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ヒロイック・アバンチュール  作者: 藤乃病


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3/12

3.

 天使ちゃんの話をしよう。

 天使ちゃんとの出会いは桜も散ってゴールデンウィーク目前となり浮かれポンチが騒ぎ立てる頃の事。より詳しく言えばほんの数日前ではあるが、その出会いは衝撃に満ちていた。あと僅かで物理的な衝撃も追加されるところだったのは恐ろしい話だな。

 出会った時の天使ちゃんの趣味は塀を飛び越えて走り回ることだ。これが実に恐ろしい話で、危うく自転車に乗っていた俺と衝突するところだったわけだが。

 幸いにも彼女は聞き分けが良く、そんなことをしてはいけないと言い聞かせればあっさりと言う事を聞いてくれたのだから別れた後も然程悪い印象は持っていない。

 そして次に出会ったのは昨日の事。中々家に帰って来ない藍色を心配し家を飛び出た俺は、迷子となった天使ちゃんとそれを助けようとしている藍色に遭遇したのだ。叶うならばここで藍色の素晴らしさを原稿用紙十枚分のスペースを取って語りたいものだが、うむ、俺の貧弱な語彙では半分も埋められずに挫折することだろう。情けない限りだ。

 まあとにかく、だ。迷子の迷子の天使ちゃんを俺達はどうにか目的地まで送り届けて別れた。

 それが昨日の事であったとさ。




 朝食はシンプルに鮭の塩焼きに味噌汁。どちらも大して手間がかからないので朝の忙しい時間にはぴったりの料理となっている。

 テレビには天気予報が流れていてしばらくは晴れ模様。洗濯物が乾きそうで何よりだ。

「お兄ちゃん、ご飯まだ~?」

 今日は早起きの藍色は顔を洗い髪を整え制服にも着替え済みと既に準備万端だ。後は食事を終えればいつでも学校に行けるだろう。

 学校に行けるだろう?

「藍色、今日は学校休みだろ」

「え?」

 本日は4月29日、祝日である。

「昭和の日かぁ」

「昨日友達とかに言われなかったのか?」

「言われたけど帰りに天使ちゃんに会って……、忘れてた」

 全く、我が妹はまだまだそそっかしいやつだ。これでは中々目が離せないなぁ。はっはっは。

「宿題がいっぱいあるなぁって思ってたんだよ?」

「昨日で終わらせたのか?」

「うん、頑張った」

「偉いじゃないか。面倒な事を先に終わらせられるのは立派な事だぞ」

「むふー!」

「じゃあそんな立派な藍色には大きい方の鮭をくれてやろう」

「私そんなに食べられないよ」

「あ、そう?」

 妹を喜ばせるのは中々難しい物である。俺が中学の頃はこそこそと一番でかい鮭を自分の皿に載せていたものだがなぁ。まあそれは今でも変わらないか。

 席について行儀よく待っている藍色の元へ今日の朝食を届け二人で仲良く。

「「いただきまーす」」

 と。

 鮭に味噌汁と和食の王道な食事の最中に聞こえてくるのは地方のニュースだ。

「こちらの美術館では収蔵されていた武王の御物と呼ばれる宝が何者かによって盗まれたと発表がありました。盗まれたのはおよそ一週間前、盗まれた物は合計で三点で、武王が身に付けていたとされる王冠と剣、それに武王本人のものとされている遺髪です。現在警察がその行方を追っており―――」

「美術館の物が盗られたんだって」

「結構近くだな」

 なんだっけな、小学校の時かなんかに学校の行事で行ったような気がする。正直内容はさっぱり覚えて無いが……。まあでも当時も武王のなんとかは結構置いてあったような気がするな。

「美術館の物って高く売れるのかな?」

「どうだろうな。価値は高そうだけど写真も出てたし盗品って丸わかりだろ? 誰も買わないんじゃないか?」

「それもそっか。持ってたら捕まっちゃうね」

 こんだけ大々的に報道されてるんだ、持っていたらすぐにばれて警察にお縄だろう。そこそこ近くだし犯人がこっちに来ていない事でも祈っておくか。

 そんな感じで流れるニュースに適当な茶々を入れていたのだが。その中に一つ、気になるニュースがあった。

「連続殺獣事件の続報です」

「また出たのか?」

 最近この近辺を賑わせている動物殺し。烏や狸に野良猫など様々な動物がその被害に遭っており、道端や川縁に無残な姿を晒す事になってしまった非常に痛ましい事件だ。

 個人的な事を言わせてもらえれば動物がどうなろうと知った事ではないが、それを聞いて藍色が心を痛めているので非常に忌々しい事件である。また、そんな人間がこの近辺にいると思うと藍色が何か被害に遭いはしないかと気が気ではない。

 今回の続報が犯人が捕まったという朗報であれば良かったのだが、残念ながら現実はそこまで甘くは無いようだ。

「えー、こちらは今回猫の死骸が見つかった公園です。こちらのブランコの傍に横たわっていて、体には刃物で切られた跡があったとのことです。近隣の方々によると休日などは子供がよく遊んでいるそうで、親御さんは不安で外で遊ばせることも出来ないと話しているようです」

 今度は公園か。初めは目立たないような場所で見つかっていたのに段々と人が集まりそうな場所にまで出て来たな。全く、気が滅入る話だ。

「お兄ちゃん」

 不意に藍色が声を上げた。その視線はテレビに釘付けになっている。

「どうした?」

「あの公園、昨日行ったところと似てない?」

 昨日行ったところ?

 中継はまだ続いている。背景に映る遊具、ブランコ、砂場、土管。ああ、確かに見たなぁ。相変わらず遊具が少なくて殺風景。

 藍色は一秒も目を離すことなくテレビを見つめている。が、すぐに中継は終わり動物殺しの話も終わってしまった。余程気になるのかそれを凄く残念そうにしていたので少し行儀は悪いがスマホを取り出しちゃちゃちゃっと検索。

「……昨日の夜に発見されたみたいだな。八時頃に警察に連絡があったって」

「八時……」

「どうした?」

「天使ちゃん、大丈夫かな……」

 ……まあ、それしかないよなぁ。

 昨日、俺達が迷子の天使ちゃんを連れて行ったのはあの公園だ。そして別れたのが夕方六時ごろ。警察に猫の死体の事で連絡があったのが八時。二時間というのは長いような短いような中途半端な時間だ。

 可能性として天使ちゃんが動物殺しの犯人と鉢合わせになる事は十分にあり得る。

「お兄ちゃん、今日、公園に行ってみない?」

「……今中継で見ただろ? あの近くに動物殺しの犯人がいるかもしれない」

「でも……」

 藍色は俺と違って優しい。見ず知らずの人間に手を差し伸べられるぐらいに。ほんの僅かな縁しかない相手を本気で心配できるほどに。

 ならば俺がすべきことはただ一つだ。俺は藍色の兄だ、いつまでも悲痛な面持ちで嘆く様を放っておけるはずは無い。天に手を掲げるヒーローのフィギュアを見つめ、心を決めた。

「じゃあお兄ちゃんがちょっと行って来よう。ついでに自転車で付近を適当に回って天使ちゃんがいないか探してやる」

「本当?」

「当たり前だ。藍色がそんなに心配そうにしているのに放っておけないからな」

「ん、ありがとう」

 さて、こう言ったからには是非とも天使ちゃんを発見しないとな。藍色に嘘の報告をするのは気が引ける。とはいえ見つからなかった場合も考えて何か上手い言い訳を考えながら探すとしよう。

 そんなことを思っていると藍色がじーっとこっちを見つめていた。

「私も一緒に行ったら駄目?」

「駄目。危ないでしょ? 自転車一台しか無いし」

「でもお兄ちゃん見つからなくても見つかったって嘘つきそう……」

 ……鋭いじゃあないか。

「ちゃんと見つからなかったら見つからなかったって言うさ……。どこが家か知ってるわけでも無いんだしさぁ、見つからなくても仕方ないだろ?」

「それもそうだけどね」

「ま、それでも見つけるのが俺って所を見せてやるって」

 さーて、これで嘘は付けなくなったし、見つからなかったら兄の威厳は消えて無くなるわけだ。

 頼むから天使ちゃんよ、見つかってくれ!




 今の俺はさながら姫の願いを叶える為に奔走する騎士だ。現代において馬は自転車となり野山ではなく舗装された道をひた走る。……いや、騎士の時代も道ぐらいはあったのか?

 それはともかく重要なのはいつの時代でも目的を果たすことだ。騎士は姫の我が儘を叶えるのだろうが俺は天使ちゃんを見つけ出す。出来る事なら午前中に、最悪でも今日が終わる前には。

「……家に引きこもってたら終わりだなこれ」

 昨日出歩いていた人間が今日も出歩いているとは限らない。寧ろ俺や藍色は何も無ければ積極的に家の中でのんびりしているような人間だ。現代では家の中で時間を潰すのなど大して難しくも無い。テレビ、ゲーム、漫画、スマホ、筋トレ、等々など。

 天使ちゃんも昨日は疲れたので今日はお休み、とかやってるかも。……やってるか? 相当な体力お化けというか、少し言い方は悪いが知力に振るべきステータスを体力に振ってるような感じに見えたが。

 高速で移り変わっていく景色、道中歩いている人の姿をきっちり確認しながら進み続ける。空は青く澄み渡り絶好の外出日和。とはいえ田舎の道を歩くのはじじばばや遠出の為に駅へ向かう若者ぐらいか。

 そしてその中に目当ての人物はいないようだ。

「結構目立つ格好してたから見過ごす心配が無いのは良い事だ」

 見つからないながらも適当にポジティブな事を言っておく。

 皆さんご存じの通り思考はネガティブに行き過ぎると大抵碌な事にならない。辛いだの死にたいだの言っていた所で何の解決にも繋がらないように、成功の為にはポジティブになる事、ポジティヴァ―になる必要があるのだ。

 ……まあ単純に陽気な気分でいた方がなんとなく身体が軽いような気がするだけとも言う。空元気でも無いよりはましというね……。

「っと、公園に到着しちまうな!」

 漕ぐ足を緩め見事なカーブを描き公園の中へ。そのまま見事な体捌きで自転車から降りると流れるようにその場に停車しスタンドを下ろす。

 完璧だ。

「誰もいない公園に、今、一人の男が降り立った……」

 そう、誰もいない公園に。

「いねぇな」

 目当ての人物はおろか、人っ子一人いない。少し考えをまとめたいので一旦ブランコの方に。

 さて、改めて来てみてわかったがやはりここが例の猫の死体発見場所だ。地面を掃除した跡があると言うのも一つの理由だが、何より。

「血、だよなぁ。たぶん」

 ブランコの支柱、膝ぐらいの高さの位置に赤黒い跡が。刃物で切られていたそうだし周囲にはかなり血が飛び散ったのだろう。その拭き残しというわけだ。

「全く、嫌になるな」

 この町は平和であってもらわねばならない。藍色には平穏無事に過ごしてもらいたいからだ。なぜあんな良い子が心を痛めるような事が起こらねばならない?

「動物殺しか……」

 不意の思い付き……、を、一旦心の奥底に封じ込める。

 今俺がすべきことを見失うな。天使ちゃんを見つけ藍色を安心させる。今の俺がすべきことは他に無い。

「よーし、捜索再開っと」

 再び自転車に跨り、しかしそのまま俺は漕ぎ出すことが出来ずにいた。体力はまだまだ残ってる、自転車の調子も悪くない。

 しかし俺の脳味噌には未だに目的地が設定されていないのだ。

「どこに行くべきかねぇ」

 天使ちゃんについて知っていることは少ない。迷子になっていた変な子であるという事ぐらいだ。昨日はこの公園を目指していたようだがそれ以上の事ははっきり言って何も知らないのだ。

「……天使ちゃんは何なんだろう?」

 それでつい、考えてしまう。

 あの子ははっきり言えば異常だった。

 なるべく考えないようにしていたが、見た目と中身が明らかに釣り合っておらず義務教育を受けて来たようには見えなかった。或いは何らかの障害を持っていると言われた方がまだ納得できる。

 しかし彼女には保護者らしき人の影が見えなかった。それはすぐ傍にいないという意味でもあるし、彼女の為に何らかの安全措置を取ろうとしている様子が伺えなかったという意味でもある。例えば保護者への連絡先や家の住所など迷子になってもどうにか送り届ける事が出来る何かだ。

 天使ちゃんの親は何をやっているのだろう? なぜ彼女を野放しにしているのだろう?

 ……いや、考え過ぎかもしれない。例えば昨日の待ち合わせは親御さんとの待ち合わせだった可能性も十分にある。

 それはそれで迷子になるような子を町中に放置して親が遊び惚けてるってことになるか。

「それならまだましか……」

 本当は薄々気付いていることがある。

 俺には藍色が最も優先される、だから面倒ごとに首を突っ込みたくはないし触れて来なかったことだが。

 天使ちゃんは塀を飛び越えてはいけないという俺の教えを素直に受け入れた。それはきちんと教え導く者がいれば彼女は正しく社会生活を送れるという事だ。

 しかし俺が言うまで誰も彼女にそれを教えて来なかったのだ。見た目からして少なくとも高校生程の歳ではあるだろうに。

 ……彼女に保護者は本当にいるのだろうか?

 彼女の親兄弟、或いは俺達のように叔父や叔母、もしくは施設にいるならそこに勤め彼女の面倒を見る誰かはどこにいる? 逆にいないならばどうやって今まで生きて来た?

「幼児だと思って来たけど山奥で獣にでも育てられたって言われた方がまだ納得行くかもな……」

 はあ、そろそろ行くか。

 考えていたら一つだけ向かいそうな場所を思い付いたので自転車に跨る。

 向かう先は商店街、理由は……。腹が減ったら食い物がありそうな場所に現れそうだなって……。ええ、猪とか熊とか着想を得ましたとも。




 良い知らせだ、天使ちゃん発見したぞ!

 悪い知らせだ、天使ちゃんばり怒られてるぞ!

 ここは商店街、休日のここの人通りはそこそこだ。近隣のスーパーが小規模なおかげで未だに肉屋や魚屋が活気を失っていない現代日本では中々に珍しい場所でもある。そして私がいるのは偶に野菜や果物を買いに来る八百屋さんの前なんですが……。

「君ねぇ……、お金持ってないの?」

 店主のおじさんに手首を掴まれて首を傾げている天使ちゃんがそこにいるわけだ。もう片方の手にはおそらく商品であろう苺が。

 ……ほう、パックで398円か、安いな。

「親御さんは? 近くにいないの?」

 おじさんの言葉に天使ちゃんが困ったように俯く。……はぁ、見てられんな。

「おじさん、おはよう」

「ん、あぁ。茉莉さんとこの、今忙しいから適当に見ててくれ」

「いや、その子だけど、知り合い……、みたいな感じで」

 天使ちゃんは無邪気な笑顔で昨日ぶりの再会を喜んでいるように見える。ついでに苺を俺の口に運ぼうとしているが、まあ、一旦遠慮。

 八百屋の叔父さんに向き直って会話を続けようじゃないか。

「何かあったの?」

「それが、あまり見かけない子だなと思って見てたらいきなりそこの苺を取って食べ始めてね……。どうもお金も持ってないみたいだしどうしようかとね……」

 ああもう、がっつり犯罪だよ!

 まぁ見た感じそう言う事だろうとは思ってたけど……。仕方ない。

「ここは俺がお金出すから今回は見逃してくれない?」

「……そりゃあ、お金を払ってくれるんならいいけど……」

「色々と問題がある子でさぁ、しっかり言い聞かせておくから」

 適当に匂わせることで追及を逃れる高等テクニック。ぶっちゃけ突っ込まれると何も答えられないのでおじさんの親切心に全てを任せるような荒業ではあるが……。

「……まあ、君がそう言うなら。いつも色々買ってくれるしね」

 ふぅ、おじさんが親切で助かったな。これが魚屋のおっちゃんあたりだとこうはいかなかったぞ。あの人は厳しいからまず間違いなく警察呼ばれて助けようも無い。

「じゃあこれで。ついでに俺の分も一個買ってくよ」

 とりあえず千円札を渡す。まさか二パック三パックも食っては無いよな?

「ちょっと待ってな、お釣りを取って来る」

 ああよかった。流石に一パック目ね。

「お釣りは迷惑代で取っておいて。どうしても気になるなら今度来た時にサービスしてよ」

「はいはい。じゃあまた来てくれよ」

 どうにかこうにか八百屋から天使ちゃんを連れ出す事に成功。出費に関しては……、今回は目を瞑ろう。安かったし、帰ったら藍色も喜んでくれるはず。

 で、だ。少し開けたところまで移動。ベンチに座って一旦落ち着こうじゃないか。

「えー、昨日ぶり、天使ちゃん」

 コクコク頷く天使ちゃん。あ、しまった。メモ帳の類を持ってないせいで意思疎通がジェスチャーしかない。……まあいいか。

「お腹空いてるのか?」

 再び頷く天使ちゃん。うーむ、この素直さは話していてなかなか清々しいものがある。直前にやっていた犯罪行為をつい忘れてしまいそうだ。

「とりあえず苺食べな」

 というわけで一旦さっき食べていた苺のパックを渡す。

 天使ちゃんは渡された苺をじっと見つめ、それから俺の顔を見つめた。

「……どうかした?」

 なんだ、食べようとしないな。よくわからんぞ。やっぱりメモ帳は必要だったか?

 とりあえず状況としてはさっきは遠慮なく店の苺を食べていたのに今は食べようとしない。売り場にあったから食べたかったとかは流石に意味わからんし無いだろう。お金を渡したのを見たから俺のだと思っているとか? いや、それなら店にある時点で店の物だからダメとわかりそうだな……。

 あとは……、あ、俺とおじさんの会話を聞いていたから?

 本人が喋らないからつい忘れていたが天使ちゃんは人の言葉が分かるのである。どの程度まで通じるのかは反応を見ながらじゃないとわからないが、基本的にはこちらの言葉に対して適切な反応が返って来る。

 つまり、だ。

「食べちゃダメなものだって気付いた?」

 天使ちゃんが三たび頷いた。

 要するに俺と八百屋のおじさんの会話の流れであの苺は食べてはいけなかったと気付いたのだ。だから今こうして勧めても食べようとしない。

 ……やっぱ素直な子だよねぇ。

「天使ちゃん。さっきみたいに食べ物を広げている所はね、お店なんだよ」

 財布から千円札を取り出す。

「こういうお金と交換で食べ物を売ってくれるところなんだ。天使ちゃんはお金を持ってなかった、だから食べちゃダメだったんだよね」

 その言葉に俯く天使ちゃん。うーむ、どこまで話が通じてるのかわからん。意味わかってるんだろうか? 少なくとも勝手に取ったらダメってことぐらいは伝わってるのか?

 ま、とりあえずいつまでも女の子を俯かせるようでは男子失格だろう。手渡したパックから苺を一つ取る。

「この苺は俺が買ったからね、もう俺の物なんだ、だから俺の好きにしていい」

 そう言いながら手に持った苺を天使ちゃんの口に突っ込む。

「こういうのはお腹空いてる子の口に突っ込むのが一番いいってことね」

 しばらく苺をおしゃぶりのように咥えていたが、やがてちょっとずつ口の中へ吸い込まれて行き最終的にはヘタごと噛み砕かれて行く。

 えぇ……。

「……美味しい?」

 首を縦にぶんぶん振ってご満悦なご様子。うーむ、少々変わった味覚をお持ちのようで。

 そう思っていると天使ちゃんは苺を一つ摘むと俺の方に手渡す。そんなに食べさせられるのが気に入ったのか?

「はい口開けてー」

 しょうがない、と苺を構えて言ってみると今度は首を横にぶんぶん。

 ん-? 違うのか、となると。

「……俺が食べていいの?」

 大きく頷く。お腹空いてるんじゃないの? ……そういや八百屋でもお裾分けしようとしてたか。まあ俺の金で買ったものだしこれ以上遠慮の必要は無いな。

 そう思い一口。たっぷりの果汁と共に口の中に甘酸っぱさが広がって行く。

「旨いなこの苺」

 思わず漏れ出た感想に天使ちゃんもご満悦のようだ。自分がお腹が空いてるのも忘れたのか次々と俺に苺を手渡して来る。

「ははは、自分で取れるって」

 全く、何なんだろうな、この子は。

 人の幸せを喜ぶことが出来る善性、人の注意を聞き入れる素直さ、それでいて世の常識を知らずこの歳まで生きている?

 あまりに不自然な存在じゃないか? どうやったらこんな人間が出来上がるんだろう。

 興味や好奇心はある。彼女をより良い道へと導くべきだという正義感のようなものもある。それを満たすには彼女の事情を知り、その解決の為の道筋を考えてやるべきだ。

 ……しかしあくまで俺にとっては藍色が第一だ。今日こうして天使ちゃんを探しに来たのも藍色が心配していたからに過ぎない。

 そうとも、本来の目的を忘れてはならない。俺はポケットからスマホを取り出しカメラを起動する。

「天使ちゃん、こっち見て」

 こっちを向いた所でシャッターを切る。うむ、完璧な一枚だ。

 これを見せれば藍色の不安も払拭されることだろう。天使ちゃんは元気も元気、商店街で苺食ってました、と。いやぁ、嘘をつく理由がなくなると嬉しいね。

 ではでは藍色にちょっと文章を送りましょうかね。

『中々見つからないのでお昼過ぎそう。ご飯作りに戻ろうか?』

 うむ、こんなところか。お、既読が付いた。返信も早いな。

『カップ麺があるから大丈夫』

 よしよし。これで時間の確保は完了、と。しかしカップ麺は栄養バランスが……、まあ今回は緊急的なあれで見過ごすとしよう。夜は野菜増しましの栄養たっぷりご飯だな。

 さて、天使ちゃんは見つかった。これで藍色の不安は払拭されるだろう。しかしそれは一時的なもの、根本的な原因が残っている。考えてもみろ、なぜ藍色は天使ちゃんの安否を不安に思ったのか?

 それは、この町を脅かす影があるからだ。

 俺は公園で心の奥底に封印していた思い付きを取り出す。

「天使ちゃん、ちょっと聞きたいことがあるんだけどさ」

 と、いうわけで天使ちゃんには聞いておかねばならないことがある。

「昨日さ、俺達と別れた後で公園に怪しい人来なかった?」

 天使ちゃん、首を傾げる。

「あー、誰か来る前に帰っちゃった?」

 今度は首を横に振る、否定だな。

「天使ちゃんがいる間に誰か来た?」

 今度は縦、肯定と。

「知り合い?」

 首傾げ。判断が難しいな。

「見たことはあるけど大して知らない、とか?」

 肯定。……うーむ、これはどう捉えるべきか。

「その人が来たのは俺達が帰ってどのぐらい経ってからだった?」

 少し考える素振り、それから指を伸ばして一回転。

「……あー、一時間?」

 肯定、と。

 ……俺達が公園を後にしたのが六時、一時間後謎の人物が公園に訪れ、八時ごろに警察に連絡が入った、ねぇ。

「……因みに、その人は何か持ってた?」

 肯定。

「例えば、猫、とか」

 猫、それは昨日の夜にあの公園で見つかった死体だ。

 俺は今日この日を動物殺しの捜索に使うと決めた。理由は簡単でそんな奴が普通に外を出歩いていると思うと藍色に何かあるんじゃないかと不安だし、藍色もあいつのせいで余計な不安が増えている。そんな危険人物を野放しにしておくなどあり得ないからだ。

 俺は藍色の兄として、この事件の犯人を捕らえる理由がある。

 そんな折に手掛かりを手に入れられるかもしれない偶然が訪れた。それが天使ちゃんだ。あの公園が現場になったその偶然のおかげでこうして天使ちゃんから情報を聞き出す機会を得たのだ。

 さあ、その謎の人物、犯人なのだろう? 猫の死骸を抱えた危険人物だったのだろう?

 期待高まる俺の問いに天使ちゃんは首を横に振った。

 これは……、否定だ。

 盛り上がる俺の心の内に一気に冷や水が浴びせられる。

「……あ、違う」

 こくこくと頷く。これは肯定ね。

「えーと、猫……、あー……。え、違う? 違うのか、えぇ、あれぇ? いや、違うか」

 なんかちょっと冷静になって来たわ。

 ちょっと思考が決め付けの一途を辿っていたというか、何で俺は天使ちゃんが犯人を目撃しているという前提を当たり前のように立てていたんだ? いつの間にか天使ちゃんを目撃者として扱っていたが、そうでない可能性も十分にあるし……。

 天使ちゃんが見たから犯人って決め付けにもほどがあるだろ……。うわぁ、自己嫌悪自己嫌悪。

「ていうかあれだね、普通猫の死体なんか持ち歩かないね、当たり前だね」

 そんなことしてたら通報されるだろ。当たり前のことも分からないの? これだから俺はさぁ。もう帰ろうかな。なんか、自分で自分が馬鹿らしくなって来た。

「天使ちゃん、あの……」

 帰ろう、そう思い立ちそれを伝えようとした瞬間、さっきまでの思考を全て無かった事にする。

 天使ちゃんは素直な子で、優しさを持ち、それなりに話を理解できる知能がある。そんな子にあなたが 見た人はこんなものを持っていなかったか、と尋ねた時どうなるだろうか? 返答がイエスならそれで終わりだろう、そしてノーならば。

 その人が何を持っていたかを伝えるかもしれない。

 俺の目に入って来た天使ちゃんはその手を握り振りかぶっては下ろすという動作を繰り返している。その動作がどう見えるだろうか?

 俺には。

「剣?」

 ……まるでその姿は剣を振るっているように見えたのだった。




 天使ちゃんから話を聞き終えた俺は公園へと向かっている。自転車に跨りその後ろには天使ちゃんが走って追いかけて来る。

 暖かな日光、風を切る感触、車輪の回る音。俺は自然と考え事に集中し始めていた。

 あの後も天使ちゃんには幾つか質問をした。そしてわかったことをまとめると以下のようになる。

 天使ちゃんは俺達が去った後も一時間以上はあの公園にいた。そしてその際に見知った顔の人物が現れた。その人物は剣のような物を持っている。結論を言えば、猫を殺したのはこの人物だ。少なくとも天使ちゃんの証言によれば、だが。

 ここで問題となる点は幾つかある。まず最も重要なのは天使ちゃんの証言にどこまでの信ぴょう性があるか、だ。実際この子は……、表現を選ぶなら……、まあ、うん、少しおかしい。そんな人物の証言を全面的に信用するのは大きな問題だろう。

 しかしここではその点は考慮しないこととする。警察のような組織も装備も権力も無いのだ、普通のやり方では動物殺しの犯人を発見することはおろか近付くこともままならないだろう。故にこの証言が正しいという前提で動くこととする。

 で、次の問題。天使ちゃんの証言が正しいとしてその人物が誰なのか全く見当が付かないという点。天使ちゃんが顔を知っているとはいえ写真があるわけでも無ければ家を知っているわけでも無い。こんな時に探すなら人海戦術に頼るか、或いは近隣の監視カメラでも見せてもらえばいいのかもしれないが……。ただの高校生に誰が見せるというのだ。結局、俺には顔を知る事すら難しい。

 それで、とりあえず大きな所では最後の問題。所持している凶器だ。どうも刃物を持っているのは猫の死因からしても確実、それどころか天使ちゃんのジェスチャーではナイフって感じじゃなくて剣って感じだった。……いや、普通に危なすぎるだろ。

 さて、では俺はこの犯人を発見することが出来るのだろうか? そして発見したとして何か出来るのだろうか? 皆々様、乞うご期待。

 ……って所で公園に到着、と。自転車を停めると直後に天使ちゃんが公園の中に走って来る。

 ……あ、そういや天使ちゃんいたんだった。途中から後ろに天使ちゃんがいるのも忘れて自転車を普通に漕いでしまったな。

 ……何でもう着いてんの?

 いやはや、この前も思ったが天使ちゃんの運動神経は計り知れんな。自転車相手、しかもこの俺を相手にこれほどとは……。寧ろこっちが自信を無くすレベル。藍色を守る為にはもっともっと強くならねばならない、そう言う事だろう。

 凹むのはこのぐらいにして、と。

 公園に来たからにはやることは単純明快だ。天使ちゃんがブランコに乗り込む姿をにこにこ笑顔で見つめる、ではない。懐かしいなぁ、藍色が小さい頃はこんな風にしていた記憶がある。体調を崩し気味になったのもあって外で遊ばなくなったからなぁ。

 思い出に耽るのはここまでにしよう。

「天使ちゃん。ちょっと良いか?」

 呼んでみれば天使ちゃんはブランコから飛び降りてひょこひょことこちらへ。うーむ、小さい頃の藍色を見ているような気分でちょっと楽しいな。

「昨日天使ちゃんが見たって言う変な人いたじゃん。あの人がここに来てどんなことをしていたか教えて欲しくて、公園に来てからの様子をこう、真似してみて欲しいんだ」

 天使ちゃんは俺の言葉を聞くと空を見上げる。たぶん俺の言葉を咀嚼しているのだろうが……、伝わったか?

 不安になって改めて説明し直そうと思ったところで天使ちゃんが、どん、と胸を叩いた。驚く俺を気にする素振りも無く公園の入り口の方へ。

「伝わったっぽいな……」

 ここから天使ちゃんの一人芝居が始まる。

 きょろきょろと何かを確認しているのか周囲を見渡しながら入り口より入って行く人影。この公園にはブランコ、土管、砂場と遊具の数は少ない。が、そのいずれもその人影の目的では無かったらしい。それらの横を通り過ぎて公園の奥、植え込みの方へと歩いて行く。

 再び周囲を確認、これは誰かに見られていないかを確認しているのだろうか? 天使ちゃん曰く剣のような物を持っていたようだし人目を気にするのは当然か。そして問題が無いと判断したのかその人影は植え込みの中へ身を投じる。がさごそと植木が音を立て……、天使ちゃんあなた半袖で入ってますが痛くないか? 怪我するなよ?

 と、そんな心配をしているとばっ、と天使ちゃんが植え込みから飛び出る。その勢いは大したもので、後方に跳ぶ競技があれば優勝待ったなし、と言った感じ。えー、そのまま、何だ? 手を振り上げながら走ってブランコの方へ、んで振り下ろす。

 ……剣を振ったんだよなぁ、たぶん。ブランコに血の跡があったってことは、あの付近で猫も死んでる。

 ふむ、まあもう少し様子を見よう。

 えー、人影はまた植え込みの方へ戻って来てごそごそと……、これは何をやってるんだろうな。んで、目的を果たしたのか今度は普通に出て来て出口へすたすたすた、と。

「天使ちゃん、もういいよ。十分だ」

 正直な所、思った以上の収穫かもしれない。小走りでこちらへ来る天使ちゃんは一芸を披露した後の小型犬のように褒めて褒めてと表情で訴えていたのでとりあえず頭を撫でる。ご満悦のようで何より。

「えっと、幾つか聞きたいことがあるけどいい?」

 天使ちゃん、了承。では早速。

「今のは公園に入って来た人が植え込みの方で何かをやっていたけど猫が出て来て驚く。その後に猫を追いかけて殺して、また植え込みの方で何かをやってその後帰って行った。これで合ってる?」

 こくこく頷く。肯定を頂きました。いやー、これは天使ちゃん検定があれば一級の問題ですよ。ええ、更に上に段位があるので簡単な方です。

 さて、ここで動物殺しをやっていた男は別に猫を殺したかったわけでは無いようだ。ではその目的は?

「その人が植え込みの中で何をしていたかわかる?」

 首を横にふりふり、否定だ。

「えー、と、見てたんだよね……。いや、天使ちゃんどこ居たの?」

 天使ちゃんが指差したのは土管。土管の中に入るのは高校生には少々辛いがその後ろには隠れられるだけのスペースがある。要するに猫殺し犯は純粋に天使ちゃんを見逃していたわけだ。そしてそこから植え込みの様子が見えるかと言えば。

「……まあここからじゃ何やってるかまでは見えないか」

 距離的に厳しい。公園は四方を植え込みに囲まれているがごそごそと何かをやっていたのは奥の植え込み、その中央辺りだ。入り口向かって右側の辺にある土管からは少々距離がある。しかも天使ちゃんがそれを見たのは夜の七時ごろ、この時期だ、既に辺りは暗くなっている。

「なるほどねぇ」

 となるととりあえず現場検証が必要だ。早速植え込みを調査せねば、先程天使ちゃんが入って行ったところへ。

「ここに入って行ったんだよね?」

 肯定。

 よし、入るか。

 植木の間には思ったより隙間があり、無理矢理身体を滑り込ませれば入るのは難しくない。しかし体格大きめの俺には少々きついというか……、服が破れたりしないか心配なんだが。

「何も無いよなぁ」

 変な物が置かれていたりと言うのは無さそうだ。地面には枝葉が落ちているぐらいで大したものは無い。

「さっきここに入った時に変な所はあった?」

 実は天使ちゃんが何かを取っていったという可能性。しかし返って来た返事は否定だ。

「ふむ……」

 わざわざそんな妙な事をして何も無いってのはまずあり得ない。となると答えは一つだ。見えるところに何も無いなら見えないところ、地面の中だな。とりあえず枝葉をどかして、と。

「……当たりかな」

 一部、地面が妙に柔らかい。ここに何か埋めてある。何が?

「……凶器だったら警察に通報するか」

 頭の中に真っ先に浮かんだのは鋭利な刃物だ。猫殺し犯が地面に埋めそうな物なんてそれぐらいしか思いつかない。そしてそれが出て来たとして、俺に出来る事なんてたかが知れてる。素直に親切な一市民として通報するべきだろう。

「そうじゃなかったらどうするかなー」

 手で地面を掘る。こんなことをするのは小学校の時に学校行事で芋掘りをして以来かもしれない。爪の間に土が入るのが嫌だなと思いながら少しづつ、深く、掘って行く。

「これか」

 そして手首程の深さまで掘ったところで明らかに自然の物ではない何かを見つけた。それを拾い上げて土を払う。

「……これか?」

 それは袋に入った……、えー、何だろうこれ。糸? で編まれた、丸い形の……、お守りか? どこかで見たような気もするが……、似たような物は幾らでもあるか。

「これをここに埋めに来た? そんなわけないよなぁ?」

 こんなものを埋めてどうする。まさか芽が出て花が咲くとでも? かといって人目を忍んで隠すような物にも思えないし。

「天使ちゃんはこれどう思う?」

 とりあえず聞いてみても当然首を傾げるばかり。まあそうだろう、俺でもそうする。

「こんなものが何かの証拠になるわけも無し、この辺りで諦めるか?」

 俺はこの町から動物殺しなんて物騒な奴は排除したい。藍色のいるこの場所は平和な場所であるべきだと思っているから。しかしまあ、所詮は個人に出来ることなどたかが知れていると限界を感じるべきだろう。

 物語のヒーローを気取るには限界があると。

「……ま、これは貰っておくか、警察に通報したところで悪戯だと思われそうだし。折角だからお守りとして身に付けておくかね」

 とはいうものの可能性は捨てない。もしも本当にこれを埋めに来たのだとすればここから消えたことに気付いた犯人はこれを探そうとするだろう。定期的にここに来て不審な動きをしている奴がいたらそいつが犯人、かもしれないってことで。

 握り締めたお守り(仮)と共に植え込みを抜ける。この後どうするかな。天使ちゃんにお礼に何か御馳走して帰るかねぇ。藍色も心配してるだろうし早く安心させてやらねば。

「天使ちゃん、何か食べたい物……」

 声を掛けて気付く。天使ちゃんがなぜか公園の外をじっと見つめている。

「何かあった?」

 返事は無い、が、直後に公園の入り口に一つの影が。

「……猫?」

 猫がいるのは不思議な事ではない。何せ昨日は猫殺しがここで発生している、この公園は野良猫が集まる場所って可能性は十分にあるぞ。

 ただなぜだろうか、その猫はどこか異様な雰囲気を発していた。まるでこの世の生き物では無いかのようにさえ見える。

 黒い身体をしゃなりしゃなりと動かし公園の端へ、無造作に縁石に飛び乗ったかと思うとこちらを見つめ立ち止まる。そのまま縁石の上を伝いこちらへと近付いて来る。ただの黒猫だ、そんな野良猫がいても大しておかしくは無い。そのはずなのに俺の視線は不思議と釘付けになってしまう。

 どうして俺はあの猫にこれほど奇妙な違和感を覚えているのだろう。

「天使ちゃん、あの猫知り合い?」

 何気なく尋ねたが当然のように首を横に振られる。まあそうだろう。しかし猫は何か目的でもあるかのようにこちらへ近付いて来る。そして、俺達の目と鼻の先にやって来た。

「……こ、こんにちは?」

 とりあえず挨拶をしてみるもやはり人語は解さないようで無視された。しかし猫語は不勉強で話せもしない、向かい合ってどうすればいい?

 まあ、そんな悩みは猫の方からぶち破って来る。

 それは本当に唐突に、地面を蹴ってこっちに跳びかかる。

「うわっ!」

 なんとか身を捩って回避するも、猫は俺の周囲を華麗なステップで跳び回り再び跳びかかる機会を窺っている。流石に猫を蹴り飛ばすのはちょっとなぁ、と悩んでいると天使ちゃんが俺の前に歩み出た。

「天使ちゃん?」

 猫と睨み合うその姿はまるで俺を守ろうとしているかのようだ。……俺の方が図体でかくて力も強い、強いのか? 天使ちゃん運動神経凄いし実は俺より強かったり?

 ……まあそんなことは枝葉末節、関係ないな。

「下がってな」

 今度は俺が天使ちゃんの前に歩み出る。天使ちゃんを見ているとどうにもこうにも幼い子供を見ているようで、放っておけないぜ。

「天使ちゃんが怪我でもしたら藍色が心配するからな。あれぐらい簡単に対処するさ」

 とりあえず捕まえれば大人しくなるだろう。跳びかかってきたところをキャッチする。後はちょっとかわいがってやれば問題なしよ。襲い掛かって来たんだ、その毛並みをじっくり堪能させてもらうぜ!

「来い!」

 俺の叫びに呼応するように猫が地面を蹴る。右、いや、左だ!

 猫の爪が宙を切る、その直後俺の腕の中にすっぽりとその身体が収まった。

「勝った!」

 捕らえた猫が腕の中でじたばたと暴れ回るがもはや逃げ出すことは出来ない。おぉ、ふかふかの毛並みが気持ちいい。

「天使ちゃんも撫でるか? 爪に引っ掛かれないように注意しろよ」

 どうやら天使ちゃんも興味津々だったのか声を掛けると駆け寄って来て頭を撫でる。ははは、今度藍色も連れて来てやろうか。まあその時にはこいつがいないかもしれないがな。

「よしよし、いい子だなぁ、もうちょっとだけ堪能させてくれな」

 暴れまわるのを無視して存分にかわいがりを継続。多分次にここに来たらものすごい勢いで襲って来そうなほど睨まれている。というか手を放した瞬間から襲って来そう。つまり俺がこの子をかわいがるのは止むにやまれぬ事情があるというわけだ。

 いやぁ、仕方ない仕方ない。

「……何やってるの?」

 そんな風に猫かわいがりをしていると不意に聞き覚えのある声が聞こえた。それはさっきまでの空気をズバリと斬り裂き俺に人らしい感情を教えてくれる。

 つまり、恥ずかしい、という感情だ。

「……九常さん?」

 転校生にしてクラスメイト、更には隣の席の住人であるところの九常さんがすぐそこに立っていた。見てはいけない物でも見てしまったかのような表情でこちらを見ている。思わず腕の力が緩んで猫が即座に脱走を遂げる。

 その行き先を見る力も無く俺は呆然としていた。




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