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僕が行った月の話  作者: 坂本啓
一歩ずつ
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24/24

エピローグ

「さあ、いよいよ明日だな」

 一緒に旅立つ仲間と夕食をとり、僕は自分の部屋に戻った。十分に睡眠をとって、万全の体調でのぞまなければ。

 二〇四四年、ウサギと別れてから三十年。僕は明日、月に行く。




 小学五年生の九月、思いがけず月に行ってウサギと会い、僕の人生は変わった。ただの理屈っぽい変わり者になるルートを辿たどっていたのが、人の意見も生かせる自分になった。

 中学、高校では科学部でそれなりに成果を出した。苦手だった社会科と英語も克服し、大学で宇宙工学を学んだ。大学院に進み博士号を取得、現在は民間企業との合同研究にいそしむ日々だ。


 あれから、宇宙の研究は大きく進歩した。

 三十年前には夢物語だった宇宙エレベーターは昨年、無人での運行に成功した。これは二〇二八年、宇宙空間における制空権の問題が解決したことから、急速に進んだ。広大な宇宙へと地球人が目を向けたとき、国境で争う愚にようやく気がついたのだ。順調に進めば五年以内に、人類は気軽に月観光に行けるようになるだろう。

 同じ理由で技術的には完成していても許可が下りなかったのが、民間の宇宙旅行会社だ。こちらはもう実用化されていて、三度ほど宇宙空間へ飛び立っている。今はまだ、二千万円ほどの高額な旅行代金を払える人限定ではあるが、これからは値下がりしていくだろう。何より、短時間ながらも宇宙から自分の目で地球を見られることは、素晴らしい体験だと思う。




 翌朝は、快晴。絶好の旅行日和だ。

 今回のメンバーは五人。パイロット(とは言えロケットは全て自動制御だが)、データ係、それに僕たち一般の研究者が三人。特別な訓練を受けなくても、宇宙に出られる時代が来たのだ。

 僕と一緒にプロジェクトに参加したのは、サムとレイラ。三人とも、月にのめり込んだ変わり者ばかり。金星や火星への有人飛行が実現秒読みのなか、月の研究だけでは正直食べていけない。それでも月が好きなメンバーが集められたのだ。僕たちは、あっという間に親友になった。


「さあ、行くぞみんな! 忘れ物はないか?」

 パイロットの声かけに、笑いが広がる。こんなにも気軽に、月に行ける時代がくるとは想像できなかった。今回はプロジェクトの第一回として着陸せず、ぐるりと月の周囲を一周して帰ってくる。その分、さらに気楽な旅だ。

 僕は上着のポケットを探った。他の何を忘れたとしても、絶対に忘れてはいけないもの。その存在を確かめ、左手でしっかりと握る。そろそろ、出発だ。




 僕たちの旅は、全て順調だ。

 トラブルもなく、データも次々と集まる。データ係が整理していくそばから、僕たちがのぞきこんで分析をする。同時に地球のセンターにも送られているので、気になる点はすぐに見直しができる。大学の研究室で議論しているのと変わらない。

「さあ、そろそろ月面が見えるぞ!」

 僕たちはデータを放り出して、窓から外をのぞいた。モニターにも映ってるぞ、とパイロットが言っても無視だ。三人で頭を寄せあって、少しずつ近づく月を見つめる。さすがは月にとりつかれし者たちだな、と後ろからあきれた声が聞こえてくる。


「Ten thousand and five hundred eighteen(10,518),」

 突然耳に入ってきたつぶやきに、僕は叫んだ。

「What(何だって)?」

 驚いたことに、レイラも同時に同じ言葉を叫んだ。呟いた当人であるサムは、何が起きたかという表情で、僕とレイラを交互に見ている。

「Is there it following the words(続きはあるかい)?」

 僕は激しく打っている心臓の上に右手を置き、サムにたずねた。

「There is it(あるよ).Two thousand and a hundred thirty one(2,131),」

 僕とレイラも唱和する。祈りのように、声が重なる。

「Six hundred seven(607),

Ninety four(94),

Twenty one(21),

The last is three(最後は3).」

 僕の目から、とどまることなく涙が流れている。レイラも、そしてサムも、泣いている。



――たった一つだけ、ウサギがすぐに答えをくれた質問があった。

「僕と同じ光を見て、月に来た人は何人いるの?」

 ウサギは耳をかきながら答えてくれた。


「光を見たのが10,518人、

おかしいと気づいたのが2,131人、

気のせいだ、で片づけなかったのが607人、

『誰かいる?』と呼びかけたのが94人、

『そこにいるのは誰?』と聞いて、一度はここに来たのが21人、

夢を見た、で終わらせずにチャレンジして次の日も来たのは3人」――




 ちょっとした言葉の違いだし、子供の言うことなのに、と当時は思った。

 でも、今になって分かった。

 たとえ夢や空想だとしても、そこに「いる」と信じた心が、僕たちを月に連れていったのだ。

 そして、その心に正直な行動をとった者だけが、次のチャンスをつかむのだ。


「I was taught it by a rabbit(僕は、ウサギから教わったんだ).」

「By a crab(カニからだ).」

「By grandmother who read a book(本を読んでいるおばあちゃんから).」


 僕は、上着のポケットから左手を出すと、握っていた拳を開く。大人になった僕の手のひらに、小さな半月型の石がのっている。

 レイラが、そしてサムが手を差し出す。手のひらには石がのっている。それぞれ色合いやなめらかさが違う、半月みたいな石が三個。

 笑いがこみ上げてきた。涙は、とめどなく流れる。泣きながら笑って、お互いの顔を見て笑ってまた泣いて、肩を組んでひたいをぶつけ合って笑って泣いた。パイロットとデータ係が、頭おかしくなったのかと心配している声が聞こえて、また笑って、泣いた。



――「きみたち3人以外の10,515人は、チャンスを逃したことを知らない。そこにチャンスがあったことさえ、一生知らずに終わるかもしれないし、実際にそれがほとんどだ」


 ウサギの声が、懐かしく思い出される。


「一生のうちに、いったいいくつのチャンスを逃したか、誰にも分からないんだ。だから、もしチャンスをつかんだことに気がついたら、絶対に離しちゃいけないよ」――


 ねえ、僕たちは離さなかったよ。

 あの一ヶ月が、僕を、サムをレイラを、ここまで連れてくる力になったんだ。



 窓の外に、本物の月が近づいている。

 クレーターだらけで、空気がなくて、生物は発見されていない、それが月の現実だ。

 だけど、僕だけの月には僕だけのウサギがいて、サムだけの月にはサムだけのカニがいて、レイラだけの月にはレイラだけのおばあちゃんがいる。

 それもまた、僕たちの現実だ。



 ようやく涙をふいて、僕たちは月を眺める。三十年前、かけがえのない時間を過ごした思い出の地を。

 もうすぐ四十一歳になる僕は、あの頃願った大人になれているだろうか。


「大丈夫、大丈夫」


 そうだね。

 僕たちなら、きっと大丈夫さ。










 


 






 


 

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