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ヒロイック・アバンチュール  作者: 藤乃病


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4.

 猫の話をしよう。

 猫は人を虜にする何かしらを放っている。これは広く人々に周知されており、中には人類の支配者は猫であると唱える過激派集団もあるほどだ。古代では王侯貴族のペットとして、現代では多くの人々が家で飼うメジャーなペットでもある。それどころか家で飼うことが出来ない物は猫カフェなるものに通いわざわざ猫成分を補給したり野良猫に餌をあげる者が絶えず社会問題にさえ発展するなど、その逸話には枚挙に暇が無いほどだ。

 そんな猫の事を俺も嫌いではなく、此度の動物殺しに対しては多少の義憤に駆られていた面もあったと言えよう。まあ道端で見かければちょっと一撫でぐらいしてもいいぐらいには好感を持っている。好きな生き物に順位を付けろと言われれば藍色と叔父の次ぐらいに入れてやっても構わないかな。

 とはいえ、とはいえだ。そんな猫にうつつを抜かしている様子を他人に見られたいかと言えば答えはノーだ。藍色やあまりに幼い天使ちゃんのような相手ならまあいい。しかし、だ。

 つい昨日に転校して来たばかりで大して親しくも無く微妙な関係性の九常さんに見られるのはちょっと……。




 公園、何か知らんが襲い掛かって来た猫を捕らえ可愛がっていた俺はその場面を九常さんに目撃されてしまった。九常さんは見てはいけない物を見たとばかりに目を逸らし、猫はするりと腕の中を抜け出し、俺は顔が熱くなるのを感じている。

「九常さん、話を聞いてくれ」

「……いや、別に聞きたくは無いけど」

「俺は、その、猫が襲って来たのを、こう、な! 防いでな! だから別に」

「猫好きなら猫が好きって言えばいいだけでは?」

 正論を言うな! 言い訳をしようとした事実が余計に恥ずかしいだろ!

 叫び声をどうにか腹の底に納めどうにか耐え忍ぶ。何を? 恥ずかしさの余りにこの場から逃げ出すことをかな。

「……き、奇遇だね。九常さんは公園めぐりがご趣味で?」

「何その話し方」

 適当に話題を換えようと試みたものの返って来たのは冷たい返事。

「緋色君はここで何を? そっちの子は?」

 俺の質問には答えなかったのに聞いて来るのか……。

「この子は俺の知り合い。今日はちょっと公園で遊んでたって感じかな」

「へぇ……」

 若干嘘入ってるけど全部正直に話すと長くなるし、そもそも動物殺しの犯人探しとか流石に人においそれと言うような事じゃないんだよなぁ。あと天使ちゃんについては俺も良く知らないからコメントし辛い。

 この後の誤魔化しコメントについて色々と考えていると九常さんがじっと俺を見つめているのに気付く。その視線はまるで何かを疑っているようにも見えた。

「……この辺りで何か拾わなかった?」

「えぁ?」

 あまりに唐突な質問に思わず変な声が出た。

「何か拾わなかった?」

「何かって……、探し物でもしてるのか? 何か落としたとか?」

 九常さんはじっとこちらを睨むのみ。どうやらこっちの質問には答えるつもりが無いらしい。昨日、というかその前に自転車の前に飛び出してきた時から思ってたけどさぁ、態度がきつくないか?

「九常さん、人に物を尋ねる時はもっと誠意をもって」

「何、か、拾わなかった?」

 これまで以上に鋭い瞳で圧を掛けられてしまった。一見すると彼女は背が低いので子供が怒っているみたいで微笑ましいが、なんというか、こう、不思議な威圧感がある。

 ……九常さんってちょっと不思議なんだよな。妙な圧があると言うか、漫画なんかでよくある後ろに巨大な竜の幻影が睨みを利かせているみたいな印象を受ける。

 それはそれとして、拾い物ねぇ。

「何かって言われても……。まあ一応一個だけ拾った物があるけどさぁ」

 拾ったと言うか掘り起こしたと言うか、微妙に心当たりがあるんだよなぁ。

 動物殺しが埋めた、と思われる変なお守りみたいなやつ。結局色々と判断が付かない物体だけどまあ拾ったという点には概ね間違いは無い。

 まあもしこれ目当てだとしたら何で九常さんがそんなものを探してるのか全く想像もつかないけどな! どうせ違うだろうけど一応確認ぐらいはしておこう。ポケットにでも入れたのだろうし探り探り。

 ……ん?

「あれ、どこやったっけ?」

 九常さんが訝し気な様子で睨んでいる。天使ちゃんが不思議そうに見つめている。そんな二人に見られながら俺は次々とポケットを探り探り。

 いや待てよ、そもそもポケットに入れた覚えがない。確か、こう……、あれを持って植え込みから出て来て……、そこで猫が公園に入って来たんだ。俺はそれを見てて……、そのまま猫が襲って来たから避けたりして、最終的に捕まえたな。

「持ってた、けど、落とした?」

 思わず漏れた呟きに反応して九常さんが凄まじい速度で視線を地面に向ける。……早過ぎね? そんなに俺が何拾ったか気になるか?

「ゴミしか落ちてないけど?」

 そんなバカなと見てみるも地面には破れた袋しか落ちていない。九常さんは馬鹿にされたと思ったのか明らかにイライラしているような口振りだ。これ俺が悪いのか?

「そう言われてもだな……。確かに拾ったんだよ袋に入った変なお守りみたいなやつ」

「お守り?」

「そうそう」

 そう言えばそこに落ちてる袋ってあれが入ってた袋と同じぐらいのサイズ感だな。妙な偶然もある物だ。

「お守りって……、糸で編んだ紐を組んで丸くしたような」

「あー、そんな感じそんな感じ。え、あれ九常さんのなの? 何でそんな物がここに?」

「いいから、どこにやったの!?」

「いやそう言われても……」

 勢いが怖すぎる。両親の形見かってぐらい突っ込んで来るじゃん。

 でも期待に応えられねぇー。

「それがさ、拾ったんだけどその後にさっき抱えてた猫に襲われてさ、どっか行っちゃったんだよ」

 そう言うと九常さんは愕然とした表情を浮かべる。……え、そんなショック受けるの?

「……えっと、とりあえずほんとに持ってなくて……。あ、さっきの猫が持ってったとかかも? この辺に落ちて無いならそれが」

「それは無い」

 バッサリ否定された。そんな有り得ないか? 猫って地面に落ちてる物拾ったりするじゃん、ありそうじゃん。

 ただまあ怖いのでそんな言葉は俺の口からはとても言えねえわ。

「……九常さん?」

 その表情は様々な感情が織り交ざっているのは容易に想像できる。そしてそのいずれもがあまり俺に優しい物ではない。困惑、疑惑、不快、憤怒、憎悪、たぶんそんなところだろうか。

 それは俺に向けられているのだろうか?

「……あっと、謝った方がいい?」

「あなたが意図的に何かをしたのなら」

「じゃあやめとく」

 怖っ、怖すぎる。これ受け答えミスったらぶん殴られたりしないよな?

 そこまで考えてふと、一つのある答えに、あり得なくも無い答えに辿り着く。

 俺が拾ったお守りらしきもの、あれを埋めたのは天使ちゃんの見たものが真実であれば動物殺しの犯人に違いない。逆説的に言えばここにそれがあると知っているのは天使ちゃん以外ではただ一人……。

 だとすれば俺は……。

 視線を天使ちゃんに向ける。首を傾げる天使ちゃん。まあ今の状況を分かっているのは俺だけなのだろう。

「先に帰ってて。俺は九常さんの探し物をもうちょっと探してみるよ」

 より一層疑惑の目を強める九常さん。しかしね、天使ちゃんをこれ以上こんな場所に居させるわけにはいかない。どういう訳か九常さんが疑っているのは俺だけのようだし。天使ちゃんはしばらく困ったようにしていたが何度かの説得によりどうにかこうにかこの場を去って行った。

 さて。

「あの子と遊んでいたのでは?」

「九常さんがもう少し話したそうだったからね」

 空気がひりつくのを感じる。それはそうだろう。今、俺達は……。

 敵同士とでも言うべきか?

「落ちてるかもしれないからもう少し探そうか」

 そう言って自然に、……たぶん自然に、座り込み地面に手を伸ばす。目的はそこら中に落ちている砂を集めることだ。

 チャンスは一度切り、大丈夫、上手くやれる。

 強い風が吹く。

 思わず九常さんが目を細めた。その瞬間に俺は手の中にある砂をその目に目掛けて投げた。

「うわっ」

 よし! この隙に腕を取って組み伏せる!

 時に、人間は何かの拍子に感覚が研ぎ澄まされた際、時間がゆっくりに感じることがあると言う。立ち上がり九常さんの元まで行く瞬間、正に俺はその現象を体験していた。

 砂による目潰しを受けた九常さんの動きがはっきりとこの目に捉えられている。その動きはどうにも不自然で妙に目に付いた。

 思わず顔の辺りを覆ったように見えた。それは人の反射として自然な動きだ。しかしそうかと思うとそのまま片方の手がトレードマークのように髪に結んでいるリボンに伸ばされた。

 なぜだ?

「は?」

 次の瞬間、はっきりと俺の理解を超えた事が起こった。九常さんの背後に巨大な影が生まれたかと思うとそれは宙を舞い、そのまま降り注ぐ陽射しを遮る。

「くぎゅぇ」

 そして俺は押し潰された。

 奇妙な声が出て恥ずかしがるなんて場合じゃない。不意を打つように押し潰され動くことも出来ないのだから。痛みすら感じないのは、或いはもはや痛いとかそういう次元を超えたという事だろうか?

「正体現したな御物泥棒!」

 ……は? ぎょぶつ? って何?

「お前が盗んだ王冠と剣、そして遺髪、耳を揃えて返してもらう!」

 え、何々? どういうこと? 王冠? 剣? いはつ……、遺髪か? それに耳って……、あ、これは慣用句か。

「まさかこの私から逃げ出せると思ってないでしょ? さっさとどこに隠したのか吐いてもらいましょうか」

 あ、なんかかかってる重量が軽くなった。喋るぐらいは出来そうだ。

 よーし、じゃあきっちり吐かせてもらおうじゃないか。

「……あの、どういうこと?」

「……しらばくれるならもう一度」

「いやいやいや、王冠とか剣とか……」

 いや待て、思い出した。そういえばあのお守りっぽいのどこかで見たと思ったんだよ。王冠、剣、遺髪、これってニュースで見たぞ。

「……近くの博物館から盗まれたやつ?」

 博物館の盗難事件、それは二三日前にニュースで報道していた事件で写真と共に盗難された品々について話していたのをぼんやり覚えている。大して興味無かったから今の今まで忘れてたけど、あれは博物館から盗まれた武王の宝物とか、そんなやつだ。

 ……何で九常さんがそれを?

「あんたが盗んだんでしょうが! さっさと返しなさい」

「え、あ、え?」

 その言葉が意味するのは九常さんは博物館で起こった盗難事件の犯人を捜しているという事実だ。つまり俺が見つけた遺髪を探していてこの公園に辿り着いただけであり……。

「九常さんは動物殺しの犯人じゃないってことか?」

「は?」

 ……何だろう、俺達はお互いにとんでもない勘違いをしていたみたいだ。上から押さえつけられる力が少し緩む。それを機に仰向けに転がると、そこにいたのは翼の生えた象だった。

 ……何だろう、俺はとんでもない事に巻き込まれて無いだろうか?

 もはや何が何やらわからず力尽き地面に手を下ろす。なんかこう、どっと疲れた。このまましばらく眠らせてくれ。




 復活! いや、ほんとに寝てた。公園で寝てしまうとはびっくりだな。

「公園……」

 人工的な灯りが目に痛い。青い空はいつの間にかコンクリートに、いや空どころか四方がコンクリに囲まれてるな。

 ……ここどこ? 

「ようやく起きたのね」

 この声は!

「九常さん! ……ですよね?」

 声のした方を見ればそこにいたのは人、ではなく動物の群れだ。いや、動物かあれは? 犬や猫に虎など普通の動物に加え、公園で突然現れた翼の生えた象やプテラノドンみたいなのまでいる。そしてその奥から多分声が聞こえたと思うんですけど……、幻聴じゃないよな?

 そう思いながらじっと見つめていると動物たちがゆっくりと広がり道を開ける。その先に九常さんが立っていた。

「……凄い演出だ」

 あ、まずい。

 ぶちっ、と九常さんがぶちぎれる音が聞こえた気がする。直後、どこからか飛んで来た石? の直撃を喰らう。寝ぼけているのかあまり痛みは感じず、とりあえず血が出ていないか一応確認。うむ、大丈夫そうだ。

 そんな俺の様子を九常さんは怒りに満ちた笑みと共に見ていた。

「緋色君、余計な事は言わない方が身の為だと思うけど?」

「……仰る通りで」

 ここは全力で下手に出よう。明らかに普通じゃない、変に逆らってもいいこと無いって!

「えっと、ここがどこか聞いても?」

「ここは私の所属する組織が借りている場所よ」

「組織?」

「その説明は面倒だから省くわ。……ただ、ここで何が起こっても一般人はおろか警察すら手出しできないってことは覚えておいた方がいいでしょうね」

 警察すらって、そんな馬鹿げた事あるものかと言いたいところだけど……、部屋を練り歩く翼の生えた動物やプテラノドンを見ればあながち嘘とも思えないんだよなぁ。猪や熊相手に出動する警察も流石に恐竜相手ではそんなのいるわけないと取り合ってもくれないはずだ。

 とりあえずここは大人しくして生きて帰るのが目標だな。藍色が心配するし……、ん?

「今何時!?」

「まだ昼の二時過ぎよ」

「そうか……、じゃああれから二時間ぐらいしか経ってないな」

 ならまだ連絡しなくても大丈夫か。藍色は俺が天使ちゃんを探して町中を走り回ってると思ってるはず。元々手掛かりなんて無いに等しいし多少は時間がかかるのも織り込み済みだ。

「何か用事でも?」

「あまり遅くなると藍色が心配するからな。あ、そうだ。もし長くなりそうなら先に連絡していいか?」

「連絡は許可できない。長くなるかは……、あなた次第ね」

 だよなぁ。しかし俺としてはやはり藍色に一言遅くなるかもと連絡を入れたいところだ……。まあ、あまり変なこと言ってると冗談抜きで帰れなくなりそうだしあまり文句は言うまい。

 要は話をさっさと済ませればいいのだ。公園の一件について思い返す。

「……九常さんは、というか九常さんの組織? はこの前にあった博物館での盗難事件を追っているでい合ってる? それで俺がその犯人だと思ってる、でいいかな?」

「公園での話は覚えてるみたいで何より。概ねその理解で間違いない」

「だったらまずはっきりと言わせてもらうけれど、俺はその事件については何も知らない。強いて言えばニュースでやってるのを見たなってぐらいの印象しかないな」

 とりあえずまずは正直に話をしてみよう。嘘をついてまた潰されるなんて御免だ。ちらり、と部屋を闊歩する翼の生えた象を見ると、よくあれに潰されて無事で済んでるな、なんて感想が浮かんでしまう。

「それについて、私には信じる理由が無い。少なくともあなたは武王の遺髪を持っていた。そうでしょう?」

 九常さんがそう言うと一匹の猫が俺の傍に寄って来た。それは見覚えのある黒猫だ。公園でお守り、あれがどうも武王の遺髪らしいが、を拾った後に襲い掛かって来たのと同じ。

「……九常さんの飼い猫ですか?」

「そのようなものね」

 なるほど、例の物を無くした後に猫が拾っていったかもと言ったのを即座に否定されるわけだ。

「その猫には遺髪の匂いを辿って探させていたの。そしてその先にいたのがあなた、更にそれと似た物を拾ったなどと言ったでしょ」

「因みに拾ったなら盗んだわけでは無いので犯人じゃないって可能性は?」

「もちろんあるわね。でもそれなら普通に出してくれればいいと思わない?」

「本当に無くしただけなんだけどなぁ……」

 ううむ、困った。説得のしようが無いかもしれない。物が消えてしまったのが割と致命的なのでは? 俺が何も拾ってないとしらを切っていれば誤魔化せたかもしれないが、今の俺は言動が奇妙な容疑者に過ぎない。

 最悪逃げ出す方法でも考えるべきかと悩んでいると、不意に九常さんが大きく溜息をついた。

「……まあ、実の所もう疑いは晴れてるわ」

「え?」

「寝てる間にあなたがそれを持っていないのは確認した。あの公園の周囲にも何も無かった。そしてその子が」

 九常さんが猫を指差す。俺の傍から離れようとしない黒猫を。

「まだあなたが武王の遺髪を持っていると言っている」

「……は?」

 いや持ってないって。ポケット散々探したし。っていうか俺が寝てる間に持ってないのを確認したって言わなかった?

「緋色君、あなたには私たちの組織に入ってもらわないといけないかもしれないわ」

 ……えー?

「……あの、全然話についてけないんだけど」

「私だってこんな話になると思ってないわよ!」

 ぎゃ、逆切れ!?

「何であんな大事な物盗まれた間抜け共の尻拭いに加えてこんなことにならなきゃいけないの!? そもそも一般公開なんかしなきゃよかったのよ! そしたらこんな田舎まで来なくて良かったのに!」

 ……おおぅ。なんか、色々溜まってんなぁ。

「そりゃあ私は優秀だけど!? 何で私が何でもかんでもやらないといけないわけ!? 馬鹿の尻拭いなんて暇な奴らにやらせればいいでしょぉが!!!」

「く、九常さ~ん?」

「お前もお前だあっ!」

 うわっ、こっちに飛び火した。

「いきなり喧嘩売って来やがって! ぶっ殺すぞ!」

 象に潰された身としては全く冗談に聞こえねぇ。あ、本気か。

「あの~、お互い話を早く終わらせたいという点ではその、目的が一致していると言うか……。早いところ話を終わらせて今日はもう休みましょう、ね?」

 どうどうと暴れ馬でも宥める気分でどうにか気を鎮める。放っておくと周りの動物たちも暴れ出すんじゃないかと気が気じゃない。幸いにもこちらの言葉は届いているようで九常さんも少しずつ落ち着きを取り戻し始めたようだ。

 怒りのあまりに息を荒くしながら眉間に青筋を浮かべる姿を見ていると……、ううむ、不思議と怒っている姿が非常に似合っていると思ってしまうな。

「なんか失礼な事考えてない?」

「いや、流石にそれは考え過ぎだって」

 こ、怖~、もう余計な事は考えるまい。

「ええっと、それで、なんか組織がどうのこうのって」

「……一から説明するわ」

 どこからか人より少し大きいぐらいの熊が椅子を持ってやってきた。そして九常さんはそれに当然のように座り込む。……何と言うか、明らかに不自然な光景なんだけど段々慣れて来たよ。

「まず、武王って知ってる?」

「……確か、日本……、いや中国の古い王様だっけ?」

「歴史の話をするなら古い時代の中国の王様にそんなのがいたらしいけどね。ここで言いたいのはそっちじゃ無いわ」

「はぁ」

「古代日本の統治者、とされている人物に武王という人がいるの」

「卑弥呼じゃねーの?」

「うちの組織の話じゃそれも武王が暗躍してるとかなんとか……、パンフレット見る?」

 九常さんがそう言った直後、犬が一冊のパンフレットを咥えて俺の元へ。お礼と共に一撫でして去って行くのを見送る。

 で、パンフレットの中身は、と。

「……これはまた、その」

「胡散臭いでしょ」

 言っていいのかよそれ。

 えー、ごほん。

『君は武王を知っているか? かの者は縄文時代より日本を統治し歴史の影に隠れながらもこの国をより強くより豊かに変貌させて来た立役者である。卑弥呼や聖徳太子、藤原道長や足利尊氏など様々な歴史上の偉人の影にはかの武王の影があり今この地に我々がいるのもかの武王のおかげなのである―――』

 武王礼賛の言葉がびっしりと端から端まで埋め尽くすように書かれているわけだけど……、何と言うか、怪しい宗教ですかこれは?

「えっと、九常さんもこの武王の、その、虜みたいな?」

「それ書いた人と一緒にしないで」

 しっかりはっきり嫌そうな表情と共にそう返された。ちょっとだけ安心。このパンフレットを作ったのが九常さんだとしたら武王教に入るまでここから出られなくなっていただろうから。

「正直、私は武王なんて大して信じて無いわ。だってそこに書いてあるのが事実なら千年以上生きてるわけでしょ? あり得ないって」

 まあそりゃそうだ。だからこそ猶更思う、九常さんはなぜこの組織に?

 その問いの答えは簡単だった。

「……武王は信じてない。けど、不思議な力を持つ物、武王の御物は、確かに存在する」

「武王の御物?」

 ……またわからん言葉が。

 そう思っていると九常さんはトレードマークとも呼べる髪に結んだリボンを一つ解いた。

「このリボン、ただのリボンに見えるでしょ」

「まあ良いデザインだなとは思うかな」

 九常さんは一瞬だが柔らかな微笑みを見せて、それから咳ばらいを一つ。真面目な顔に戻り、

「よく見てて」

 そう言った。直後。

「うわっ!」

 リボンの先から蛇が生まれ出た。思わず後ろに飛び退き、舌を伸ばし唸り声を上げる蛇を見つめる。

「今ここにいる生き物たちは全部この蛇と同じで、私のリボンから出て来た生き物なの」

「……あの翼のある象も?」

「そうね」

 ……わけがわからない。夢と疑いたく光景だが生憎皮膚をつねるときちんと痛い。

「……えっと、武王の御物はそんな風に生き物を生み出す事が出来る、ってこと?」

「それは違う」

 あ、違う。そう……。

「私が使うリボンがそういう力を持ってるだけ。他にも心を読んだり相手の動きを封じたり、物によってそれぞれ扱える力は違うの」

「ゲーム的に言うと武王の御物は使うと特殊な効果が発揮されるアイテムってこと?」

「概ねその理解でいいわ」

 いいんだ。

 正直、そんなゲームみたいなこと有り得ねえと突っぱねたいけど、こうも目の前で見せられては否定のしようも無い。認めよう、この世には俺の想像など及びもしない物が確かに存在する、と。

「オッケー、武王、というか武王の御物っていう不思議な物があるのは分かった。で、記憶違いじゃ無かったら九常さんは俺がその、なんか組織に入れみたいな……、ね? 言ってたよね?」

「私が所属する尊王会という組織の説明は面倒な部分を省いて言うけど、武王の御物を収集管理するのがを目的としている面があるの。あなたが拾った武王の遺髪は本来ならそれを収蔵していた博物館が管理すべきだったんだけど……、間抜けにも泥棒に盗られたから私たちが独自に追ってたってわけ」

「警察とかに任せられないの?」

「一般の警察は武王の御物について何も知らないはずよ。一部は私たちみたいなのに便宜を図るために知ってるみたいだけど」

「はぇー」

 話の規模が大きくなりすぎてついていけねー。こちとら一般の警察どころか一般の男子高校生なんですけど。

「で、あなたがうちの組織にって話なんだけど」

「あ、そうだそうだ。どういう事なんだ?」

 すぐ話が脱線してしまうな。まあ正直知らん話ばっかだし説明が長くなるのも多少は仕方ないって。

「問題なのはあなたが拾った武王の遺髪よ」

「拾ったつーか失くしちゃったけど」

「多分だけど、失くしてないの」

 頭の中を疑問符が占める。まるで禅問答だ。

「武王の御物は所有者を選ぶ特性がある」

「所有者を選ぶ?」

「例えば私のリボンだけど」

 リボンの一つを手渡される。

「そこから生き物を出せる?」

「え?」

 ……いや、無理だろ。確かにさっき九常さんはここから生き物を出していたけれど渡された所で同じことが出来る気は全くしない。触ってみても何か特別な感じがするわけでも無いし、猫よ出ろと念じたところで何か反応があるわけでも無い。

「正直何かを起こせる気もしないな」

「……武王の御物はこんな風に物によってその能力に合った人間を選ぶの。例えばさっき心を読む御物があるって言ったけど、それを扱えるのは人の心の内を知りたいと強く願っている人だけだったわ」

「……そういうもんなのか」

 リボンを返却。

 武王の御物とやらは中々に厄介な性質をお持ちなようで。ゲームだったら面倒で炎上待ったなし……。いや、装備アイテムに制限があるのは普通の事か。

「そして御物の中には私のリボンみたいに身に付けるタイプの物もあれば巨大な砲のように建物などに設置するような物もある」

「大砲? そんなものまであるのか」

「他にも骨なんてのもあるわ」

「骨って、どう使うんだよ。お守りにでもするか?」

「肉を食い破って本来その骨があるべき位置に収まったわ」

 ……え?

「まるで自立した意志でもあるかのように眠っている適合者……、要は御物を使いこなせる人間ね、適合者の耳の辺りの肉を抉って中に入って行ったのよ。当然、その人は即座に救急車で病院行き、幸い命に別状は無かったけどね」

「……ホラーじゃん」

 骨が耳元の肉を抉って人の身体の中に入って行くとか想像するだに恐ろしい。チープなホラー映画より現実の方がよっぼどホラーな事起こってんじゃん。

「じゃあ、改めて。武王の遺髪はどこに行ったと思う?」

 え?

「どこって言われても……」

 九常さんはこう言いたいのだろう。これまでに出した情報を考慮すれば答えが分かる、と。そしてそれが意味するところは……。

 そうでなければいいな、と思う答えだけが浮かび上がる。

「まさか俺の身体の中……?」

 猫はまだ俺が武王の遺髪を持っていると判断している。しかし俺のポケットなどにはそれらしき物は無い。そして武王の御物とやらは人の肉を抉って中に入ることもある。

 これらを合わせると……、それぐらいしか思いつかない。

「おそらくね」

「と、取り出したりとか出来ない?」

「どこにあるかもわからないしわかっても簡単じゃないと思うけど」

「病院で手術とか?」

「普通の病院じゃ取り合っても貰えないでしょうけどね」

 そりゃそうだ。第一なんて言えばいいんだ? なんか髪の毛が身体の中に入ったんです、なんて言ったら質の悪い悪戯としか思われねーって。

「とにかく! 武王の御物に選ばれた可能性がある以上あなたの事は組織で保護監視する必要があるって事。だからあなたにはうちの組織に入ってもらう事になるかもって言ってるわけ」

「ああ、そう……」

 そういやそんな話だった。

 なんだっけか、尊王会? 正直あまり食指が動かないというか、はっきり言えば面倒だ。武王の御物がどうとか特殊な力がどうとか言われても、多少は子供の頃から今も持ち続けている非日常への憧れをくすぐるが、それはそれとして俺の生活にとって重要な事と思えない。

 藍色の笑顔を守る、それが最も優先されることだろ?

「悪いけど俺はパスで」

「は?」

「正直その武王の御物で何が出来るかも知らないし出来たところで藍色を笑顔にすることなんて出来そうも無いし。そんなことに時間使うぐらいなら友達から面白い話を聞いて集めたりちょっと遠出しておしゃれなカフェにでも連れて行った方が絶対喜ぶだろ?」

「……藍色?」

「俺の妹だよ」

「私、妹さんの話した?」

 どうにも怒っている様子だ。全然俺の話に理解を示そうとしてくれないな。

「要するにそういう変な力に頼るよりもきちんと向き合って話をしたり一緒に遊ぶ方がずっと大事ってことだよ」

「誰がコミュニケーションの話した?」

 うーむ、話が上手く伝わってないな。

「そういう話じゃなくて。その尊王会? に使う時間が勿体無いってことだよ。その時間で藍色とお喋りでもした方がずっと有意義だろ? だから俺はそれに入るのはパスするって話だよ」

「ちっ、くそボケが」

 はっきり聞こえた舌打ちと罵倒。

 あのー、九常さん? なんか学校では落ち着いた雰囲気を出していたと思うんだけど、ここでもそんな感じに受け答えしてくれません?

 九常さんは人を睨むだけで殺せそうなほど鋭い目付きでこっちを見ている。

 あ、無理そうですかそうですか。

「一旦その組織云々は置いといて、話変えて良いですか?」

 一応許可を取ってみた。当たり前のように舌打ちをされたので肯定と受け取る。

「結局九常さんが追ってるのは博物館から物を盗んだ犯人ってことで」

「そうね」

「俺が動物殺しがどうのって言ったの覚えてる?」

「……ああ、そういえば気を失う前に言ってた」

「たぶんその動物殺しが犯人だと思う」

 九常さんがわかりやすく目を見開いて驚く。そのままこっちに一歩二歩三歩。

「詳しく話せ」

 目、バキバキに見開いて睨んで来るの怖いんですけど。

「話すつもりだからわざわざこんなこと言ったわけで……。俺がいたあの公園って昨日の夜に猫が殺されてたんだよ。それで、まあ、ちょっと色々あってその時の様子を見てた人がいてさ。ただその子が子供みたいな感じで、しかも、こう、ちょっとあれな感じの子だから警察に言っても信用されないだろうと思って誰にも言ってないんだけど」

「歯切れ悪いわね」

「仕方ないだろ。とにかく、その目撃情報だと見た目は分かんないけど、明らかに猫を殺した奴がいたっぽくて。それでそいつが植え込みで何かしてたらしいんだわ」

「……その植え込みに遺髪があったって事?」

「そういうこと。地面に埋められてた」

「埋められてた? 拾ったって言ってなかった?」

「拾ったみたいなもんとは言った」

 みたび、舌打ち。もう慣れて来たな、慣れたくはなかったな。

 しかしながら話を聞いてから九常さんは色々と思案顔。少なくともこの話に全く価値が無いわけでは無さそうだ。

「お役に立ったかな?」

「そうね、無能な博物館の職員共よりよっぽど」

 ……職員たちも可哀想に。しかし連中が盗まれたせいでこうして俺も巻き込まれていると考えると寧ろ九常さんに同意できる部分が多々あると言えるのでは? 動物殺しが犯人だとすればそこで捕まえてくれていれば藍色が沈んだ様子を見せる事も無かったのでは?

 無能職員どもめ、ちゃんとやれ!

「他に言ってないこと無いでしょうね?」

「ん~、九常さんの興味を惹きそうな事は無いと思う」

「そう、なら出ましょうか」

「お、話は終わりで?」

 やった、帰れる!

「ええ。ただしあなたに関してはしばらく監視が必要みたいだけど」

 一気に喜びが萎んで行く。

「監視って……、何でまた」

「武王の御物を持っている人間を本気で野放しに出来るとでも?」

 言いながら九常さんの周囲に複数の影が生まれて行く。言いたいことは分かる、お前はこんな恐ろしい力を持っている。だから放置はあり得ないと。

 しかしなぁ。

「そう言われても俺にはその実感が何一つ無いんだけど」

 心が読めたり目や耳が良くなったり力が強くなったり、何かそういうものがあれば監視が入るのも納得だがそれらしい感覚を何も感じない。正直な所未だに俺の中に武王の遺髪があるという説を疑ってる。

「……まだ気付いてないの?」

「何が?」

「身体に起こってる異変」

「え?」

 なんか変化があるのか?

「あ、顔とか?」

 遺髪ってぐらいだし普通に髪が伸びてて印象が変わってるとかな!

「元の顔覚えてないから変わってても分からないけど」

「酷くない?」

 しかしまあ違うってことだ。後は……、ん~?

「分からん、どんな変化が?」

「……普通の人間が象に潰されるとどうなると思う?」

「死ぬんじゃない? でもあれは翼があったから手加減してたんだろ?」

「まあね。でも骨ぐらいは圧し折るつもりだった」

「え?」

 冗談と流すことも出来るが……。たぶん九常さんならやるだろうな。ここで話して受けた印象なら間違いなくやる。つ、つまりこれは。

「痛みも感じないみたいだしへし折れた骨が既に治ってる。おそらく治癒系の力でしょうね。遺髪になぜそんな力があるのかは知った事じゃないけど便利な力で良かったじゃない」

「お、俺にそんな力が……」

 正直、結構嬉しいかも。変な生き物出したりとか炎を操ったりとかだと日常生活で使い道無いけど、これなら純粋に怪我してもすぐ治るよってだけだから使いやすい。何かの拍子に藍色の身代わりになってもへっちゃらってわけだ。

「今は忙しいからあれだけど、時間が出来たらどのぐらいまで怪我しても大丈夫なのかとか、再生にどのぐらいかかるのかとか調べるから」

 九常さんの冗談とは思えないお声が掛かる。それってどう考えても安全安心な調査ではなく人体実験の類に聞こえるんだけど。

「……俺、別に尊王会とか入らないし、放っといていただければ」

「大丈夫、なるべく痛いようにやってあげるから」

「それが嫌なんだけど……」

 ああ、なぜか将来に嫌な予定が一つ立ってしまった。逃げ出すのは止めておくのが賢明だろう。九常さん一人でもどうにもならないのに組織を敵になんて回したら……。

 ま、藍色の為にも平穏を守る。その為の犠牲と割り切るほかないな。




 話を終えた俺はコンクリ打ちっぱなしの部屋を出てこれまた殺風景なコンクリの打ちっぱなしの階段を上って行く。薄暗い蛍光灯の灯りの下、後ろには九常さんがもうずっと怒っているのか睨み付けるような目で付いて来ていた。

「そういやここってどこなんだ? めっちゃ遠くに来てたりしないよな?」

「あなたも知ってる場所よ」

「こんな殺風景な場所来た記憶無いんだけど……」

 そう思いながら階段を上り続け、上り続け、上り……。

「ここ何段ぐらいあるの?」

「ほんの百段ぐらいよ」

 ……地下何階だよ。

 段々と歩くのも飽きて足早になって来た頃、ようやく地上へ戻って来たらしく光が見える。さあ外の光を浴びるぞ!

 光の向こうで俺を出迎えてくれたのは――。

「……見覚えのある校舎だな」

「あなたの通う学校だからね」

 ここは俺や九常さんが通う高校の校舎裏、そこにある倉庫のような小屋から俺達は出て来たところだ。

「ここって倉庫じゃなかったのか」

「そうね。普段は施錠されてるし生徒も先生もわざわざこんなところ来ないでしょ?」

 まあ確かに。そもそも校舎裏自体来たのが初めてだ。そう思って周りを見渡せばどうもこの場所、校舎裏の中でも更にフェンスで隔離されている。これじゃ告白や果し合いでもここまでは来ないな。

「しかし何でただの高校にこんな場所が?」

「そんなの先生の中にも尊王会の人間がいるからに決まってるでしょ」

「あぁ、そう……」

 衝撃! 俺達が普通に接していた先生の中になんか、こう……、秘密結社の一員的な人がいる!

 まあ実害無いしいいか。

「じゃあ帰るわ。そういや自転車は」

「駐輪場に停めてあるわ」

「そりゃどうも。それじゃっ!」

 ま、ここはさっさと帰るとしよう。藍色にお土産を買って帰っても良いが……、色々あってちょっと疲れた。頭の中も整理したいし。

 しかし家にいるなら別の事をしたいな。藍色と一緒にゲームをするのも良い。いや、この前に真柴に聞いた面白い漫画について話をするのも。

 無限に夢広がる想像と共に我が愛車の下へ。そして跨り、漕ぎ出そうとしたのだが……。

 視線を感じる。

「九常さん、あなたの自転車はここに無いようですが」

 俺の自転車は駐輪場の奥の方、部活の練習に来た連中のそれから離れたところにぽつんと置いてある。つまりここに九常さんのそれは無いわけでならば俺をじっと見る必要も無いよなぁ。

「私自転車持ってないもの」

 俺の疑問に対して当然のようにそんな返答。

「ではなぜここへ?」

「あなたの家に今から行くから」

 家ぇ? 来るのぉ?

「なぜ?」

「監視対象の家も知らないなんてあり得ないでしょ?」

 ……お、俺の心休まるオアシスに踏み込もうと言うのか。

「……あ、先生!」

 声を上げ、九常さんが振り向いたその瞬間。俺の足は力強くペダルを漕ぎ始める。

「ぬおおおおおぉっ!」

 ここは全力で逃げの一手だ。どうせ九常さんがその気になればすぐに家の場所なんてばれるだろう、明日も学校で会うしな。

 でももう疲れた! 今日は休ませろ!

 俺は振り返りもせずただ正面を見据えペダルを漕いだ。天が味方しているのか家までの道に通行人も車も一切通ることは無く、俺の人生の中で最も早くこの距離を自転車で走り切ったと言っても過言では無い。

 勝った!

 その確信と共に入り口の脇に自転車を停める。ようやく振り向いたその先には誰もいない。無人の道を目にして思わず笑みが零れる。

 く、くく、くふふ、はーっはっは!

 藍色やご近所さんの迷惑を考えなければ高笑いを存分に上げたい気分だ! 俺はかの邪知暴虐たる女に勝利したのだ。所詮これは一時の勝利に過ぎぬのかもしれないが、今はこの栄光を胸に凱旋するとしよう。

「ただいまー!」

 扉を開き、胸と声を張る。そうすれば返事の代わりに二階からどたどたと音が聞こえて来るじゃないか。

「お兄ちゃん、どうだった? 天使ちゃん見つかったの?」

「藍色、俺を誰だと思ってる」

 さあ全人類刮目せよ! この天使ちゃんよりも天使のような笑みを浮かべる我が妹、藍色の姿を!

 俺はポケットのスマホを取り出し天使ちゃんの写真を……。

「ん?」

「どしたの?」

「あ、いや……」

 冷や汗が垂れる。お、おかしい。スマホが無いぞ。常にポケットに入れているはずの……。そういえば帰り道、ずっとポケットが軽かった気がする。

 いつからスマホは無かった?

 ピンポーン。

 急に鳴り響いた来客を知らせるチャイム。この家の戸は磨りガラス、薄っすら見える人影は藍色とそう変わらない背丈で、まるでポニーテールのように見える特徴的なリボンを結んでいるようには見えないか?

「お客さんだ」

「ああ、いや、お兄ちゃんが出るよ」

 呼吸を整える。目を閉じ、この向こうにいる人物が想像通りでない事を祈る。大丈夫、自分を信じろ、或いは信じるな。

 ゆっくりと戸に手をかけて、俺の目と一緒に少しずつ開いた。

「ひ、い、ろ、くぅ~ん。こんにちはぁ」

 先ほど手にしたはずの栄光は儚く消えて行く。扉を開けた先に佇んでいたのは他でもない、人目が無ければ今にもグーで殴って来そうな猛獣、もとい九常さんその人だった。

 逃げ切り失敗、ゲームオーバーである。

「お兄ちゃん、あの人誰?」

「ああ、うん……。知り合い」

「さっきまで一緒にいたのにそんな言い方寂しいなぁ」

 絶対思ってないだろ。怒りに震えているようにしか見えませんが?

「あの子が妹さん? 可愛いね」

 九常さんが藍色に視線を送ると藍色は自然と俺を盾にするように背中に隠れた。

「あー、人見知りな子でね」

 藍色は少しだけ顔を出して九常さんをおっかなびっくり覗いている。うーむ、本来ならそんな風にするのは失礼だと言いたいところだけど、九常さんに関しては恐ろしいのに同意なので何も言えない。藍色がいなかったら全力でこの場から逃げ出していたところだ。

 さて、九常さんはそんな藍色をしばらく興味深げに見つめていたが、やがて飽きたのだろう。ふぅ、と息を吐いてポケットから。

「あー! 俺のスマホ!」

 俺のスマホを取り出したのだ。

「緋色君、落として行ったから届けに来たの」

「……そりゃどうも」

 落とした、ねぇ。いけしゃあしゃあとぬかしおる。絶対俺が気絶してる間に盗ったろ。

 とりあえず藍色を一撫でしてからスマホを受け取りに。ついでに小声で一言。

「……どうやってこの場所を?」

「どれだけ逃げても空から丸見え」

 ……要するに空を飛べる生き物も出せるって事? プテラノドンとかいたけどさぁ、そんなお手軽なのかよ。

「私を出し抜けるなんて思わない事ね」

 どうやら九常さんから逃げ出すのは不可能なようだ。世の中諦めも肝心。今後は上手い付き合い方を考えて行く事にしよう。




 九常さんはスマホを渡すとすんなりと帰って行った。家の場所を確かめるついでに釘を刺すのが目的だったのだろう。この先あの尊王会とやらと関わって行かなければならないのだろうか?

 ……可能な限り距離を取って行きたいものだ。

「お兄ちゃん、天使ちゃんは?」

 藍色以上に大切な事は他に無い。尊王会だの武王の……、何だっけ? あ、御物御物、武王の御物なんぞに関わっている時間なんて無いんだよ!

 よし、とりあえず九常さんやら変な組織の事は一旦忘れよう。まずは藍色の心配事を払拭すべきだ。

「話の途中だったな。ほら、天使ちゃんの写真撮って来たぞ」

 天使ちゃんの写真を表示しスマホを手渡す。

「おぉ~、元気そうで良かった」

「元気元気。自転車とほぼ並走してたぞ」

「足速いねぇ~」

 実際あの身体能力は凄まじいの一言よ。とはいえ現実に九常さんを筆頭に奇妙な力を持った人や物があるみたいだし、普通の人間の範疇ならまだ可愛いものか。

 ……そういえば変な別れ方をしてしまったがあの後何も無かっただろうな? まあもう会うことも無いかもしれないしあまり気にしなくとも。

「天使ちゃんってどの辺りに住んでるの?」

「え?」

「聞いてないの?」

「ああ、そういや聞いてないな」

「じゃあ今度会ったら聞いておいてね!」

 ……明日の放課後はちょっと自転車で走り回るかなぁ。

 その後は藍色と平凡な一日を過ごし早々に寝ることにした。今日は色々あって疲れた。考えるべきことはたくさんあるのだろうけど……、明日の俺に期待しよう。

 布団を被り目を閉じる。おやすみなさい。


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