でも、やっぱり終わるんだろう。ウサギは、嘘は言わない。一度だけ確認したときも、最初の日と同じことを言っていた。


「きみが初めてここに来たときと、同じ月がまた巡るまで」


 巡るまで。……まで。

 突然、寂しさでいっぱいだった頭の中が、光に照らされたように晴れた。

「八時までに来なさい、は八時過ぎたら遅刻だよな……」

 下弦の月の日までOKだと勝手に思ってたけど、もしかして「同じ月」になったらアウトなんじゃないのか……!?


 同じ月、はどうやって知るのか。僕は思い出した。月齢だ。

 月の満ち欠けの度合いを示す月齢は、新月が0、上弦が7、満月が15、下弦が22。それだけ覚えていた。あわてて月の本をめくり、あの日と今日の月齢を確認する。

 あの日、僕が初めて月に行った九月十六日、夜九時の月齢が21.9。月に行ったのは、たぶん十一時四十分頃だったと思う。

 月齢は、一日で1増える。一時間あたりは? とっさに、なんとか暗算する。1割る24時間、だから0.5割る12、0.25割る6、つまり約0.04。

 僕が月面に立った時の月齢は、少なく見積もって、22.0。


 続いて今日、十月十六日。夜九時の月齢は……22.2。

「間に合わない!」

 いつも通りに夜十時過ぎまで待っていたら、完全にタイムオーバーだ。月には行けず、ウサギとは昨夜別れたままになってしまう。危ないところだった。

 さらに、22.0になる一時間前、つまり21.96までには月に行かないと、ウサギとの最後の時間をゆっくり過ごせない。合計すると月齢で0.24、つまり夜九時の六時間前がタイムリミット。

 答えは、午後三時。


 木曜日は六時間授業の後、委員会活動がある。どう考えても、三時までに帰ってくることはできない。

 ただラッキーなことに、図書室の当番ではなかった。登校しても、授業に集中できる気がしない。

「休もう」

 僕は心に決めた。


 お父さんとお母さんが出勤してから、こっそり帰ってこようかとか、午前中だけで早退してくる方法も考えた。でも、それはダメな気がする。嘘をついて後ろめたい気持ちで、ウサギとの別れに向かいたくない。

「お父さん、お母さん、お願いがあります」

 僕は台所とリビングの境に立ち、朝のあいさつもせず切りだした。卵をつかんでいたお母さんと、遅番でゆっくり起きてきたばかりのお父さんが、何事かという表情で僕を見つめている。


「今日、学校を休ませてください。お願いします」

 体を九十度に折り、深々と頭を下げる。先に口を開いたのは、お母さんだった。

「具合悪いの?」

「いえ、悪くありません」

「何か嫌なことあった?」

「何もないです。いじめでもありません」

「じゃあ、どうして?」

「どうしても今日、やりたいことがあるからです」

 きちんとわけを話せば、休んでもいい。それがうちのルールだ。大人だって会社を休む権利があるのだから、自分のやることをきちんとやっていて、人に迷惑をかけなければいいんだ、とお父さんがいつも言っている。


「それは、休まないといけないことか?」

 今度はお父さんだ。お母さんより、声が厳しい。

「はい、学校に行ったら間に合わないことです」

「宿題ができてないとか、そういうズル休みではないね?」

「はい、違います」

「当番とか、人に迷惑をかけることはないか?」

「大丈夫です」

「そうか、分かった」

 僕は、ようやく顔を上げた。お母さんは、もう朝ごはんの準備にうつっていた。

「休んでいいの?」

「いいよ、そこまで考えてるならあとは朋哉自身の責任だ」

 寝癖頭にパジャマ姿のお父さんが、すごく立派な大人に見えた。エプロン姿で卵を焼いてるお母さんだって。


「ご飯食べたら、学校に電話するからね。風邪でいい?」

「うん、ありがとう!」

 変わった両親と、変わった息子の僕。

 ここが、僕がこれからも生きていくホーム。




 



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