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僕が行った月の話  作者: 坂本啓
一歩ずつ
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23/24

別れは、未来のために

 両親が仕事に行くのを見送り、僕は自分の部屋に戻った。机に置きっぱなしの月の本を開き、もう一度月齢を計算し直す。間違いなく、午後三時前なら間に合う。思わず大きなため息が出た。

 窓から月を見上げる。光を失って白い月は、なんとも存在感が薄い。以前の僕なら、わざわざ探して見るなんてしなかっただろう。


 僕は、どのようにウサギと別れるか考えた。

 最後に、やっぱりモフモフしたい。おなかにダイブは、絶対に欠かせない。

 背中にも、もう一回乗りたい。一緒にジャンプしたい。駆け回りたい。おなかソファにも沈みこみたい。抱きしめてほしい。モシャモシャしてほしい。

「今日で、最後なのか……」

 もっと、ウサギと過ごしたい。あんなに信じられなかったことが、すっかり僕の中に溶け込んでいる。

 忘れていた寂しさが、猛烈によみがえってきた。泣きたいけど、泣いても仕方ない。とにかく今日、月に行く。行けば、何かが分かる気がする。




 お昼は、適当にバターロールをかじった。あまり、おなかがすかない。一個食べて牛乳を飲んだら、もう十分だった。

 万が一にも間に合わなかったら、きっと一生後悔する。タイムリミットより早目の、午後一時半。僕はベッドにもぐりこみ、天井を見上げて最後の切符を使った。

「月に行く」



「よく来たね、トモ」


 いつもと同じ、ウサギの顔が目の前に出現した。あっという間に、僕の両目から涙があふれる。ウサギがいつものポーズをとる。僕は、おなかに向かってダイブする。


「間に合ったね」


 それだけで、全部分かった。やっぱり、今日で最後なんだ。いつもの時間まで待ってたら、もう来られなかったんだ。僕の判断は、正しかったんだ。

「なんで、教えてくれなかったんだよ……!」

 返ってくる答えは、分かっている。だけど、聞かずにはいられなかった。


「ヒントは教えてあっただろう。答えを見つけるのは、きみ自身だ」


 そうなんだ。この一ヶ月、僕らはこれを繰り返してきた。僕がした質問に、ただ答えを教えてくれたことは、一度もなかった。


「きみは、自分の力でヒントに気づき、自分の力で答えを出し、道を開いた。成長したね」


 そうだよ、ウサギは僕を鍛えてくれたんだ。だから、もっと、もっと一緒にいたいんだよ。もっと、僕が成長するのを、毎日見ていてほしいんだ。


「だけど、これ以上一緒にいたら、きみは僕に甘えてしまう。それはダメだ。だから、一ヶ月限定なんだ」


 僕は顔を上げた。ウサギが僕を見下ろしている。表情はあまり読み取れないけど、耳がほんの少し、しおれているように見えた。


「一ヶ月前とは、見違えるようだ。立派になったね、トモ」


 きみのおかげだよ。最初は夢だと思った。だけど、いつの間にか、ここで過ごす時間は僕にとって現実の一部になった。

 僕の中に、きみが住んでいる。ここにいない二十三時間も、きみは僕を励ましてくれたんだ。

「……ありがとう」


「どういたしまして」



 それから僕は、ウサギの背中によじのぼった。一緒にクレーターに降り、ジャンプして脱出して、一緒に探検した場所を駆け回る。

 学校の話をした。変わった両親の話も。将来の夢も、今欲しい物も。一ヶ月の間にあったことを、一時間にぎゅうぎゅう詰めにするみたいに。



「トモ、そろそろ時間だ」


 僕はウサギの背中から降り、向かい合って立った。

「あと何分?」


「あと五分」


 感情に負けて、早く帰ってしまった日。あの日の十分が、今戻ってほしいと痛いほど願った。叶わないのが分かっていても。


「これを、きみにあげる」


 ウサギは、左足のももの上あたりを探り、何かを取り出した。ポケットでもあったのか、今まで気づかなかった。

 ウサギが僕の手にのせたのは、直径五センチメートルくらいの球を半分に割ったような、半月みたいな石。


「月の石だよ。これだけは、持って帰れる。大事にしてほしい」


 僕の手のひらに、しっくりとなじむ石。そこら辺に落ちている石と違って、表面が少しなめらかだ。両手で包むと、暖かさを感じる。

 僕は石をしっかり握りしめて、ウサギに最後の質問をした。

「僕は、いつかまた月に来られる?」


「来られるさ」


 言葉にならない。涙が自然にあふれだす。


「その石が、きみをみちびいてくれる。手放しちゃいけないよ」


 ウサギが、両前足を開いた。僕はもう一度、ウサギのおなかにダイブした。ウサギは僕をぎゅっと抱きしめてモシャモシャなで回して背中をポンポンして、それから僕の肩をそっと押した。

 もう一度、ウサギと向かい合って立つ。自分の足で、しっかりと月面に立って。

「一ヶ月、ありがとう」


「うん」


「また、いつか」


「うん、またいつか」


 僕が右手をあげると、ウサギは左前足をあげた。そういえば左利きだったっぽい、巨大な白ウサギは次の瞬間消えて、気づけば僕は自分の部屋の天井を見上げていた。

 左手の中に、暖かい重みを感じる。体を起こして布団の中から左手を出すと、半月みたいな石が握られていた。右手を重ねる。ウサギが持っていて、僕にくれた石だ。僕をいつか、月に導いてくれる石だ。

「夢じゃなかった……」

 嬉しくて、でもそれ以上に寂しくて、やっぱり僕は泣いた。

 




 

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