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なんだか見てはいけないものを見た気分になって、漆喰さんの指先から視線を外す。


けれど、微笑んでくれた空気の軽さで、ストレスという言葉の重みが少しだけ和らいだ気がした。

それでも──これから話されることは決して楽しくはないという予感があったから、私もあえて笑ってみる。


「そんなことを言われたら、秘密が気になるじゃないですか」


「これからもっと気になることを喋るから、そのうち忘れる」


「煙草を吸う前から、煙に巻くのはやめてもらっていいですか?」


「違いない」


ふっと漆喰さんが笑う声と共に、メンソールの清涼感とスモーキーな香りが夜の空気に漂う。それが、朝の会話の続きが始まる合図のように思えた。


「じゃあ、階さんから話す? それとも俺が黙っていた宗教団体……『健照教』のことを先に聞きたい?」


──やっぱり。健照教。

ごくり、と喉を鳴らす。


「それを聞いた上で、『やっぱり黙っておく』と選択してもいい」


ふぅ、と白い煙を吐く漆喰さん。夜空に昇る煙を見つめてどうしようか迷うが、煙が夜に溶け切る前に口を開いた。


「先に聞いていいですか。じゃないと、漆喰さんが次に話してくれる機会が……ないかもしれないから」


「分かった。でも俺のプライベートに深く関わることだから、わざとぼかしたり、意図的に話さない部分もある。そんな風に、ちょっとズルい喋り方をさせて貰うよ」


トン、と手慣れた様子で灰を落とす漆喰さんは、とても大人な男性に見えた。


「分かりました」と頷くと、彼はまた白い煙を夜空に散らし、語り始めた。


漆喰さんには、大変頭の良い弟がいる。名前は──漆喰輝夜。

その弟は自己中心的な考えにより、家族を無茶苦茶にして家出してしまった。その時のショックで、漆喰さんは霊が見えるようになったのだという。

それから弟は宗教団体『健照教』に入り込んだ。

そこで赤の他人の家族を、人を、家を、無茶苦茶にしていることが分かった。


弟が壊した家はことごとく、曰く付きの「事故物件」になった。事故物件こそが、弟が残した痕跡。


漆喰さんは兄として、弟の後始末をするために一念発起し、事故物件になってしまった家をどうにかするために奔走した。それが、不動産屋になった理由だそうだ。


同時に、弟が犯した過ちを社会的に明るみにするための準備もしている。それは端的に言えば「裁判」だと漆喰さんは言った。

今度こそ法の裁きを受けさせたい、と重く呟いたのが印象的だった。


私と出会ったことで、その準備は加速し、順調に進んでいるのだという。

ここまで話を聞く間に、漆喰さんは二本の煙草を吸い終えていた。


私は──思わず頭を抱えてしまった。

夜風が首筋を冷たく撫でる。想像以上に重すぎる漆喰さんの背景に、どうしていいか分からなくなる。

漆喰輝夜という人物は、漆喰さんの実の弟で間違いないだろう。


彼がボカしていた『家族を無茶苦茶にした』という言葉。それはきっと、私がネットで調べたあの一家殺害事件のことではないだろうか。


実の弟が、両親を殺した──?


恐ろしい結論に思い至り、そんなことを考えてはいけないと頭を振る。

どちらにせよ、訳ありの弟であることは間違いない。そして私は、そんな人物とお見合いをしようとしていたのだ。


どう伝えればいい。

私と漆喰さんが出会ったのは、運命というロマンスの甘い響きではなく──逃げられない試練のようなものに感じられた。


これこそ私の男運の無さが極まった真骨頂なのかと、頭がぐるぐるし始める。


漆喰さんが三本目の煙草に手をかけようとした時、私は思わずくしゅっ、とくしゃみをしてしまった。


「階さん、冷えた? 外に付き合わせて悪かったな」


漆喰さんは火を灯すことなく、中へ戻ろうとしたので「大丈夫です」と制した。 


「問題ないです。なんていうか……このまま、外で話したいんです。部屋にこの話題を持ち帰りたくない、というか」


自分でもうまく説明できない気持ちを伝えると、漆喰さんはスツールから降りて、足元に煙草と灰皿を置いた。そして、着ていたニットカーディガンを脱いで私に渡してくれた。


「じゃあ、これを着てくれ。俺は寒いのには慣れているから平気だ。それを着てから話を続けようか」


「あ、ありがとうございます……」


押し付けがましくなく気遣ってくれる姿は、やはり大人だ。

座ったまま羽織ると、ニットは温かく、男性サイズなので袖や裾が余ってしまう。それがなんだか、少しだけ気恥ずかしかった。


漆喰さんはまたスツールに座り直した。手にはもう煙草はない。

彼の手持ち無沙汰そうな長い指先を見つめながら、私はそっと口を開く。


「話しにくいことを話してくれて、ありがとうございます。事情を詳しく説明できなかった理由も、よく分かりました」


「騙された、とか、怖いとは思わないか?」


「いえ。ここに来たのは自分の意思ですから。多分、どんな選択肢があっても、私は漆喰さんのところに来たと思います」


「……」


漆喰さんは夜空の月を見上げるように、黙り込んだ。


「私、お見合いを勧められて、それが嫌で大阪に来ようとしていたんです」


「そういえば……ホテルのカフェで初めて会った時、そんなことを言っていたな。あの時は本題と逸れるから聞き流してしまったが」


それは仕方ないと思う。けれど、今日の本題はまさにそのことなのだ。

ずっと言えなかったこと。私は漆喰さんの手から視線を上げ、そのオリーブグリーンの瞳をじっと見つめて告げた。


「実は、私のお見合い相手は……健照教に所属しているという、漆喰輝夜という人でした」


「──え」


漆喰さんの表情が、初めて凍りついた。


「黙っていてごめんなさい。最初は同じ苗字かな、なんて都合よく思っていたけど、ここまで来たら……漆喰さんの弟さんじゃないかって」


「階さん、詳しく教えてくれ」


硬い表情のまま迫る彼に、私は洗いざらいすべての経緯を話した。隠し事は苦手だし、こっそり過去の事件の記事を見てしまったことも正直に打ち明けた。


漆喰さんのプライベートに踏み込みすぎたのではないか。嫌な思いをさせたのではないか。申し訳なさで胸がいっぱいになる。


すべてを聞き終えた漆喰さんは、スツールから降りてベランダの手すりに歩み寄り、俯いた。その広い背中からも、隠しきれない苦悩が伝わってくる。なんと声をかければいいか分からない。


何度か夜風が吹き、雲が流れた。


やや冷え込んだ風が私の頬を撫で上げた時、漆喰さんがゆっくりと振り返った。

表情は硬いままだったが、月光を浴びたオリーブグリーンの瞳には、深い憂いが浮かんでいた。


「階さんこそ、話してくれてありがとう。……その上で、言いたいことがある」


低く落ち着いた声に、ごくりと喉を鳴らす。


「はい……何でしょうか」


「俺と結婚しよう」


「──なんでやねん」


私はごく自然に、大阪の人に関西弁でツッコミを入れてしまった。

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