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ヒロイック・アバンチュール  作者: 藤乃病


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7/12

7.

 動物殺しの話をしよう。

 それはもう一か月は前から報道されており三日おき程度の頻度でか弱い動物相手にその嗜虐性を発揮する卑劣漢だ。そうに違いない。

 藍色はニュースが流れる度に命を奪われた動物たちに同情し悲しみの涙を流し、時にかの卑劣漢への怒りを顕わにする。全く、許しがたい存在だ。俺もひょんなことからかの人物の手掛かりを入手する機会に恵まれ一度は動物殺しを自らの手で摑まえてやろうと決意したのだが……。

 その結果なんやかんやで武王の御物だのなんだのわけのわからない事に巻き込まれてしまった感は否めない。とはいえ九常さんとそのおかげでなんとなく仲良くなっている気もするので悪い事ばかりではない、か? まあ動物殺しは九常さんがどうにかしてくれるだろうし結果オーライで。

 しかし冷静に考えてみるとお互い最初の印象がかなり悪かったはずなのによくぞ今の位置に落ち着いたものだ。周囲には話せない共通の話題があると言うのが大きいのかもしれないな。

 うんうん。

 ……いや、九常さんは俺の事嫌ってるかもしれないか? どうなんだろう……、直接聞くわけにもいかないしな。

 と、まあ朝っぱらからそんなことを考え出したのはテレビが相変わらず動物殺しに関してニュースを流していたからである。

『三日前に公園での犯行があり、それから今日まで新たに動物の死体が現れたという通報は入っていません。これまでの犯行の間隔を考えると今夜辺りにという話もあり警察は警戒を強めているようです』

「……九常さんはどうなったんだか」

 九常さんは今、この動物殺しの犯人を追っている。より正確に言えば元々九常さんが追っていた博物館に入った盗人がこいつである可能性が浮上したので捕まえようと躍起になっている、と言うべきか。

 この前は見つけるのも時間の問題とは言っていたが……。多少なりとも関わった身としてはどうなったのかは気になる所だ。

「……そういや動物殺しも武王の御物を持ってるんだよな?」

 それも話じゃ博物館から三つ盗まれてその内の一個が俺の体内にあるらしい。つまり残りの二個はこいつが持っているという計算になる。

「大丈夫なのか?」

 下手すれば小学生と間違う程に小さな身体からは想像つかないほど九常さんは強い。何せあのリボンから出している生き物がどれだけいるのかわからないし、一般人相手なら象を一頭出した時点でゲームセットだ。潰された身だからわかる、あれはどうにもならん。

 しかし相手も同じく超常の力を持ってるわけで、言うなれば異能力バトルものになるわけだ。

「絶対確実とは言い切れないよなぁ……」

 漫画やアニメにおける異能力バトルでは基本的に能力の相性や初見殺しによって格上だろうが問答無用で勝てる、気がする。現実となれば猶更だろう。

 どんな人間も死んでしまえば死ぬ。現実は物語のようにはいかない。

「……今思うと、動物殺しなんて探し出したのは軽率だったな」

 ヒーローは必ず生きて帰らねばならない。幼い頃に観たイビライダーのように。

 公園で九常さんと出会った時、俺が九常さんを動物殺しと勘違いして殴り掛かったあの時。もしも相手が九常さんじゃなくて、手心を加えられることも無く死んでいたならば……。

 藍色はどうなっていただろう。

「俺は藍色のヒーローだ」

 言いながら俺は台所へ向かう。どこか落ち着かない気分でそわそわしているのが分かる。

 何を思ったのかシンクの掃除を始めピカピカと輝きを放つまで磨き始めた。そしてそこに映った顔は唇を噛み苦悩を抱えた男の顔だった。




 

 朝、学校へ向かう藍色を見送ると自転車に乗って俺も学校へ。日差しを浴びながら漕ぐ自転車は爽やかな風が吹き抜けて行くのが心地良い。家を出る前に悩んでいたのが嘘のように晴れやかな気持ちで自然と漕ぐ足にも力がこもる。段々とスピードも増して行きより強く風を切って進んで行く。

 学校が近付くにつれて学生服を来たお仲間の数も増えて来ると、流石にスピードを維持するわけにもいかず徐々に速度を落として行くのだが。ふと、その中に知った顔を見つけた。人と人の間を縫ってその隣へと向かう。

「九常さん、おはよう」

 朝の挨拶はとっても大事だ。それによって今日一日のスタートを切るのだから。

 しかしまあ、九常さんの表情は声を掛けられたのが余程嫌だったのか顰め面。

「……おはよう」

「同じクラスの、それも隣の席に座る学友相手にその顔は酷くないか?」

「……あなたはクラスメイト全員に挨拶するの?」

 あー、そう言われるとまあちょっと。

「九常さんはほら、転校して来たばかりだし特別ってことで」

 ついでに武王の御物持ってる仲間でもあるし。

「……昨日はそんな挨拶無かったと思うけど?」

「そうだっけ?」

 実際、九常さんの言う通り。昨日は常見が挨拶していたが俺はとりあえずスルーした。まあほら、急に学内で仲良くなった感出すと変な感じになるじゃん? 仕方なかったんだよ。

 ま、今の状況を見られた方がよっぽどあれだけどな。

「わざわざ話しかけて来たってことは何か用?」

「いやいやそんな」

 鋭いな。まあ用って程の事でも無いけど。

「ほら、例の件、どうなったかなって」

「例の件って」

「動物のさ、あれだよ」

「……ああ」

 どうやら伝わったらしい。溜息交じりに頭を抱える素振りからするにまだ捕まっては無さそうだな。

「……私としては、別にあなたに詳細を伝える義務は無いんだけど」

「それは……、いや、そりゃそうか」

 俺って部外者だしな。今から尊王会に入るんでって言ってみるか? でもよくわからん組織に入って藍色との時間が減ったりしたら嫌だしなぁ。

 そんな俺の心の内を読んだのか九常さんは再び溜息をついて口を開く。

「でも多少は教えてもいいかもしれないっていう義理ぐらいはあるかもね」

「おおっ! 流石は九常さん!」

 何だかんだ優しいよな。最初は怒ってばっかだと思ってたけど単にあれは間が悪かったり機嫌が悪い時に絡んでしまっただけに過ぎないのだろう。困った事があると相談を持ち掛ければ溜息をついたり文句を色々言いながらも結局は手伝ってくれる、そんな波動を九常さんからは感じる。

「結論から言えば……、捕まえるまでそう時間はかからないわ」

「そうなのか?」

「次に動き出したらすぐに捕らえる。その手筈は整ってる」

「へぇ……。因みにどんな風に?」

「そこまでは説明が面倒」

「ああ、そう」

 まあある程度は想像つくからいいか。たぶん九常さんの力と尊王会の組織力で何とかするんだろう。後は決定的な瞬間を抑えて間違いの無いようにする、みたいな感じか?

 どのみちこれで安心して過ごせるってわけだ。

「こっちからも一つ聞いていい?」

「ん? ああ、いいけど」

 何だ急に? いやまあ、別に聞かれるのは構わないんだけど、そんなに俺に聞きたいことがあるのか?

「何でそんなこと聞いたの?」

「え? そりゃあ」

「昨日言ってたでしょ? そんなの重要な事じゃないとかなんとか」

 それは……、まあ確かに言った。武王の御物だの尊王会だのどうでもいいと。

 ただ。

「いやいや、この件に関してはさ。ほら、藍色も気にしててさ? 早く捕まらないかなって言ってるから」

「へぇ……」

 嘘じゃないよ? 嘘じゃない……。いや、どうだ?

 そりゃあ多少は不快そうな表情を見せる事もあったし、早く捕まると良いねぐらいは言っていた気がする。しかしだからと言ってわざわざ九常さんに確認する必要まではあっただろうか?

 いやいや、確認できる手段があるならそれを行使することに何の問題がある。時計があれば時間が気になるし、テスト返却の時にはちょっと横目で隣の人の点を見てしまう物だ。

 つまるところ俺は全然平常だ。

「……茉莉君は」

「ん?」

 なぜか九常さんの表情はどこか不愉快そうに見えた。なぜ?

「悪い人では無いって判断をしたのは間違いじゃないと思うけど」

「ほう」

 褒められてる? だとしたら嬉しいなぁ。

「……あなたが何を考えてるのかはよくわからない」

 貶されてる? だとしたら悲しいが……。

 俺が何を考えてるかわからない、かぁ。

「俺はいつだって藍色の幸せについて考えてるよ」

「それは嘘じゃないんでしょうけどね」

 そう言うともはや話すことは無いと言わんばかりに小走りに駆けて行く。残されてしまった俺は素直に駐輪場へ向かって行く外無い。

 駐輪場、俺はいつも自転車を奥の他に誰も停めていないスペースに停める。校舎に近い位置は大勢が止めるので取り出すのに時間がかかる事があるからだ。少し離れたところでは次々に自転車を停めては校舎の方へ向かって行く学友たちがいる。俺もその仲間入りを果たすべきなのだろうが。

 不意に、疲れを感じているのに気付いた。この数日変わったことばかりあったせいかもしれない。少しだけ休みたい、そう思いゆっくりとハンドルに体重をかけて顔を伏せそのまま目を閉じる。

 光の入らぬ暗闇の中で自然と思考が明晰になって行くのを感じた。周囲の喧騒が遠く感じられる、ここには自分一人しかいないような錯覚を感じている。ぴんと張り詰めていた一本の糸が徐々に緩んで行くように無意識の内に張っていた気が緩んで行くようだ。

 自然と意識が過去へと遡って行く。




 両親が事故で亡くなってから藍色は部屋から出ることが無くなった。あの頃は俺も叔父さんも同様に沈んでいて、家の中は酷く陰鬱であまりに物静かだったことを覚えている。叔父さんは親切で俺達に出来る限りの事をしようとしていた。美味しい食事、愉快な会話、新しいおもちゃ、お金も時間も俺達の為に相当に使ってくれたのだ。しかしそれは悲しみに沈む俺達を引き上げることは出来なかった。

 別に俺達は叔父さんの事を嫌っていたわけでは無い。ただ……。そう、ただ単に俺達自身に立ち上がる気力が無かっただけだ。

 あれはいつも通りに叔父と二人でリビングで朝ご飯を食べていた時の事だ。

「あ、これ。イビライダー。二人共好きなんだよね?」

 偶然その日はイビライダーのアニメをやっていて、叔父が何気なくテレビのチャンネルを変えていると丁度オープニングが流れていたところだった。

 悪魔の力と正義の心で地球侵略を目論む悪をばったばったと薙ぎ倒すヒーロー。

『はーっはっは、イビライダー。貴様もこれまでのようだな』

 画面にはそのヒーローが孤立無援の状況で悪の組織に囲まれている姿が映し出されていた。

 実の所、俺にはイビライダーの良さが何もわかってない。おそらく未だに半分も理解できていない。しかし画面の向こうのイビライダーにはそんな事お構いなしだ。

 立ち上がり、拳に炎を灯し、ただ叫ぶ。

『このイビライダーに絶望の二文字は無い! 貴様ら悪党を根絶やしにするまで戦うのみだ!』

 彼はジャングルの奥深くに存在する要塞や、深海に作られた海底都市、果ては宇宙を漂うコロニーに出向くこともあったがこの台詞と共に戦い悪をただ滅ぼして行く。最後は囚われていた基地ごと爆破して敵を全滅させるのがお約束だ。改めて考えてみてもこれは誰向けなのかよくわからない。

 ただそんなイビライダーにも見習うべきところが一つだけあった。

『どうだいマイハニー、今日も世界は美しいぞ』

 彼は必ず自身の恋人の下へ戻って来る。ジャングルの奥地に囚われようと、深海に連れ去られようと、宇宙の果てに打ち上げられようとも、必ず彼女の元へ戻って来るのだ。そして悪の組織の手によって意識を取り戻さないまま眠っている彼女がいつ戻って来ても良い様に世界を平和に、平穏に保とうとしている。

 その姿だけは幼い俺の心を強く打ち、今でも身体中に響き続けている。

 だから俺は決めたのだ。多くを失い、たとえ心が絶望に染まりそうであっても、イビライダーのように世界を平和に平穏に保ち、ただ――。

 ただ藍色の為に生きて行こうと。

 だから俺は藍色にとってのイビライダーに、ヒーローになったのだ。

 その事にはほんの僅かの後悔もありはしない。




 ふと、チャイムが鳴って我に返る。俺は何分こうしていたのか、気が付けば周囲からは人影も無く駐輪場に一人。

「今のは予鈴か?」

 だとすれば今から走れば間に合うはず。鞄を片手に教室へ急ぎ走る。

 扉を開けると既に先生が教壇に立っていた。クラスメイトの視線が痛い程突き刺さる。

「茉莉ー、遅刻だぞ。……まぁ、普段は真面目だし今日は大目に見てやるが気を付けろよ」 

「すいません」

 頭を下げて中へ。全く、俺は何をやってるんだ。席に着けば真柴が何やってたんだと尋ねて来るし、隣の九常さんからは呆れたような視線が突き刺さる。

 本当に俺は何やってるんだろうな。

 朝のホームルームを終えて授業が始まるまでの休憩時間。

「珍しいな、遅刻とか」

 真柴に早速そんなことを面と向かって言われてしまう。

「この前も危なかったけどギリセーフだったじゃん。どした? 疲れてんのか?」

「どうだろうな」

 寝不足だろなどと言われてしまうが、睡眠はきちんととっている。ここ数日の熟睡具合は大したもので、目覚ましの音も普段より気付くのが遅れるぐらいだ。

 ……これって要は疲れてるって事なのか?

 冷静になって見れば熟睡しているのは普段よりも疲れて身体が少しでも休もうとしているという見方も出来る。さっきも考え込みながら半分寝てたようなもんかも……。

「校門の前にいた時は余裕だったはずだけど?」

 む、九常さんから尤もな事を言われてしまった。

「あれ、九常さんこいつと一緒に?」

「校門の前で見かけただけ」

「あ~、こいつでかいから目立つもんな」

 そんな二人の軽口の合間に一体何をしていたのか、という疑いの眼差しが突き刺さる。

「いやさ、駐輪場で自転車停めた後にちょっとこう、考え事をな、してたんだよ」

「それで遅刻? 間抜けすぎだろ」

 言葉もねえよ。昔の事を思い返してたら時間を忘れて遅刻しましたはあまりにも間抜けすぎる。

「疲れてるからそんなことになるんでしょ。しっかり休むことね」

「これはこれは、心配かけてすみませんなぁ」

 ううむ、どことなく委員長っぽい台詞だな。しかし九常さんって意外に優しいことを考えると、武王の御物の件で巻き込んでしまったから悪いことをしたとか思ってるかもしれない。

 ……いや、考え過ぎか。

 そう思っていると真柴が俺と九常さんを見つめていることにふと気付く。

「どうした?」

「……いや、さ。二人って前からの知り合いだったり?」

「……? いや、別にそうじゃないが」

「にしちゃあ仲良過ぎじゃないか? まだ九常さん転校して来て一週間も経ってないぞ?」

 ……おいおいおい。そういう勘違いは九常さんが不機嫌になるかもしれないだろ。

「単に隣の席だからだろ」

「でも男女で隣の席だからってそんな仲良くなるか? それにそれだったら俺も仲良くなってさ、今みたいに心配されても良いだろ!?」

「お前は斜め前だからな」

「隣と斜め前にそんな優劣あるの!?」

 ギャーギャー喚く真柴をどうにか落ち着けようと椅子に抑え付けてみるが中々上手く行かない。九常さんは何か言いたそうに幾らか口をぱくぱくさせていたがやがて余計な口を挟んでも悪化させるだけと見て授業の準備を始めていた。

「何で俺よりシスコンの方がモテるんだ? おかしいだろ!」

「そうやって僻みっぽい所がダメなんじゃないか?」

「真実っぽい事を言うんじゃねえ!」

 わかってるなら直せよ。

 チャイムが鳴る。

 一時間目、国語。教科書に書いてある物語をだらだらと読んで登場人物の気持ちがどうのこうのと言うだけの退屈な授業だ。国語は昔から好きになれない。

 二時間目、理科。今日は化学の授業で原子や分子がどうのこうのと……。理科は当たり外れが大きいと言うか、面白い所とそうでない所の差が大きい気がする。今はあんまり身が入らないかな。

 三時間目、数学。数式の羅列を処理して行きましょう。まあ得意不得意で言えば不得意よりだが覚えるだけの社会なんかよりはましかな。計算している間は無心になれるし。

 四時間目、体育。

「前でろ前!」

 真柴の声に反応してゴール付近へ。上手く上がって来たボールにヘディング。

「あ」

「おー、惜しい。どんまい!」

 身体を動かすのは結構好きだ。あんまり考える事が無いからな。そういう意味ではサッカーより走るだけとかの方が気楽でいいのだが、周りに言うと変わり者扱いされてしまう。悲しいなぁ。

「茉莉、そっち行ったぞ!」

 クラスメイトの声に反応して動き出す。とりあえずボールを取ればいいのだ。

 グラウンドに男子の声が木霊する。俺もその一人となってそこそこに熱狂して走り回った。

 昼休憩。

「あ~、疲れた」

 体育で走り回った真柴はお疲れのようだ。たぶんサッカー部よりも走り回ってたからな、お前がクラス一疲れてるだろうよ。

「緋色は全然疲れてねぇな」

「ま、鍛えてるからな」

「だったらもっと出し惜しみせず走れよ。それかやっぱりバスケ部に」

「入らないって」

 ……正直な所、体育でサッカーやバスケをするのは嫌いじゃない。相手に勝とうとチームで連携して試行錯誤切磋琢磨するのは面白いと思う。

 ただまあ、俺には藍色がいるからな。部活なんぞやってる場合じゃない。

「茉莉君ってサッカー上手いよね」

 不意に常見が話しかけて来た。

「こいつスポーツ万能だからな。バスケとかもめっちゃ上手いよ」

「そうなんだ」

「それほどでも」

「部活とか入らないの?」

「入らない」

「早く家に帰りたいから?」

「まあな」

 常見、よくわかってるじゃないか。流石に二年連続で同じクラスなだけはある。俺にとっては放課後を学友と切磋琢磨していくよりも藍色と一緒にいる方がずっと大事なんだよ。

「何だか勿体無いね」

「よく言われる」

 お前は才能の塊だと何度言われて来たことか。しかしこの体を造り上げたのは努力の成果で、小学生の頃から筋トレを初めた成果だという事を皆には理解してほしいもの。

「楽しそうにしてたのに」

 常見のその言葉に思わず言葉を失う。

 ……そうなのか?

 初めて言われたその言葉の真意を確かめるべく何か聞き返そうと思ったのだが、何を言えばいいのかもわからぬ間に気付けば常見は他のやつと話を始めていた。

 俺は楽しそうにしていたのだろうか?

 いや、まあ、楽しいのは認めよう。身体を動かすのは嫌いじゃないし、チームで頑張るのも面白い。だから楽しそうにしていたのはきっと本当だろう。

 それがどうしたと言うのだろうか?

 ふぅ、危ない。何か変な思考の迷路に迷い込むところだったな。よくよく考えれば楽しかったところで何の問題も無いじゃないか。俺にとっては藍色が最も優先すべき事なのには変わりないし、その途中でサッカーを楽しむこともあるだろう。

 ただそれだけだろう?

「そういや九常さんどこ行ったんだ?」

「ん?」

 言われて見れば休憩時間に入ってから姿を見ない。

「九常さんなら親から連絡があって今日は早退だって。何があったんだろうね」

「そうだったのか」

 親から連絡、か。そういや九常さんの親は見てないな。家の場所とかも知らないし……。妙な秘密だけ先に知ってなんとなく知った仲になった気でいたが……。

 ……まあ、いっか。少なくとも家族との事に俺が出張る理由も無いし。

 少しだけ、心の奥で引っかかる物があったけれど敢えて無視した。あまり考えていると道を逸れそうで嫌だったから。

 五時間目、社会。暗記系は嫌いなんだって。歴史は興味がなぁ。

 六時間目、総合。

「え~、明日から連休なので色々と注意事項や宿題などの話をします」

 ざわつく生徒。うん、宿題の話とかあんま聞きたくないもんな。

「緋色、最終日に宿題全部写させてくれ」

「自分でやれ」

 ゴールデンウィークの四連休に突入する我々は色々と高校生としての自覚を持った節度ある行動を求められており、休みだからと言って羽目を外し過ぎる事の無いようにと、まあ、めっちゃ注意事項を長々と言われるのだった。

 そんなこんなで放課後へ。

「緋色、連休ってどっか空いてるか?」

「何で?」

「みんなで遊びに行こうって話があってな」

「みんなって誰だよ」

「呼び掛けに応えてくれたやつ」

 本当に誰だよ。しかしなぁ。

「俺はパス。藍色を一人にはしたくないし」

「そう言うなよぉ。ほら、お前九常さんと仲いいっぽいし、お前来たら九常さんも来るかもだろ?」

「……え、九常さん狙ってんの?」

「いや? でもほら、常見さんがさ、誘えたら誘って欲しいって。ここで良い所見せたら俺の株価爆上がりでモテモテになるかなって」

 ……それはどうだろう。

「まあ、とにかく俺はパス。九常さんは自分で誘ってくれ」

「連絡先知らねえよ」

「あぁ……」

 そういや先に帰ったんだった。いやしかしだな。

「俺も連絡先知らないな」

「あ、そうなの? ちっ、無駄な時間だったぜ」

「お前なぁ」

 舌打ちまでするか? 全く、相手が俺じゃ無かったら殴られてるぞ。

「まあもし来たくなったら連絡くれよ。五日のこどもの日に行くからさ」

「わかったわかった。じゃあな」

「またな~」

 我がクラスは仲のよろしい事で。まあ、ああして学生らしくみんなで遊ぶのもきっと楽しいのだろう。その中の一員に俺は入れないだけで。

 さぁて、帰りますかね。




 なぜだろう。俺は自分でもわけもわからぬまま家とは別の場所へと自転車をこぎ続けていた。既に家は通り過ぎ、向かっているのはどこなのやら。

 ……いや、流石にわかっている。俺が向かっている場所は……。場所と言うか、その、藍色の通学路をひた走っているのだ。

「天使ちゃんと藍色が遊んでいるかもしれないから……」

 そんな言い訳じみた言葉が俺の口から零れる。

 誰に何を言い訳しているのかもわからないが、とにかく現状に対して後ろめたさのような物を感じているらしい。理由は簡単。俺は今、藍色の事を放置して別の事をしているからだ。

「……何で俺は家の戸を叩かなかった?」

 藍色が帰っているかどうかは簡単に確かめられた。それにも関わらず俺はそれを怠った。なぜこんなことを?

 ……俺は俺自身の望みを全く理解できてないらしい。

「人は自分の事が一番わからないとは言うけど……、正に今がその時だなぁ」

 まるで人生の迷子になった気分だ。自分探しにはインドに行くのが良いとは聞くがパスポートを取って何日も藍色と離れ離れなんてのは耐えられないなぁ。

 そんな風にぐだぐだと取り留めのない事を考えながら自転車をこぎ続ける。残念ながら目的の人物が見つかる気配は無い。

「天使ちゃんも藍色もいないな……」

 このまま進み続ければもう間もなく藍色の通う中学校が見えて来るだろう。そこまで行ったらUターンして帰るか。

「帰るのか?」

 いや、帰るだろ。なぜそんなことを呟く必要がある。

「何の為にここまで来たんだ?」

 知らねぇよ。それは俺が聞きたい。

「平和で平穏な日常はどこにある?」

 その質問に至っては意味が分からん。

 どれも自分の口から出た言葉なのにまるで別人の声のようにさえ聞こえた。……嫌な想像が一つ思い浮かぶ。

 武王の御物とやらが俺の中に入っているらしいが、それは本当に無害な物と言い切れるだろうか? ましてや話では俺の中にあるのは遺髪だという。身体の一部が入ってるとなるとどうしても気になってしまう。

 俺の中に別の何かがいるんじゃないのか?

「……いやいやいや」

 首を振って否定する。馬鹿らしい、そんな事あるはずが無い。その武王とやらが俺の人格を乗っ取ろうとしているとでも?

 車輪の回る音が小さくなっていく、自転車を漕ぐ足に段々と力が入らなくなっていく、鳥の囀りが耳に五月蠅くて、ゆっくりと足を地面に付けた。脂汗が噴き出して、掌は冷たく感覚を失って行き、まるで夜の帳が降りたかのように視界が暗く、震えながら唾を飲み込んだ。

 ここにいる俺は本物か?

 木々のざわめきに震えているのは寒さからか? 五月のこの時期に? ただただ呆然と立ち尽くす。

『イビライダー!』

 暗澹たる闇を斬り裂くようにスマホの音が鳴り響く。

「あ、え、あぁ」

 イビライダーのオープニングテーマだ。これは藍色からの連絡。

「メッセージか」

 画面には藍色からのメッセージ。

『今日遅くなるの? もしそうなら私が夜ご飯作るね』

「……え? ……あ」

 一瞬なぜこんなメッセージが送られて来たのかと思ったが、気が付けばもう六時だ。どうも一時間ほど立ち尽くしていたらしい。

「一時間……、一時間? 何をやってるんだ俺は……」

 急いで帰らねば。まさか藍色に心配を掛けてしまうような事をしてしまうなんて。こんなことでは兄失格、ヒーロー失格だ。

 とりあえず返事を……。

「……いや待て」

 冷静さを取り戻した俺は自撮りカメラで自分の顔を見る。

「うおっ、顔色悪過ぎだろ……」

 想定していた以上に顔色が悪い。こんな状態で帰ればより心配させるのは明白。ここはもう少しだけ時間を置くべきだな。

『ごめん、連絡忘れてた。学校の用事でもうちょっとかかりそうだ。あまり遅かったら先に食べて良いぞ』

「これで良し、と」

 メッセージを送りひとまずこれで良し、と。ここからどうした物か。

「どこか落ち着ける場所で休みたいな」

 落ち着ける場所、人のいない場所、静かな場所。思い浮かんだのは――。

 自転車を漕ぎ辿り着いたのは公園。ここ数日の間ですっかり馴染んでしまった公園だ。中に入りブランコに座り込む。

「思えばここで例の遺髪を拾ったのが良くなかったのかねぇ」

 もしも先ほどの想像が正しかったとすれば、あの行動さえとらなければこんなことにはなってなかったと。藍色を心配させるような事には、ならなかったと。

「何をやってるんだか……」

 今一度、俺は本来の兄としての責務を思い出す必要がある。俺は降りかかる不幸や災難から身を挺して藍色を守り抜き、そしていつだってその傍で見守っていく。それこそが俺のあるべき姿だ。

 そうだろう?

「……暗くなって来たな」

 ここでしばらく休もうかと思っていたが自転車を漕いでいる間に少し落ち着いた気がする。少し喉が渇いたから自販機でも探して何か飲もうかな。

 立ち上がり伸びをした。

「よっし、行くかぁ……」

 そうして歩き出したその瞬間。

 タタタタタ。

 不意に道の方で人が走るような音が聞こえた。ジョギングのペースではなく明らかに急いでいる、焦っているような足音。何気なく気になって振り返ると、そこに男がいた。

「は?」

 日は沈み、周囲を薄暗い街灯と家々の灯りが照らす。その男の手には光を反射する何かが、鈍く銀色に光を反射する両刃の剣が握られていた。

 目が合う。突然の事態に反応できず固まっていると、男はこちらに狙いを定めたかのように急に方向転換して道路との境にある低い植木を飛び越えた。

「う、わっ」

 まずいって!

 本能的な恐怖からその場から弾き出されるように駆け出す。駆け出したのだが。

「あ、やばっ」

 何を思ったか公園の奥へ向かっていた。いやいやいや、奥に逃げ場ないって!

 男の足は速くない、速くないが……。今から戻って横を抜けられるかというと……。冷や汗が流れる。剣の長さを考えると結構厳しそうだが、しかしやってやれないことは無い、はず。

「……やるか」

 立ち止まり、振り向く。距離はたぶん目測で十メートルぐらい、緊張で手汗が出て恐怖に心臓は高鳴る。

 あまりに突然の事に心の準備も何も無いが、上手く逃げ切って見せる!

「何でこんなとこにいるのよ……」

 覚悟を決めて一歩を踏み出そうとした瞬間、上空から呆れたような声が聞こえた。それは。

「九常さん!?」

 まだ転校して来て間もないはずなのに随分と聞き慣れてしまった声。彼女はどうやら例の擬態型プテラノドンに乗って空にいたようだ。そして俺の手を掴むと空へ再び飛び立ち、それと同時に男の周囲に多くの奇妙な生物を落として行く。

「うわ、何あれ?」

「可愛いでしょ?」

 模様が際立って綺麗な六本足の虎、蝶の羽を背中に生やした蠍、様々な飾りを付けた煉瓦製のゴーレム、植物の蔓が複雑に絡み合った塊など見た感じ統一感の無い、冷静に考えると生物かどうかも怪しい何かに男が囲まれる。

 男は一瞬だけ驚きでか動きを止めたが直後に剣を構え手近な六本足の虎へ向けて駆け出した。

「ノロマね」

 が、この九常さんの呟きが全てだ。

 男が大仰に振りかぶった剣を虎が弾き飛ばし、植物の蔓が伸びて男の手足を封じ、ゴーレムが地面に押し付ける。

 この一連の流れが文字通りあっ、という間に起こった出来事だ。

「降りましょうか」

「……ああ」

 九常さんは目の前の出来事に対して何も思う所など無さそうだ。ただ当然の事が起こっただけ、そんな風に思っているのだろう。

 地面に降りるとそこには俺の身体よりもでかい生き物たちが跋扈していてちょっとばかり怖い。しかしそいつらのほとんどは降りて来た九常さんの下へ来るとその姿をリボンの一部へと変えていく。あのリボンにはどれだけの生物が詰まっているのか、想像するだに恐ろしいものだ。

 しかし九常さんは基本的に良識ある人間だ。少なくとも普通に日常を謳歌している分にはその力で人を虐げるような事はするまい。真に恐ろしいのは植物の蔓に拘束され地面に寝かされているこの男のような者の方だ。

「か弱い動物を殺すのは楽しかった? 残念ながら今日の相手はあなたよりも強かったみたいだけど」

 早速と言わんばかりに九常さんが男を煽る。

 なんとなく思ってたけど九常さんってかなり自己評価高そうなんだよなぁ。まあこんな呑気な考えが出来るのはこの男を九常さんが圧倒しているからだし下手に文句は言うまい。

 それはそれとして、男は九常さんの煽りに対して苦い顔をしている。

「あんなのが楽しいもんか」

 まともな返答だ。なんか、さっきに比べて随分理性的に見える。九常さんはそのことを気にすることなく会話を続けたが。

「そう? 武王の御物を盗み出しておいて犬猫殺しをし出したぐらいだから随分と楽しい物だと思ってたけど」

「……あんたは政府の犬か?」

「尊王会の者よ」

「あの狂信者の一派か」

「その連中と一緒にしないで。私は単に都合が良いから入ってるだけだから」

 ……ううむ。政府がどうとか尊王会がどうとか、正直いまいち話に付いてけない。二人だけの会話をされても困るな。

 あ、いや。この場に俺がいるのがおかしいだけか。偶然公園にいたら巻き込まれただけだし。

「で、武王の遺髪をここに埋めたのはあんたでいいのね?」

「あの時はまだぎりぎり正気を保ってたからな。誰にも盗られまいと思ってとりあえず埋めたんだ……。何で知ってる?」

「教える義理は無い。それより……、正気を? それに盗られまいと思って? ……まあいいわ。それで、王冠は?」

「もう売った」

「ちっ」

 明確に不機嫌だとわかる舌打ち。こ、怖~。

 取り返さなきゃいけない物が売り払われてたら怒る気持ちは分かるけどさぁ。真横でそれ聞いてると心臓がきゅっ、となるからやめてくれ。

「じゃあ剣は?」

「あれは」

「剣?」

 思わず口を挟んでしまった。二人の視線が突き刺さる。

「いや、ね。ほら、あそこにあるじゃん」

 公園の真ん中の辺り、地面に突き刺さっている剣を指差す。それはさっきまでこの男が振り回していた物で、六本足の虎に弾き飛ばされた後に地面に刺さったままになっていた。

「……あれは武王の宝剣じゃ無いわ」

「え、違うの?」

「盗まれたのは古い銅剣だから形が全然違うわ」

「あ、そうなの?」

 そう言われると……、ニュースで見た写真は歴史の授業で習うような、草薙の剣みたいな形だった気がして来た。

「でもこの動物殺しって一か月前の最初の一件からずっと刃物で切られてるし……。単なる犬猫殺し用の剣って事か?」

「一か月前?」

 九常さんが変な所に反応した。

「いや、一か月前でしょ最初に動物の死体が見つかったの。大体だけどさ」

「博物館から武王の御物が盗まれたのは約二週間前よ」

 ……ん~?

 時系列おかしくないか? いや、おかしくないか。元々動物殺しをやっていた人間が二週間ぐらい経って急に博物館に盗みに入ったってことになるのか。行動は意味不明だけどそれで辻褄は合う、よな?

「動物殺しの分際で、どこで武王の御物の事を知ったの?」

 九常さんもそう結論づけたらしい。まあそうとしか考えられないわけだしな。

「……違う」

 その言葉に九常さんは眉を顰める。俺も思わず首を傾げた。

「何が違うの?」

「俺は元々動物なんて殺したかったわけじゃない。せっかく、せっかく博物館から盗み出せたのに、あんなものに出会ったせいで」

 不意に男の雰囲気が変わる。言いたいことは色々とあったがそんな事よりもその豹変ぶりに面食らってしまう程に。彼の意志とは関係なく手足は震え、歯の根は合わずカチカチと鳴り、その表情はまるで死を目の前に見て来たかのように蒼白になっている。それでも男は喉の奥から振り絞るように言葉を続けた。

「あの剣は、そんな単なる武器じゃない」

 俺も九常さんも男のただならぬ様子に思わず眉根を潜めつつ、しかし彼の次の言葉を待っていた。

「あれに触るんじゃないぞ」

 何が悪かったかといえば、運が悪かったのだろう。男は剣から背を向けるように地面に倒されその目に剣を映すことは出来ない。そして俺と九常さんは男のあまりに尋常でない様子にその注目を彼にのみ向けていた。

「あれは武王の御物だ」

「あれが?」

 だからこの時、顔を上げて剣を見た時。もう間に合わなかったのだ。剣の傍らに誰かいる。

「天使ちゃん?」

 天使ちゃんの手が剣に触れる。

「キヒ」

 奇妙な笑い声が響く。その一瞬、様々な考えが頭を過った。

 土管の裏に隠れていたら動物殺しに見つからなかったと言っていたのを思い出す。きっと今日もそうしていたのだろう。俺も九常さんも男の様子ばかり窺っていて気が付かなかったのだ。そういえば迷子になっていたのはどうしてなのだろう? 天使ちゃんの家はどこにあるのだろう? 公園に来て何をするつもりだったのだろう? もしかして何かを探していたのだろうか。例えばあの剣とか。ああそうに違いない。

 だって。

 天使ちゃんが剣を握った瞬間、俺達は死を感じた。

 だって、天使ちゃんの手に握られたあの剣はそれまでよりも強く、強く、強く、輝いている。

 銀色の閃光が走る。

「下がって!」

 九常さんの声と同時に視界に様々な生き物が現れた。そして直後にそれは死体となった。血飛沫を上げて、切られた部位の肉を晒し、地面に崩れ落ちて行く。

 間違いなくすぐに俺の番が来る、そのはずだったのだが不意に地面から足が離れて行くのを感じた。それは九常さんがプテラノドンで空へと逃げる際に俺も連れて行ってくれたからなのだが。地上の死体が、地上に残った天使ちゃんが遠のいて行く。ふと、彼女が俺を見つめている気がした。

「あっ」

 声が漏れて、手が伸びそうになり、しかし何かを諦めるようにその力が抜けていく。

 地面に並ぶ死体の山、その中心に天使ちゃんは立っていた。剣を握ったまま、たった一人で。彼女に並ぶ者は何も無く、俺達の距離は離れて行くばかり。

 空へ空へ。




 後に殺害天使と呼ばれ多くの者に恐れられる彼女の一頁目がここに刻まれた。


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