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「なんで、そんなに普通にしていられるのっ!? 両親を殺して、お兄さんを困らせて……なんでそんなに平気なのっ!」


言葉とともに怒りが湧き上がり、私はようやくその場に立ち上がって輝夜さんを睨みつけた。足元に落ちていた破片をだんっと踏みつける。バリッ、と硬い音が響いた。


「私の友達や色んな人を傷つけて、何が楽しいの? そんなことをしても、何にもならないんだからっ!」


漆喰兄弟のオリーブグリーンの瞳が、同時に私を見つめる。

悲しげに目を伏せたのは、兄。

喜色に瞳を染めたのは、弟。


輝夜さんは私に向き直って微笑んだ。


「もう、宮ちゃんって本当にかわいいね。兄さんから僕のこと聞いてないの? じゃあ、これから長い付き合いになるから、僕のことを教えてあげるよ」


「知りたくない。長い付き合いなんか、してたまるもんか。私はあなたに興味がないっ」


「聞いてくれたら、君のお友達から手を引いてあげてもいいけど?」


「……っ」


ちらりとカウンター越しに視線をやる輝夜さんに、言葉を詰まらせた。

私の反応に満足そうに頷くと、輝夜さんは白い袖を翻して兄をも牽制する。


「兄さんも大人しくしていてね。その煙草を吸い終わるまでには、話し終えるから」


「──分かった。階さんに変な真似してみろ。次こそ車で轢き殺してやる」


淡々と煙草を吸いながら言い放った言葉は、あまりにも生々しかった。指先に灯る赤い火が、より一層熱を帯びた気がした。


それでも輝夜さんは、ひょいと肩をすくめるだけだ。

「じゃあ、続けるね。僕はね、医学的には『失快楽症アンヘドニア』に近い症状があるんだ。喜びや興味を全く感じられなくて、何を見ても砂を噛んでいるような虚無感がずっと付きまとう、厄介なものでさ。勉強も遊びも、熱中する前にすぐコツが分かって楽しくなくなる。すぐに一番を取れてしまうから、本当につまらなくてね……でも、そういうのは『ダメ』なことだと理解していたから、わざと出来ないふりをしたり、失敗したり。面倒くさいことをして周りに合わせていたんだよね」


一気に喋り立てる様子に圧倒される。情報を処理しきれないまま、次の言葉を浴びせられた。


「でもさ、そういうのってストレスでさ。その発散でよく小動物を殺していたんだけど、その瞬間だけがとてもリラックスできて……『壊すこと』が楽しいんだって気づいたんだ」


「壊すのが楽しい……?」


なんとか食らいついて返答する。


「そう。物事の達成感には喜びを見出せなかったけど、達成されたもの、完成されたものを壊すことは楽しい。嬉しい、綺麗だって気づいたんだよ」


またどこかで、パキンと何かが壊れ落ちる音がした。

ゴムの異臭もすっかり薄れ、ホールにはただ冷たい空気だけが支配していた。


「そんなの、異常じゃない……」


私の言葉に輝夜さんは微かに首を傾け、オリーブグリーンの眼差しを向けてくる。


「そうだよ。異常だろうね。でも、僕はそうやって生まれ落ちた。おまけに霊まで見えるし、散々だ。でも……そんなの仕方ないじゃないか。生まれたからには生きたいし、死にたくはない。僕は僕の人生を謳歌したいだけだ。それは変なことなの?」


それ自体は、変じゃない。

でも──そのために、彼は……。 私の中で、すべての欠片が揃った。

薄暗い中でも明るく微笑む彼に尋ねる。


「謳歌するために、お父さんとお母さんを殺したの?」


「それはちょっと違うかな。僕もね、当時はそれなりに悩んでさ。その時の一番大事なもの、つまり家族や両親、この世に生を与えてくれた人たちを殺して、もし僕の心が痛んだら──僕は狂っているけれど、まだ『まとも』なんだろうと思った。心が痛みを感じるなら、僕も自分を殺そうと思ったんだ。……そうじゃなかったら、思うままに生きてみようと決めた」


するりと、溢れた気持ちが口をついた。


「それで……あなたの心は痛まなかったのね」


「その通り。ちっとも痛まなかった。それどころか、僕に裏切られて泣き叫ぶ両親の顔こそ、最高の快感だった。初めて心の底から楽しいと思えたんだ。ほら、ジェンガだって崩すときが一番楽しいだろ? それと一緒だよ」


もう、聞いていられない。

輝夜さんの異常性には、救える人などこの世にいない。周囲に苦しみしか与えない世界で、彼は人を犠牲にして自分勝手に「生」を謳歌している。


そんな人に、どんな言葉を投げかけていいのか分からなかった。

私が俯いてしまうと。


「もうええ。胸糞悪いからやめろ」


漆喰さんの声がホールに響いた。

漆喰さんは手で煙草の火をぐりっと消し、吸い殻を足元に落とした。


「その後、学校から帰ってきた俺に嬉々として、今と同じことを抜かしやがって。玄関先で実の弟から両親殺害の報告を聞かされた、俺の身にもなってみろ」


「懐かしいね。いつも完璧な兄さんが、狼狽して号泣しているのは凄く興奮したよ」


ああ、やっとこの兄弟の闇が分かった。

漆喰さんが警察に本当のことを言えず、ずっと弟を追っていた理由。

それは、まさに贖罪の人生だ。漆喰さんは何も悪くないのに、誰よりも悲しい目に遭っているのに……。

気がつけば、はらはらと瞳から涙が溢れていた。

それに気づいたのは輝夜さんだった。


「あ、宮ちゃん、どうしたの。目にゴミでも入った? 泣かないでほしいな。……というか、ちょっと疲れたよね。そろそろ行こうか」


心配そうに伸びてくるしなやかな手を、漆喰さんの声が止めた。


「階さんに触んな」

白い手が私の正面でピタリと止まる。


「お前も霊が見えるなら、白狐が怒り狂っとるのが見えるやろ」


「そんなの関係ない。見えているなら対処できる。狐ごときに僕が諦めるとでも? 笑わせないでくれるかな。宮ちゃんには試したいこともあるし、兄さんにはあげないと言っただろ」


「──階さんは諦めろ。お前には勿体ない」


そう言いながら、漆喰さんは重い腰を上げて、ゆっくりとこちらへ歩いてきた。

コツコツと革靴がホールに響く。

さすがに輝夜さんも警戒したのか、私に触れかけた手は下がった。


ひりつくような空気感に、息をすることさえ忘れてしまいそうで、胸が苦しくなる。

私はどうしたらいいのだろう。このままでは漆喰さんにとって、私はお荷物でしかない。私がいたら、漆喰さんが思うように動けないのではないか。


「し、漆喰さんっ。私は大丈夫だから。お願い、来ないで。架紀ちゃんを連れて、ここから出て行ってください。私は後で必ず帰りますからっ……!」


近づく漆喰さんを制止しようとしたが、足取りは止まらなかった。漆喰さんは私の少し前で足を止めた。ジャリッと、ガラスの破片を踏む音にビクッとする。

そんな私に手を向け、漆喰さんが苦笑した。


「一緒に帰ろう。宮、おいで」


「……あ」


その瞬間、トンと肩を押された。

柔らかな毛並みが頬を撫でる感触。

まるで白狐様が漆喰さんのところへ「行け」と促しているように感じた。


そのまま体が傾き、足が一歩前に出ると、私は無我夢中で漆喰さんの胸の中に飛び込んだ。


「おかえり、宮」


「た、だいま……っ!」


優しく頭を撫でられ、鼻を突くメンソールの香りと、温かな体温にとめどなく涙が溢れた。私はぎゅっと漆喰さんの体にしがみついた。


「見せつけてくれるなぁ。妬いちゃうじゃないか」


「妬いてろ。……いいか、このまま宮に一生手を出すな。その代わりに──俺が健照教とお前を立件しようとしていた準備、すべて取り下げてやる」


「!」


その言葉に私はハッとして顔を上げようとしたが、頭に添えられた手にぐっと力がこもり、漆喰さんの胸に顔を埋めさせられた。


「何も言うな」と漆喰さんが言っているようで、また涙が溢れた。そのせいで言葉が出なかった。


輝夜さんの表情は見えない。漆喰さんの言葉だけが耳に降り注ぐ。


「俺は長年、今度こそ正攻法でお前を捕まえようと足掻いた。一時は警察官になろうとも思ったが、俺が捕まえたいのはお前だけやからな」


「だから、不動産屋になった?」


淡々とした二人の会話は、あまりにも無機質だった。


「そうや。祖父母が手を尽くして、お前が健照教とかいう宗教団体に潜り込んで、他人の家をぐちゃぐちゃにしているのが分かったからな。どれだけ時間がかかってもお前の痕跡を掴んで、健照教ごとすべて瓦解させてやろうと決めた」


「それはご苦労様」


「これまで多くの人たちから証言、証拠、言質をかき集めた。宮のおかげでその準備も急激に進み、協力者も得た。……だが、それを辞めてやるから、宮から手を引け」


ここで、漆喰さんがすうっと息を大きく吸い、吐き出した。


「──お前。俺に健照教を壊されたら、面白くないやろ?」


すぐには返答がなかった。

しかし、ふぅ、という溜息と呼吸の間のような吐息だけが聞こえた。


「どうせお前のことや。もうそろそろ健照教で、やりたいことはやり尽くした。飽きてきた頃やろ。だから、見合いなんかに気が向いた」


その言葉にハッとした。

一番最初に、輝夜さんと神社で出会ったとき。彼は『旅立ちの準備』という言葉を口にしていた。

私はなんとか身を捩って、漆喰さんの腕の中から輝夜さんを見た。


その表情は──口元にはうっとりするような微笑を湛えていたけれど、冷たいオリーブグリーンの瞳だけは笑っていなかった。


「長年居座った場所を、俺に壊されたいんか?」


その言葉がとどめになったらしく、輝夜さんは首を横に振った。


「さすが兄さん、ビンゴ。今回は長居した分、ちょっと手間暇かけたからね。それは邪魔されたくないな。……分かった。宮ちゃんから手を引くよ」


ぐうっと背伸びをする輝夜さん。

つまらない説教を聞かされて、「やれやれ」といった様子だ。

ふぅ、と息を吐くと、輝夜さんは何事もなかったかのように、また優雅に足音を響かせてエレベーターの暗がりへと歩き出した。白い服が翻る。


私は、その背中に声をかけてしまった。


「待って! 一つだけ聞かせて」


ピタリと止まる、華奢な背中に投げかける。


「なんで、お兄さんは殺さなかったの? 本当はお兄さんだけは……!」


「……僕にボーイズラブの要素はないよ。ああ、早く兄さんと子供を作ってね。できたら女の子。僕はそれを楽しみにしているから」


「……っ!」


私の驚きと漆喰さんが「輝夜っ!」と名を呼ぶタイミングが重なったが、白い人影が振り向くことはなかった。代わりに、ひらひらと手が振られた。


「あーあ、もう。うるさいよ。じゃあね、おやすみなさい」


そう言って、輝夜さんは暗がりに消えた。

足音だけがほんの少しホールの余韻となって残っていたが、それも冷たい空気によって綺麗さっぱり消し去られた。


漆喰さんが深呼吸して、私の頭からゆっくりと手を離した。


「終わったな。俺らも帰ろう。友達を送っていかなあかんしな……」


『私のせいで、準備を台無しにしてごめんなさい』という言葉が舌の上にまで出かかったが、奥歯を噛み締めてそれを飲み込んだ。


苦渋が広がる。

漆喰さんは私に謝ってほしくないだろう。そうでなければ、最初からここに来るはずがない。

だから──苦い味をなんでもないように咀嚼して、笑ってみせた。


「──はい。白狐様も一緒に。みんなで、家に帰りましょう」


あの人は『家がないほうが自由だ』と言った。それは一理あるのかもしれない。


でも守れる家があるからこそ、人は強くなれる。私はそう思うのだった。

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