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「!」


慌てて食器棚の死角に身を隠そうとすると、ふわりと漂ってきた安いお線香の香りが、私の足を止めさせた。


その香りに違和感を覚え、給湯室の壁にめり込むほど体を密着させる。

音と香りのした方を見ると、あの太極拳のような服装のピンク色バージョン──安っぽいチャイナ服もどきを着た若い女性たちが、不審そうに扉を開けて外の様子を伺っていた。


その扉には『教義の間』と書かれていた。


「──!」


この部屋に、きっと架紀ちゃんがいる!

私は一気にその部屋を目指してダッシュした。

女性たちが私に気づいて驚いていたが、そんなの関係ない。

体当たりをするように、その部屋の中へ飛び込んだ。


「きゃあ!」

「あなた、一体なんなの?」


入り口にいた人たちが声を上げたが、無視する。

たたらを踏みながらも部屋を見渡すと──その異様さに息を呑んだ。


広い研修室のような部屋。窓のない空間に安っぽいお線香の香りが充満していて、気分が悪くなる。

正面には教祖と思しき中年男性の、仰々しい額縁に入った写真。その前に祭壇があり、大きな花瓶にやたらと豪華な花が飾られていたが、品がない。

しかも、どこからともなく、小さな音であの団地で聞いたテクノサウンドが鳴っていた。


なによりも、床に等間隔で並んだいくつもの布団に背筋が凍りつく。


「架紀ちゃん! 私、宮! 迎えにきたよっ! 帰ろうっ」


私は布団を見ないようにして、ぐるりと部屋を見渡す。

女性たちは私を奇妙な目で見つめていたが、飛びかかってくることはなかった。


それどころか、部屋の奥にいた人たちはおどおどと動き、部屋の片隅に身を寄せ合いはじめた。

まるで水槽の中で集団で泳ぐ小魚だ。

その中に私という異物が入ってきたことに、怯えているようにも見えた。


その集団の中。人影がゆらりと揺らめき、群れから離れようとする動きを見せた。


「……み、やちゃん?」


「──!」


名前を呼ばれ、私はその人物に駆け寄る。

顔を見ると少しやつれていて、目に隈を作ってはいたが、架紀ちゃんに違いなかった。


ぶわっと目から涙が溢れそうになる。


「架紀ちゃん! 早くここから出よう! こんなところに、いちゃダメ!」

 

ピンク色の薄い服を着た架紀ちゃんを抱きしめる。


「……でも、今から教義があって……」


「そんなの、もういいからっ!」


架紀ちゃんの肩を揺さぶるが、彼女はどこか虚ろな目をしていた。

このままでは埒が明かない。こちらの様子を伺っている周囲の人たちから、どんどん敵意めいた鋭い視線が向けられているのを感じる。


肌を刺すような視線が、私の焦りを煽った。


「こうなったら──」


私は意を決して、一度架紀ちゃんから離れた。

バッグの中からライターと整髪料のスプレーを取り出す。

ここまで来たら、もうどうにでもなれ。私は近くの布団に近寄り、スプレーを噴射してライターの火を近づけた。

シュボッ、という聞き慣れない音とともに、噴射された飛沫に炎が燃え移る。まるで小さな火炎放射器のように、炎が膨れ上がった。


手元に感じる熱と、ツンとする香りが、いっそ心強い。


また女性たちの悲鳴が上がる。

うるさい。静かにしてほしい。

私だって必死なんだから!


そんな気持ちに呼応するように、炎がぽっと布団に飛び移った。

瞬間、焦げ臭い匂いが安い線香の香りを塗りつぶしていく。その勢いに乗って、声を張り上げた。


「火事が起きたわよっ! ほら、あんたたちが消さないと皆、死ぬんだからねっ!」


勢いそのままに、女性たちに向かって炎を繰り出し威嚇する。

到底届くはずもない炎を向けられ、女性たちは悲鳴を上げながら部屋を飛び出していった。


「よし、この混乱に乗じて私たちも行こうっ!」


ライターとスプレーを放り投げ、呆然としている架紀ちゃんの腕を掴む。


「み、宮ちゃん。炎が……」


「ここのスプリンクラーはさっき作動したから大丈夫! 行こう!」


私は強引に架紀ちゃんを引っ張って部屋を出た。

一瞬チラリと炎のついた布団を見たが、部屋に残った人たちが慌てて花瓶の水をかけようとしていたから、すぐに鎮火するだろう。


少しだけホッとしながら、同時に「こんな施設、なくなればいい」とも思った。

私は後ろを振り返ることなく、ピンク色の集団に紛れるように走りながら「火事だ、火事だ!」と騒ぎ立てた。


女子トイレ前にはまだ人が集まっていたが、部屋から逃げ出した女性たちが彼らに助けを求めて群がっていたため、なんとかエレベーター横の非常階段に辿り着くことができた。

そのまま、飛び降りるような勢いで階段を駆け下りる。

架紀ちゃんは私に引きずられるように、頭をぐらぐら揺らしながらもついてきてくれた。


「乱暴なことして、ごめんなさい」と心の中で謝る。

その謝罪に被さるように、後ろから「今、階段を降りたショートヘアの子が火をつけた!」という声が聞こえてきた。


「っ、はぁ、もう少しだけ、黙っててよっ!」


濡れた体は、いつの間にか熱くなっていた。

そのせいか、まとわりつく服が不快でたまらない。

早くお風呂に入りたい。お香でも焚いて熟睡したい。

こんな場所には一秒だっていたくないと、ガツガツと足を動かしてようやく一階の踊り場まで戻ってきたとき。


がくん、と架紀ちゃんを掴んでいた腕が後ろに引っ張られた。

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