⑤
私のツッコミに、漆喰さんはミリも動じなかった。
「階さんに関西弁でツッコミをされると、クるものがあるな」
興味深そうに私を見つめながら、ゆっくりと間を詰めてくる。その独特の気配に心臓がドクンと高鳴った。
「漆喰さんっ、あのね! 冗談で言っていい言葉と悪い言葉がありますっ。今のは悪いほう! なんで私と漆喰さんが結婚しなきゃならないんですか。そんなの変でしょう!」
「別に変じゃない。階さんのお見合い相手が俺の弟……輝夜であることは間違いない。断っているとはいえ最高レア、白狐憑きの君を逃すとは思えない」
「断っているのに?」
私もいよいよスツールからガタリと降りて、漆喰さんの前に立った。
「それで諦めるような奴じゃない。弟も霊的なものが見えるというのは初耳だが……多分、俺と同じで、白狐憑きの階さんに興味を惹かれたんだろう」
「私は人生で一度もモテたことないのに、憑いている狐ばっかりモテている事実にどうしたらいいんですか! そこまで男運がないってことでしょうかっ!?」
「階さん、落ち着いてくれ」
「こんなの落ち着いていられません! 人生初のプロポーズにツッコミを入れることになった、私の身にもなってください!」
プロポーズって、もっとロマンチックなものを想像していたのに。
こんなビジネスライクな提案なんてあんまりだ、と頭を振った拍子に、後ろのスツールに足をぶつけてしまった。ガクン、と体が揺れる。
「──あ」
途端に視界がブレた。
横に転ぶ、と思った瞬間、「危ない」という声と共に、ガシッと漆喰さんに体を支えられた。
腰と背に回された腕の感触に、また心臓が跳ね上がる。けれど、漆喰さんは離してくれなかった。
「あ、あの。大丈夫ですから、離してください……」
それでも、漆喰さんの手は解かれない。
緩い拘束なのに振り切れない自分。至近距離から漂うメンソールの匂いと、あまりの親密さに頭が混乱する。
「俺は確かに、恋愛感情から君にプロポーズをしたわけじゃない。君を守るためだ」
密やかな声。決して甘い響きは伴っていない。
なのに、なぜか切なくなった。
「漆喰さん……」
「階さんが調べたことは概ねあっている。過去にそういう出来事があった。だが、それを詳しく説明はしない」
なんとなく、「説明しない」のではなく「説明できない」のではないか、と思った。
私はそれを追求せず、漆喰さんの言葉を待った。
「先に俺と婚姻関係を結んでおけば、法律的な面からも守れるのは間違いない。弟が無理やり階さんと縁を結ぼうと強引な手段を選んでも、ある程度は事前に防げる」
──どこまでも理知的に話を詰める漆喰さんに、誠実さは感じた。
弟から私を守ろうとしていることも分かった。
でも、私の心は素直に頷くことを拒んでいた。だからこそ、私は彼の腕の中で動けずにいる。
「漆喰さんのお気持ちは分かりました。でも、いきなり結婚はできません。やっぱり、結婚って好きな人とするものだと思うから……」
漆喰さんに比べれば、私は子供じみた考えなのかもしれない。それでも、私なりに訴える。
「漆喰さんの将来、本当に好きな人と出会ったとき。私と結婚していたら、漆喰さんが困ると思うんです。じゃないと、ちゃんと幸せになれないと思うから」
「幸せ? 別に、俺は幸せなんて求めていない」
背中に回った手にぐっと力が込められ、心臓が跳ねた。
オリーブグリーンの瞳が、私を射抜くように見つめている。
これは、逃げてはいけない場面だと悟った。
気の利いた言葉なんて思いつかなかったけれど、漆喰さんはきっと、自分のことはすべて後回しにして、弟のことだけを追い続けてきたのだろう。
この人は「いい人」というより、不器用で、優しすぎるお兄さんなのだと初めて分かった。
弟のことで、ずっと心を痛めている。
その傷跡の端に、触れた気がした。
ぎこちなく、私は漆喰さんの腕に手を添えた。
「幸せを求めなくても、不幸になる必要はないと思います。私には難しいことは分かりませんし、弟さんが何をしたのかも想像することしかできません。でも、漆喰さんは……もうちょっと、笑っていてもいいんじゃないですか。きっと漆喰さんのご両親も、そう思っているはずですよ」
自分の言葉に気恥ずかしくなり、照れ隠しに「えへへ」と笑ってみる。
すると漆喰さんは、あろうことか──。
すとん、と。
私の肩に顔を埋めてきた。
首筋に漆喰さんのしなやかな髪が擦れて、くすぐったい。
密着した体から伝わる温度に、胸の鼓動は最高潮に達しそうだった。




